第203話 イケメン再び学校へゆく⑬
☆
スカーレットは早朝、出勤前の父をつかまえてピーチャン家について聞いた限りのことをぶち撒けた。
「本当なんですのお父様! わたくし学校でピーチャン家の長女にコケにされましたのよ!」
サークレット家当主、オーキッド・サークレットは娘に癇癪をぶつけられ、やれやれとローブを執事から受け取った。
小橋川が彼を見たら「ザ・成金」と皮肉を言っただろう。
彼は黄色の髪をしており、顔のすべてのパーツが細い。目は線で描いたようで、鼻も唇も細く長い。それと対照的に、でっぷりとまではいかないが、贅沢な食事でついた贅肉がズボンのベルトを押し上げていた。
そしてなにより一番目につくのは、両手すべての指にはめられた指輪だ。
高級品だとひと目で分かり、サークレット家の金回りのよさを如実に表している。
彼は指輪を撫でて我が娘を見た。
スカーレットは姉と同じ気が強そうな顔つきだが、自分に自信がないのかどこか子どもっぽさが抜けない印象を受ける。オーキッドはその理由が姉のヴァイオレットにあることは十分に理解していた。
長女ヴァイオレットは自分が優秀であるがため、何かと自分のやり方や考え方をスカーレットに押し付ける傾向にあった。
そしてスカーレットは姉に負けまいと、おかしな方向に性格をこじらせている。
時間があれば話し合う時間を設けるべきなのだろうが、オーキッド・サークレットにその労力を割くゆとりはなかった。そして子どもの教育自体にも興味がなく、金と嗜好品が彼にとっての最重要案件であった。
「どうなんですの、お父様?!」
先日、ピーチャン家からはミスリルの取り引き中止を打診されたばかりだ。
避けることのできない懸案事項と一致しているスカーレットの質問に、オーキッド・サークレットはすぐに話を逸らした。
「スカーレット。そんなことより光魔法の練習はしているのか?」
「……家庭教師がおりませんわ」
スカーレットが話を聞いてくれない父親にむくれ、そっぽを向いた。
オーキッドはミスリルに続き、サウザンド家の取り引き拒否の問題についても思い出してしまい、苦い顔になった。
白魔法師は常に不足している。
自家領地の街に最低でも一人は必要だし、魔物討伐や、大きな商隊を組む場合も必ずパーティーに組み込む。自家で雇っている人材では人手が足りず、毎年白魔法師協会から数十名を雇うことが慣例になっていた。
それがまさかの取り引き拒否。
あまりの頭の痛さに、オーキッドは近頃碌な睡眠を取っていない。
王国に事情を説明し、この不当な扱いを解消するために奔走している。
オーキッドは何か得体の知れないものにサークレット家がじわじわ侵食されるおぞましさを感じていた。偽りの神ワシャシールが薄明の向こうで手招きをしているような、そんなねっとりした恐怖が周囲を覆っていく気さえする。
当然、彼は敵に回すと厄介な小橋川という男が「ぐっしっし」と笑いながら裏で糸を引いていることを知らない。
「家庭教師がいなくても練習はできる」
オーキッドは不明瞭な不快感を振り払うようにしてローブを羽織り、玄関の扉を執事に開けさせた。
「お父様!」
「スカーレット……私は忙しいんだ。ミスリルの話はあとにしよう。ピーチャン家がミスリルの購入をやめるのは別に悪いことじゃない。困るのは彼らなんだからね」
「もうっ! もういいですわ!」
スカーレットは話を聞いてくれない父に憤慨し、足を踏み鳴らしてエントランスを出ていった。
オーキッドは娘の後ろ姿を目で追い、ため息をついて玄関から出て馬車に乗り込んだ。
☆
スカーレットが父親に癇癪を起こした二時間ほど前。
おさげ頭のゾーイは特徴のない平凡な顔を厳しくさせ、冒険者くずれの黒魔法師に金貨を渡した。
「標的はゴールデン家のエリィ・ゴールデンよ。金髪ツインテール、垂れ目、ブルーの瞳、無駄に突き出た胸。必ず白魔法師協会に着く前にやりなさい」
「へい。お嬢さん」
男は目の下に濃い隈を作った、猫背で陰気な魔法使いだった。しかも全身黒ずくめで、いかにも黒魔法師といった風体だ。
彼は金貨を受け取って頭を下げた。
彼はゾーイを敬うというよりは、距離感を測りかねるといったふうで、探るような視線を彼女に向けている。
「失敗したらボブ様に伝えるからね」
「へい」
「いきなさい」
彼女がリッキー家とどういう関係なのかは不明だった。
しかし、仕事がリッキー家経由で回ってきたのは疑いようのない事実だったため、陰気な黒魔法師は何も言わずにその場を後にした。
◯
「じゃあ先に行くわね」
「いってらっしゃい…」
ゴールデン家の中庭で朝稽古をしていた俺は、アリアナより早く家を出た。
今日は白魔法師協会の実習があるので普段より早い時間に現地集合することになっている。
アリアナは一緒に行きたがったが、鞭術練習でサキュバスのヴァレンティナちゃんが来ているため途中で抜けるのは憚られた。
鞭の音を背に、玄関から出て白魔法師協会へ向かう。
始業式から街の様子をゆっくり見るため徒歩で登校していた。
国民の服装に変化があるか、情報収集するためだ。
二番街の高級住宅街を歩きつつ、コバシガワ商会の今後の方針やミラーズの洋服について考え、グレイフナー大通りに出る路地を左に曲がる。
そこで、不穏な魔力を感じ取った。
立ち止まり、魔力の流れる方向へ首を向けると、路地に植えてある木の陰から全身黒ずくめの男が現れた。
男はローブを目深にかぶり、こちらへ歩いてくる。
誰だこいつ?
明らかに胡散臭い。
俺を狙っているのか?
路地の端へ移動して警戒しながら大通りへと歩を進める。
男との距離が縮まり、距離が五メートル。すれ違う瞬間だった。
突然、男が身を反転させて腕を伸ばした。
黒いローブから細い腕が伸びてこちらの腕をつかもうとしてくる。反対の手には杖が握られている。
右手に持っていた鞄を放して十二元素拳「風」の型で迎撃する。
最小限の動きで男の腕をかわして右手で男の腕をつかんで引っ張り、体勢を崩してがら空きの脇腹へ掌打を放つ。
ツインテールが舞い、エリィの左手が脇腹へ吸い込まれた。
「———ッ!!?」
声にならない声を上げ、男が地面を転げ回った。
掌打の衝撃が余すところなく内側へ伝わったためだ。身体強化しないでこの威力。十二元素拳つええわ。
あまりに痛そうなので、仕方なく“
「く、くそぅ……」
ずいぶんと辛気臭い男だ。
脇腹を必死に押さえている。まだ痛いらしい。
「朝からなぁに? 何の用?」
「こんな小娘に……」
「質問しているのは私よ?」
「足を……どけろ。さもないと、黒魔法で眠らせてそのでかい乳を——」
「“
「モモモモモモモモモモモモモモモモモンジャイマッセッセェィッ!」
お上品に乗せたつま先から電流が走り、男が痙攣して地面を跳ねた。
「スケベは嫌いよ」
びくんびくんと痙攣した男は意識が戻り、ぎろりとこちらを睨んできた。
「て………てめえ! い、いったい何をしたぁ?!」
「てめえじゃないわ。エリィちゃん、でしょ?」
「うるせい小娘!」
男は予備の杖をポケットから出して魔法を唱えようとした。
「“
「スリリリリリリリリリリリリリリリィィィィィィップゥゥゥッ!!」
唱えたかったらしい“
ころりと杖が地面に落ち、電流の痛みで男が「はへはひ」とうめき声を上げる。
「ダメじゃない女の子に魔法を使おうとしちゃ」
「はへぇ………はへひ………」
「それで。なんであたしを狙ったのかしらね? スカーレットの差し金かしら」
「ち………ちげえわ」
「あらそう」
「くそっ……食らえ!」
まだ杖の予備があったようだ。
倒れたままローブに右手を突っ込んで、男が杖の先をこちらへ向けた。
「“
「ファファファファファファファファッ、ファイアボゥッッ!!!」
唱えたかったらしい“ファイアボール”は不発に終わった。
◯
「どうしてこんなことしたの?」
「ゾーイしゃんに言われたからでしゅ」
「ゾーイ? グレイフナー魔法学校光クラスのゾーイ?」
「そうでしゅ」
「なんで?」
「エリィちゃんに黒魔法“
「あらぁ。そういうことね」
よい子になった男が正直に答えてくれた。
なるほどな。白魔法師協会の実習前に“
段々とやることがエスカレートしてきたな。
いいぞ。スカーレットを追い詰めている証拠だ。
「それで、なぜあなたはゾーイから依頼を受けたの?」
「リッキー家経由のお仕事紹介でしゅ」
「リッキー家経由ですって? それがなんでゾーイなのよ?」
「よく知りましぇん。繋がりがあるんじゃないでしゅかね」
「あなたの他に何人ぐらい悪い子がいるの?」
「いっぱいでしゅ。ぼくちん、いつも単独のお仕事なので分かりまっしぇん」
他の情報を引き出したかったが、知らないならしょうがない。
このよい子ちゃんを警ら隊に連れて行ってもリッキー家の尻尾がつかめるとは思えない。潜入捜査させるのも無理そうだな。
クラリスとグレンフィディックに、リッキー家に加えてゾーイの動向も追ってもらうか。
「ふぅん、まあいいわ。あなた、もう悪いことするんじゃないわよ」
「わかった!」
「黒魔法が使えるんだから人の役に立つことをしなさい!」
「うん!」
「いいわね! まっとうなお仕事をするのよ!」
「はぁいエリィちゃん!」
あれだけ陰気な男が爽やかに笑い、手をぶんぶんと振って走り去っていった。
うん。よい子になってしっかり働くんだぞ。
さて、白魔法師協会に向かうか。
この実習は喜劇の一ページとして計画に組み込まれている。
エリィの優秀さを見せてスカーレットに“魔法で勝てない”と意識付けする予定だ。
スカーレットとゾーイは“
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