第202話 イケメン再び学校へゆく⑫


 翌日、無事に机が戻ってきた。

 スカーレット達があわてて放課後に移動させたんだろう。

 まったく卑怯で子どもっぽい。


 さらにあれから一週間が経過した。


 いじめは鳴りをひそめている。

 その間に着々と勉学に励んで優秀さを見せ、クラスメイトがエリィを可愛くなっただけではなく、勉強も魔法もできると認識し始めた。また、美人が光クラスにいるという噂がグレイフナー魔法学校中に飛び始め、知らない生徒がクラスをそれとなく覗く光景が増えてきた。


 日に日にスカーレットの機嫌が悪くなっていく。


 計画通り。

 いい感じに喜劇は進行している。


「あの……エリィ・ゴールデンさん。分からない箇所があるのでよろしければ教えてくれませんこと?」


 放課後の教室で帰りの準備をしていると、突然肩を叩かれた。

 エリィの心臓がどきりと跳ねる。


 今まで付かず離れずの距離を保っていた女子生徒が初めて声をかけてきた。


 きた……。ついにこのときがきたぞ。

 きっと誰かが話しかけてくれると信じてたぜ。


「お話しするのは初めてですわよね? わたくし、ピーチャン家のジェニファー・ピーチャンと申します」


 振り返ると、赤毛ソバージュの女子生徒が立っていた。

 眉毛が弓なりで、瞳の色はパープル。堀が深くて、唇が赤い。

 一見するといかにも魔女っぽい顔立ちだが、くっきり二重のおかげで温厚そうな雰囲気が漂っていた。


 ジェニファー・ピーチャンがこちらを見つめる。


「そ……そうですわね。初めてですわ」


 やばい。

 エリィの心臓が早鐘を打っている。

 顔がめっちゃ熱い。


「ごめんなさい急に声をかけてしまって。そんなに恥ずかしがるとは思いませんでしたわ……」

「ここ、こちらこそごめんなさい!」


 ぎゃーっ!

 どんだけ恥ずかしがってんだよエリィ!?

 ハーベストちゃんのときは授業中に筆談だったから恥ずかしがらなかったってこと?!


 あっつい。顔めっちゃ熱い!


「先週の授業で『魔物学・4』の質問をスラスラと答えていたでしょう? わたくし教えてくれる方を探しておりましたの」


 どうどう。落ち着けエリィ。

 はい、深呼吸。吸って、吐いて、吸って。オッケー。


「まあ。それなら得意ですわ」


 エリィが落ち着いてきた。

 砂漠、自由国境でかなりの魔物と戦ってきたから生態や弱点については詳しいぞ。


 隣にいるふっくら優しい系のハーベストちゃんが会話に入りたそうにしている。


 放課後の教室には、俺とハーベストちゃん、ジェニファー、スカーレット連中しかいない。ボブや他の生徒は帰宅していた。


 後ろを見ると、俺とジェニファー・ピーチャンの会話を聞いているスカーレット達がじろじろと睨みをきかせていた。あいつら、放課後わざわざ残っているのはハーベストちゃんが俺に話しかけないよう見張るためだな。これじゃハーベストちゃんが加わるのは無理だな。


 ごめん、というアイコンタクトを送り、ジェニファーへ顔を向けた。

 ハーベストちゃんはお饅頭のような丸いほっぺたを下げ、ひどく落ち込んだ顔をした。


「それでジェニピーさん。どちらの範囲ですの?」

「じぇ、ジェニピー? あの、エリィさん。わたくしの名前はジェニファー・ピーチャンなんですけれど……」

「ごめんなさい。すぐにあだ名を付けてしまう癖があって……」


 い、いかん。痛恨のミス。

 あまりに特徴的な名前だから自然とあだ名呼びをしてしまった。


 だって、ピーチャンて。

 どう考えてもあだ名はジェニピーでしょうが。


 ちなみにピーチャン家、めっちゃ領地数が多い有名貴族なんだよな。

 なんと保有領地数402個でグレイフナー王国第9位。


 ピーチャン鳥という鶏に似た鳥の養殖を経営の主力にしており、お金持ちでございます、とクラリスが言っていた。ピーチャンの卵はどの家庭の食卓にも出てくる大事な食材だ。


「まあ! あだ名ですの?! わたくし付けてもらったのは初めてですわ!」


 おおおっ。喜んでいる!

 長いソバージュをばっさと右手で跳ね除けて喜んでいる!

 セーフ。これはセーフッ!


「急にあだ名で呼んでしまって本当にごめんなさい。気に入ってもらえたならよかったですわ」

「ええ、もちろんですわ! これからもそう呼んでいただけると嬉しいですわ。それでエリィさん、お邪魔じゃなければ教えてくれませんこと?」

「いいですわよ」


 グレイフナー魔法学校の椅子は大きい。

 エリィの可愛い尻をズラせば、スレンダーなジェニピーは悠々座れる。


 ジェニピーはお上品に俺の横に座ると、腕に抱えていた『魔物学・4』を開いて、指を差した。


「自由国境の旧街道に出てくる魔物はなぜCランク以上しかいないんでしょうか? どうしても腑に落ちませんのよ」

「ああ。それはね、街道に使用されているレンガには、魔物除け効果のある“魔頁岩石”と、魔物が嫌う“金木犀キンモクセイ”が練り込まれているからよ。だからDランク以下の魔物は近寄ってこないの」

「まあ! そういうことだったんですの」

「学校にも“金木犀キンモクセイ”が植林されているでしょう? あれにも魔物除けの意味があるんじゃないかしら?」

「そうかもしれませんわね」

「教科書に理由が掲載していないのはいただけないわね」

「まったくですわ。この教科書、肝心なところが抜けているので困りますのよ」


 ジェニピーは領地経営の要であるピーチャン鳥の研究を今後する予定らしく、魔物関連にはかなり興味があるらしい。もともとピーチャン鳥も魔物の血を引いているそうで、配合実験が盛んに行われているとのこと。


 俺とピーチャンが楽しく話していると、後ろから声が掛かった。


「エリィ・ゴールデン、あなたがクラスメイトに物を教えるなんていいご身分になったじゃない」


 振り返るとスカーレットがお供を連れてふんぞり返っていた。

 また邪魔かよ。もう帰れよ。


「いけないかしら?」

「視界に入ると目障りだからやめてちょうだい。ジェニファー・ピーチャン。あなた、四年生になって急にエリィ・ゴールデンに話しかけるとはどういうこと? その意味が分かっているんですの?」


 ジェニピーはそれを聞いて弓なりの眉毛を不快げに寄せ、ため息をついた。


「スカーレット・サークレット、何が言いたんですの?」

「あなたマヌケなのかしら? 言葉にしなければ分からないの?」


 スカーレットが勝ち誇ったような顔で顎を上げる。

 それを受けたジェニピーは確固たる意思をもった目でスカーレットを見上げ、赤い唇を大きく開いた。


「わたくし、あなたのクラス内での振る舞いにうんざりしていたんですの。今期からミスリルの取り引きを減らすとお父様が仰っていたので、もうわたくしを縛る枷はございません」


 ジェニピーは艶のある赤毛ソバージュを手でパッと跳ね上げた。

 そういえば、彼女も俺とスカーレットとのやり取りを不快げに見ていたうちの一人だ。そういうことだったのか。


「ミスリルの備蓄は十分なので当面必要ございませんことよ。ミスリル繊維に関しても、新しい繊維が開発されている最新の情報を得ているので、ピーチャン家は今後サークレット家との取り引きを減らします。ここまで言えばお分かりになるでしょう?」

「な……そんなこと聞いてないわ……」

「分かったなら邪魔しないで。いまエリィさんとお話ししているの」


 ジェニピーがピシャリと言い切った。

 スカーレットは悔しげに下唇を噛み締め、眉をへの字にした。


 ゾーイと取り巻き連中もジェニピーの言葉に困惑する。


 おおっ。

 これはコバシガワ商会の営業陣がやっている活動が影響してるだろ。


 クラリス、ウサックス、ジャックと相談し、新素材『ゴールディッシュ・ヘア』の宣伝を有力貴族にして回っている。開発方法と魔力付与は伏せているが、かなり評判がいい。


 それに比べ、ミスリルは昔から存在する代わり映えしない素材だ。真新しさがまったくない。

 新しい素材が開発されれば誰しもが興味を持つだろう。

 しかも優秀な素材で料金がミスリルより安く、開発に王国も一枚噛んでいる、となれば話は早い。


 まさかこんなところにまで影響してくるとは嬉しい誤算。

 そしてスカーレットがいかに自家の権力に守られてきたのかが浮き彫りになった。


 よくやったコバシガワ商会営業陣!

 ボーナスがつんとアップするからな!


 それにしてもジェニピー、頭が良さそうだな。

 今の口ぶりからして、サークレット家の呪縛から逃れるため、わざと多めにミスリルを備蓄するよう父親に頼んでいたのかもしれない。


 もしくはピーチャン家が頭脳派集団か。

 高価な素材の占有は富が一点に集中することを理解しており、サークレット家に対して有利に動けるよう、何代もの時間をかけてミスリルを備蓄していた可能性がある。そうでもしないと少量高単価の素材を備蓄などできないだろう。


 何にせよ、クラスに二人も友達ができそうじゃん。

 嬉しくて泣くかも。まじで。


「いい気になっていられるのも今のうちよ! エリィ・ゴールデンなんかグズでノロマのブスなのよ! すぐに分かるわ! よく憶えておきなさいジェニファー・ピーチャン!」


 スカーレットは大声で言い放ち、鞄を大きく振って教室から出ていった。

 取り巻き連中とゾーイがあわててその後を追う。


 俺とジェニピーはその後ろ姿を見つめ、消えると同時にため息をついた。


 隣の席に座っているハーベストちゃんも残念な人間を見るようにスカーレット達の背を追って、こちらをちらりと見た。スカーレットが戻ってくるかもしれないため、ありがとう、と笑顔とアイコンタクトを送っておく。


「まったく……スカーレット・サークレットはレディの風上にも置けませんわ」


 ジェニピーがきつめの口調でつぶやいた。

 そして彼女は表情を引き締め、逡巡すると、パープルの瞳を俺に向けた。


「エリィさんに謝らなければいけませんわ……。わたくし、ずっとあなたとお話ししたいと思っていたの。それなのに家の事情を優先し、先延ばしにしていたんですのよ。もし、わたくしとお話しするのがお嫌でしたらもう話しかけませんわ。でも……あなたさえよければ……こうしてお話ししてくれたら……嬉しいですわ」


 ジェニファー・ピーチャンは真剣な面持ちで訥々と胸のうちを語った。


 放課後の喧騒は静まっており、廊下からは数名の生徒が歩く音が薄っすらと聞こえてくる。


 夕方前の斜めになった陽の光が、柔らかく教室にこぼれていた。


「どうして私と、その……話したいと……?」


 エリィが恐る恐るといった様子で話しかける。

 そりゃあクラスメイトが今まで何を考えていたのか気になるよな……。



 ジェニファーは確信めいた瞬きをし、にっこりと笑った。



「めげないあなたが好きなんですの」



 彼女は嬉しそうに言った。



「……」



 その言葉は俺とエリィの胸に深く刺さった。


 日記に書かれていた出来事や、今までの努力が走馬灯のように脳裏に浮かんでは消えていく。


 孤独な教室。

 陰湿な悪戯。

 言葉の暴力。


 ひたむきにスカーレットに抗議し、ボブの女性を見下す辛辣で刺々しい言葉にもエリィは耐えてきた。

 いつか友達ができる。魔法を練習すればきっと仲良くしてもらえる。そう思って、毎日毎日学校に通った。


 希望はわずかしかなかった。

 昼休みにクリフと会える。

 ただそれだけを心の拠り所にし、エリィは負けずに通い続けた。


 日記には何度も『もう行きたくない』『学校をやめたい』と書いていたが、それでも彼女はめげなかった。

 エリィは本当に強い女の子だった。


「あんなに酷いことをされてきたのに、ずっとスカーレットに反論していたでしょう? わたくしだったら……とっくに心が折れていると思いますわ……。その……本当に……あなたがつらそうなときに声をかけてあげれなくて……今でも後悔しております……」


 ジェニピーは紫の瞳をうるませ、ハンカチで目元を隠した。

 感情が高ぶったのか声が震えている。


「間に合ってよかったですわ……。もう四年生ですけれど………ひっく………あなたと話せて………わ、わたくし………嬉しいですわ……」


 気づけばぼろぼろと涙がこぼれていた。

 抑えきれない感情が溢れ、堰を切ったように大量の涙が頬をつたい、まぶたが燃えるほど熱くなる。


「あ……ありがとう………」


 エリィが言った。


「本当に………本当に………嬉しいですわ………」


 ジェニピーも我慢できないのか、声が震え、顔が赤くなり、何度も何度もハンカチで涙を拭う。


「あなたがいなくなって……死んでしまったのではないかと………本当に不安で………こうして無事に………お話しができて………」


 エリィの瞳とジェニピーの瞳から、感極まった熱い雫がこぼれた。


 彼女と目が合うと、今までの学校生活が思い出され、お互いが何を感じていたのかがなんとなく分かり、またとめどもなく涙があふれてしまう。



 エリィ……。

 見ていた。クラスメイトは見ていた。

 お前が頑張っていた姿を見てたんだぞ。


 彼女も悩んで、どうにかしようと頑張ってくれてたぞ。

 ちくしょう……。

 涙が………止まらねえよ………。

 異世界来て何回泣けば気が済むんだよ俺。


 ああ、エリィ。

 よかったな。本当によかった。

 俺なんかがいなくったって……いつかおまえには友達ができていた。

 それが分かって本当に嬉しい。


 横からも鼻をすする音が聞こえてきて、見るとハーベストちゃんが号泣していた。

 彼女の顔は喜びと悔しさで半々になっており、いかんとも言い難い複雑な泣き顔になっていた。


「ハーベスト・グリーンさん……あなたもそうなんでしょう?」


 いくぶん落ち着いたジェニピーがハーベストちゃんに声をかけた。

 ハーベストちゃんは突然話しかけられ呆けた顔をした。


「へ……?」

「わたくし、ずっとあなたのこと見ていたんですのよ。わたくしと同じことを考えているってすぐに分かりましたわ。あなた、しょっちゅうエリィさんのこと見ていたでしょう?」

「分かっちゃいましたか……?」

「ええ。あなたのお家の状況は分かっているつもりです。どうにかして差し上げたいんですが……学生の身分で他の家のお仕事に口出しするのは分不相応ですわ。あなたさえよろしければ、わたくしの父に相談してみましょうか?」

「いいんですか!?」

「ええ。実はわたくし……あなたを見て、あなたの姿をいつも自分に投影しておりましたの。言ってしまえばハーベストさんはわたくしの分身のようなものですわ。こんなこと急に言われてたら……嫌な気分になるかもしれませんけれど……」

「そんなことありません。私なんか、ただ指を加えて見ていることしかできませんでしたから」

「この話はあなたのお父様にも利益がございます。新素材ができれば、ミスリルの需要は大幅に減りますわ。そうなると、今の運搬のお仕事もなくなると思いますわよ」

「そ、そんなことになってるんですね」


 ハーベストちゃんはのんびりした丸顔をいくぶん引きつらせた。

 ちょっぴりはな水が出ていたのでハンカチで拭いてあげる。


「そうですわ。それとなくお父様にお伝えください。わたくしも父に聞いてみますから」

「ありがとうございます!」


 感激して諸手を挙げるハーベストちゃん。


 ハーベストちゃん、素直で可愛い。


 にしてもジェニピー、めっちゃ優秀だな。

 俺がいつかハーベストちゃんに言おうと思っていたこと全部言っちゃったよ。

 ビジネス教育を家でかなり受けているんだろう。

 話が合いそうで嬉しいぞ。


「ハーベストちゃん、しばらく今の状態で頑張りましょう」


 俺からも彼女に声をかけておく。


「クラスで誰にも気にせずおしゃべりできるのを楽しみにしてるわ!」


 ハンカチで涙を拭きながら笑った。


「エリィちゃん! 本当にごめんね! ごめんねえええぇっ」


 ハーベストちゃんはやっぱり三年間何もできなかった自分が悔しいらしい。

 ごめんねごめんねとまた泣いている。


 なんかあれだな。権力を笠にきて、エリィに友達ができないよう画策していたスカーレットがますます嫌いになってきたぞ。


「明日、白魔法師協会の実習があるでしょう? 三人でグループになるからみんなで組みましょうよ」

「それならちょこっと話しても大丈夫だ! さすがエリィちゃん」

「まあ、それは素敵! すごく素敵だわっ!」


 ハーベストちゃんが泣き止んでまた両手を挙げ、ジェニピーがお嬢様らしく両手を胸に当てて微笑む。


 よっしゃ。まさかこんな最高の形で友達ゲットできると思わなかったぜ。

 予定より全然早かったな。

 しかもこんなにエリィのことを考えてくれていたなんて……。涙がドゥビドゥバーだわこれ。


 スカーレットの姿がないことを確認し、俺とハーベストちゃん、ジェニピーは三年間の空白を埋めるように色々と話した。


 途中、エリィ自身がしゃべることが多かった。

 彼女も喜んでいるんだろう。


 おしゃべりしているとアリアナが迎えに来てくれたので、彼女のことを二人に紹介する。


 二人はアリアナの可愛さに驚いたあと、すぐに打ち解けた。

 全員、若いながらも心に一本芯が通っているので、その辺を互いに感じ取ったのかもしれないな。


 何にせよ輪がどんどん広がっていく。

 これはいい学校生活になりそうだぜ。


 俺達は退室時間になるまでしゃべり続けた。

 用務員に帰りなさいと言われる頃には窓から西日が差し込み、教室がオレンジ色に染まっていた。


 名残惜しくも明日からの学校生活を思えば、足取りは軽かった。















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