第206話 イケメン再び学校へゆく⑯


 右手で受け止め、杖を取り上げた。

 その反動でべしゃりとスカーレットが崩れ落ちた。


 内股の女の子座りになり、彼女はそれでもエリィが憎たらしいのか目を赤くさせ睨んでくる。


「あんたなんか……あんたなんかいつだって、グズでノロマのブスなのよ!」

「………レディがこの状況で言う言葉とは思えないわ」


 取り上げた杖をスカーレットの膝の上へ置く。


 患者に向き直り、すぐさま“癒発光キュアライト”を行使した。

 みるみるうちに青年が回復し、血色がよくなった。


「か、母さんは?」


 青年が開口一番で母の心配をする。

 ご婦人が息子に駆け寄り、「我慢もほどほどにしなさい」と叱って抱きしめた。


「お嬢さん、ありがとうございます」

「さすがグレイフナーの生徒だねぇ」


 青年とご婦人が何度も頭を下げて部屋から出ていった。

 スカーレットは座り込んだまま、うつむいてぶるぶる震えている。


 今の行動はさすがにいただけないぞ。子どものわがままで済む問題じゃない。あれ以上時間が経っていたら白魔法が必要になっていたところだ。自分で解決できないなら、すぐに別の魔法使いを呼ぶべきだった。


 壁際のソファに座るクラスメイト全員が、俺とスカーレットのやり取りを見ていた。みな、不快な顔や、複雑な表情を浮かべている。

 スカーレットは顔を上げてみんなの様子を窺うと、びくっと肩を震わせて下を向いた。


「エリィ君はいるか?!」


 ドアを勢いよく開けてハルシューゲ先生が戻ってきた。

 ハルシューゲ先生は副担任と一緒におり、二人はなぜかマダムボリスを挟むようにして抱えていた。


「マダムボリスが鍵保管棚の解錠に失敗して呪われた! 先ほど学校から連絡を受けてここまでお連れしたんだ!」


 部屋にいるクラスメイト、白魔法師、患者の視線が一斉にぐったりしているマダムボリスへ集まった。


 治療が終わったらしいグレンキース・サウザンドがすぐさま駆け寄り、副担任に代わってマダムボリスを抱え、近くの1番診察台に寝かせた。


 三十代後半、パーマヘアーの女教師マダムボリスはトレードマークの緑ローブをはだけさせ、虚ろな目で口をぱくぱく開閉させる。


 そしてとんでもなく大きな声でこう叫んだ。



「ヤッピーチャッピーお尻ピチィィィッ!!!」



 ……これはあかんやつだ。



 身体を仰け反らせて、自分のお尻をビシビシ叩いている。

 ハルシューゲ先生が「いかん!」と叫んでマダムボリスの両手を押さえた。

 グレンキースもあわててマダムボリスの両足をつかむ。


 猫人の受付嬢が声に驚いて「ギニャア!」と尻尾と耳を伸ばした。

 クラスメイトが呆気にとられる。


「こういう恐ろしい呪いなんだ!」


 ハルシューゲ先生が額から冷や汗を流して叫んだ。


 な、なんてこった。

 これが職員室にあった鍵保管棚の呪いか。

 解錠に失敗するとこうなるなんてひどい。ひどすぎる。


「グレンキース・サウザンドさん! あなた、浄化魔法は?!」

「残念ながら習得しておりません!」

「ヒーホーヒーホーお尻ピチィィィッ!!!」

「まずいぞこれは! 早く浄化しないと一週間はこのままになってしまう!」


 お尻ピチィで一週間とかリアルにやばい。


「やはりエリィ君しかいない! 生徒を頼るのは教師として誠に不甲斐ないがお願いしてもいいかい?!」

「で、でも……!」


 クラスメイトの前で浄化魔法を唱えるのは、さすがに目立ちすぎる。


「君しかいないんだ! 浄化魔法を使える白魔法師が出払ってしまっている! これは協会のミスだ! 申し訳ない!」


 グレンキースが悔しげに頭を下げる。

 プライドが高そうなサウザンド家の男がここまで頼み込んでいるんだ。これでやらないのは男じゃねえよな。って俺、女だけどな。


 よし! 腹は括った!


「分かりましたわ!」


 1番診察台に駆け寄り、マダムボリスに向かって両手をかざした。念のため杖もどきは持っておく。


「下級の浄化魔法“聖光ホーリー”で解呪できる。落ち着いて唱えるんだ。心を強く持たないと君に呪いが飛び火する。いいね」


 ハルシューゲ先生が額にきらりと汗を輝かせながら真剣な顔で言う。


「それがいいだろう。生徒達に中級浄化魔法を見せるべきではない」


 グレンキース・サウザンドもうなずく。


「イケメンタベタイお尻ピチィィィッ!!!」


 マダムボリスのセリフがだんだんと悪化している。


「分かりましたわ。いきます」


 深呼吸して魔力を循環させる。

 下級浄化魔法“聖光ホーリー”は中級“純潔なる聖光ピュアリーホーリー”より難易度はぐっと下がる。問題ない。楽勝だ。


「貴方に慈しみと大いなる愛を……“聖光ホーリー”!!」


 派手な魔法陣が燦然とエリィの足元に広がり、ブルーの星屑が円を描いてマダムボリスへと吸い込まれていく。脳内に呪いのイメージが断続的に流れ込んできた。


 目の前に無数の尻が現れては消えていく。

 ひどい呪いだ。


 魔力を強めるとその映像が蒸発し、診察台の上にいるマダムボリスがびくびくと痙攣して静かになった。


 おそらく解呪できた。

 念には念を入れ、十秒ほど多めに魔法を行使し、それから“聖光ホーリー”を切った。


「すぅ……すぅ……」


 マダムボリスが心地よさげな寝息を立てて眠った。

 はだけたトレードマークのローブをなおしてやり、ふうと息を吐いた。


「先生、解呪されたと思います。ご確認を」

「あ……ああ、そうだな」


 ハルシューゲ先生がマダムボリスのおでこに手を当て、首を縦に振った。


「無事解呪されている。ありがとうエリィ君……素晴らしい浄化魔法だった。我々教師でも習得できない浄化魔法を私の教え子が習得している。そう思うと本当に鼻が高い。……不甲斐ない担任ですまないね。ありがとう」

「いいえ。先生は素敵な魔法使いですわ」


 お嬢様らしくレディの礼を取ると、グレンキース・サウザンド、白魔法師達、受付の猫娘、患者から拍手が起こった。


「君はグレイフナーの誇りだ!」

「その歳で浄化魔法を習得しているとは才能に嫉妬するなぁ!」

「やはり女神!」

「美人の浄化魔法たまらん!」

「すごいニャ! 浄化の女神ニャ!」

「ご利益が! 十歳若返った気がするぅ!」


 そんな周囲の反応に、クラスメイトは驚きを隠せず全員が口を開けている。


 誰しもが習得を目指す上位の白魔法。

 そのさらに上の浄化魔法を習得したエリィを見て、目を点にし、愕然としていた。魔力枯渇寸前の青い顔でそんな表情をしているから、何か悪い病気になったのかと一瞬心配してしまう。


 しばらくすると白魔法師が治療を再開し、ジェニピーとハーベストちゃんがソファに座ったまま目を輝かせてこちらを見つめてきた。


 ボブと子分は悔しそうに下を向き、他のクラスメイトは羨望の眼差しを向け、スカーレットの取り巻き連中はハンカチを噛んで引っ張ったりスカートを握りしめたりしている。


 ゾーイは青い顔をさらに青くさせ、自分とエリィの間に開いた技術の差を見せつけられて奈落へと転落していくような悲痛な表情を浮かべた。



 そしてスカーレットは——



 ぎりぎりと下唇を噛み、口から血をにじませ、どうやってもエリィに勝てないと認めたくないのか顔中に皺を寄せて涙を堪えている。両手で何度も制服のブレザーを握り、今にも叫び出しそうなほど喉を震わせた。誰が見てもその顔には敗北の二文字が書かれていた。


 クラスメイトは先ほどの言動や行動を思い出すのか、気づかれないようにスカーレットへ白い目を向ける。


「許さない………許さない………」


 6番診察台へ戻ると、ぼそぼそとスカーレットのつぶやく声が聞こえた。


 ソファで休んでいたジェニピーが立ち上がり、追い打ちをかけるようにハルシューゲ先生を呼んだ。


「先生、質問がございますわ」

「なんだいジェニファー君」

「スカーレット・サークレットさんが先ほど魔力ポーションを飲んでいる姿をわたくし見ました。ポーションの持ち込みは許されておりますのでしょうか?」

「この実習では生徒諸君に限界へ挑戦してもらうことをテーマにしている。当然、許可されていない。……スカーレット君、それは本当かい?」


 ハルシューゲ先生に猜疑の目を向けられ、スカーレットは肩を震わせた。


 クラスメイトはジェニピーの言葉を聞いて衝撃を受けたのか、隣にいる者と「嘘だろ?」「ありえねえ……」「卑怯者」など感じた想いを言葉にする。別の班だった取り巻き連中も、これには驚いて言葉を失っていた。


「そ、そんなことは……ございませんわ」

「そうか。それならいいんだ」


 近くまで来たハルシューゲ先生がじっとスカーレットを見つめる。


「え、ええ……」


 スカーレットは眉をハの字にし、唇を前歯で噛み締めて鼻に皺を寄せ、屈辱を耐えて小さなうめき声を漏らしている。目は充血して今にも流れそうな涙を懸命に堪えていた。

 先生は証拠不十分と結論付けたのかジェニピーへ視線を向けた。


「ジェニファー君。君の見間違いかもしれないね」

「おかしいですわ。わたくし先ほど見たんですのよ。先生、スカーレットさんのポケットに空き瓶が入っていると思いますわ」

「———っひ!!!?」


 スカーレットは小さな悲鳴を上げて座ったまま飛び上がりそうになった。

 あわてて自分のポケットの上を押さえると、空き瓶が入っていることを確認して顔中が絶望に染まった。


「スカーレット君?」


 ハルシューゲ先生がブレザーのポケットへ視線を注ぐ。


「あ………あ………」


 言い訳を目まぐるしく考えるスカーレット。

 クラスメイト達が固唾を呑んで成り行きを見守る。


「どうしたんだい? ポケットの中を見せてくれたまえ」

「あ…………あの…………」


 疑惑が膨張し、ソファに座るクラスメイト、スカーレット、ハルシューゲ先生、ジェニピーの間に漂う空気が冷たくなっていく。


「さあ」

「………」


 ハルシューゲ先生は優しい顔を引き締め、右手をスカーレットの前へ差し出した。

 スカーレットが何度も生唾を飲み込み、呼吸を荒くして、胸元を小刻みに震わせる。先生の右手を見ては虚空へ視線を彷徨わせ、懸命に言葉を探す。



 ハルシューゲ先生が再度口を開いたそのときだった。



「先生、違います」



 張りつめた空気を破ったのはゾーイだった。



「スカーレットさんは昨日から頭が痛いと仰っていました。空き瓶は頭痛薬です。私も今朝から頭が痛かったので一本もらったんです。ジェニファーさんの勘違いですよ」


 いかにも優等生といった笑顔をハルシューゲ先生とジェニピーに向けるゾーイ。こういうときは平凡な顔が活きるな。


 スカーレットは崖っぷちにかけていた手を引っ張ってもらったような生き返った表情になり、空き瓶をポケットから取り出した。中から試験管と同じ形をしたガラス瓶を取り出して先生に見せた。


「そ、そうなんですの! わたくし朝から頭が痛くて……」

「ふむ。見ればずいぶん顔色が悪い。魔力枯渇のせいもあると思うが……今日はこれ以上魔法を使ってはいけないよ」

「お気遣い、ああ、あ、ありがとうございますわ」


 スカーレットはどうにか立ち上がって仰々しくレディの礼を取り、ゆっくりと壁際のソファへ歩いて行く。


「ジェニファー君、そういうことだ。あまりクラスメイトを疑ってはいけないよ」

「先生、申し訳ございません。スカーレットさん、お許しくださいませ」


 ジェニピーが先生にレディの礼をし、スカーレットへ向き直ってそちらにも礼を取った。しかし、彼女の顔はスカーレットを黒だと確信した鉄仮面みたいな無表情だった。


 スカーレットはジェニピーを見て悔しげにうつむき、すぐに顔を上げて「いいんですのよ、ジェニファーさん」と余裕ありげな言い方で返す。


 疑惑は晴れたかのように見えた。


 しかしクラスメイトの猜疑心は膨れ上がっており、彼女を見る目は今まで家名の威光で畏怖を多く含んでいたが、今はそれも消え、軽蔑を帯びた熱を絡ませていた。


 魔力切れ寸前の身体でふらつくスカーレットに視線が集中する。

 ソファに辿り着くまで耐えきれなかった彼女は、キッと全員を睨みつけた。


「なんですの!? わたくしを見ないでくださいます!?」


 クラスメイトは目を逸らした。

 彼女を怒らせ、自分の家に被害が及ぶのはいただけない。

 だが、スカーレットの威光は確実に衰えていた。グレイフナー王国民は卑怯者を極度に嫌う。日頃の行いもあるのか、全員彼女の言葉を信じられない。


 権力を笠にきていじめをするのも不愉快なのに、不正をして成績を上げようなど看過できるわけがない。彼らの目が雄弁にそれを物語っていた。


「この患者さんで終わりですニャ」


 受付の猫人娘が最後の患者を白魔法師のところへ誘導した。

 それをタイミングにハルシューゲ先生が声を上げた。


「では本日の実習はここまでとしよう。最後まで魔力枯渇を起こさず残っていたのはエリィ・ゴールデン君だ。まずは彼女の健闘と勇姿を讃えようじゃないか」


 先生が拍手を始めると室内の全員がそれに続き、あっという間に拍手の音に包まれた。


 クラスメイト、白魔法師、受付猫娘、治療の終わった患者さんも手を叩く。

 ジェニピーが痛いほど手を強く合わせて「素敵ですわ!」とコールし、ハーベストちゃんが「拍手したいけど魔力がなくてへろへろなんですよぅ」と言って周囲の笑いを誘う。


 先ほどの悪い空気が飛び、和やかなムードが戻ってきた。


 エリィの顔が途端に熱くなる。

 まー恥ずかしがっちゃってもー。


「実はね、エリィ・ゴールデン嬢は我々白魔法師の間で有名人なんだ」


 グレンキース・サウザンドがハルシューゲ先生の隣に並び、爽やかな笑顔を浮かべた。

 拍手が一斉に止む。



 え、そうなの? なんで?



「初めて彼女の浄化魔法見たときは心の底から驚いたよ。四年生で浄化魔法を習得したのは王国広しといえど、彼女だけだろう。なんたって噂が二週間で白魔法師全体に広がったぐらいだからね。信じていない連中は今日の実習で起きた出来事を聞き、本当のことだと理解するはずだ」


 そういうことか。

 マザーが怒ったときにいた白魔法師が噂を広めたんだな。アホたれ。

 情報操作もっとしっかりしろやグレンフィディックのじじい。


 まあでも……可愛い子が魔法上手い、ってなったら世間話の話題にしたくなる気持ちは分かる。人の口に戸は立てられないって言うし、中級浄化魔法を使えることは伏せているから軽いおしおきで済ましてやろう。電気バリバリかお尻ピチィの刑だな。


「彼女が同じクラスにいることは類稀なる幸運だ。いい見本にして、今後の勉学により一層励むことを私は推奨する!」


 グレンキース・サウザンドが本当に羨ましそうな顔でクラスメイト達へ告げた。

 また拍手が巻き起こる。

 いよいよもってクラスメイトのエリィを見る目が変わってきた。


 苦い顔をしているのはボブとスカーレット、取巻き連中だ。

 あれだけエリィをバカにしていた手前、どう反応していいのか分からないらしい。

 また、ボブやスカーレットがエリィをいじめている際、一緒に愛想笑いをしていたクラスメイトも微妙な表情を作っている。エリィと仲良くしたいけど自分たちもいじめに加担した、という罪悪感があるんだろう。


 一つ言えることは、どれだけ懇願されても俺はお前らに手は差し伸べないってことだ。エリィが教えたがっても俺が許せん。いや、許さん。


 とりあえずね、顔がめちゃくちゃ熱いよ。

 サウナ入ってんのっていうぐらい熱い。


 エリィ、いい加減慣れてくれ。

 恥ずかしい気持ちは理解するが俺のキャラじゃないんだ。


 あーもう足をもじもじさせない!

 上目遣いでクラスメイトを見ない!

 スカートの裾をぎゅっとつかまない!


 もっと堂々としてくれー頼むからーっ。


「では各自、歩けるようになった者から解散としよう!」


 ハルシューゲ先生が笑顔で宣言し、一日がかりの白魔法師協会実習が終了した。



    ◯



 あのあと、すぐにジェニピーとハーベストちゃんが近寄ってきて、三人で帰路についた。

 他のクラスメイトが数名「ごきげんよう!」とか「すごかったぜ!」など去り際に挨拶してくれ、また顔が熱くなる。


 二人にどうやって白魔法を習得したのか、根掘り葉掘り聞かれたのは言うまでもない。


 スカーレットはかなり追い詰められているな、とぼんやり考えつつ、帰り道のガールズトークを楽しむことにした。


 計画は順調だ。

 残されたイベントは雑誌発売と、魔導研究所見学会の二つか。


 二人と別れ、ゴールデン家に辿り着く頃には周囲は暗くなっていた。

 今日は疲れたから早く寝るとしよう。


 はち切れんばかりの笑顔で出迎えてくれたクラリスにエリィスマイルを向け、帰宅しただけで泣きそうになるバリーを宥め、学生鞄を渡し、ゴールデン家の玄関をくぐった。


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