第173話 オシャレ戦争・その7
「あ、あの、ごきげんよう。グレイハウンド・サウザンドの娘、パンジー・サウザンドでございます」
エリィマザーの視線を浴び、あわてて立ち上がってレディの礼を取るパンジー。
「エリィさんと、本日お食事をさせていただきました。そこで私のおじい様……祖父のグレンフィディック・サウザンドがエリィさんを養子にすると言って。それで、あの、エリィさん達が帰ったあと、おじい様にミラーズへ協力するようお願いしたのですが全く聞く耳を持ってもらえず……」
「それで家を飛び出してきたのね?」
俺がそう尋ねると、パンジーは破壊されたドアと抱きしめ合うゴールデン夫婦を見て目を白黒させながら、こくりとうなずいた。
「エリィさんごめんなさい……あのあと何度もお願いしたんだけど、おじい様の考えは変わらなかったの……」
「いいのよパンジー、ありがとう。それより家出なんてして大丈夫なの?」
「……だめ……かも。でも、しばらくおじい様の顔を見たくない」
「まあ、そんなに困った顔して。こっちに来なさい」
俺がパンジーの手でも握ってやるかと思っていたら、それより先にエリィが勝手に動いて彼女を抱きしめた。エリィより少し背の低いパンジーは俺の肩に顔をうずめる。左手がパンジーの細い腰を優しく抱き、右手がゆったりとした動作でパンジーの後頭部を往復した。そのあと、後ろから来たアリアナがパンジーの背中を撫でた。
「あなた達、随分と仲がいいみたいね?」
ハワードに助けられながら立ち上がり、エリィマザーが俺とパンジーを見てくる。
「そうなの」
「そう見えるならすごく嬉しいです」
俺とパンジーが同時に言った。
今の言葉「そうなの」は八割方エリィが言ったな。おそらく、エリィはパンジーのことを気に入っているのだろう。恥ずかしがりなところとか、意外と芯が強そうなところとか、この二人、結構似てるよな。
母アメリアは困惑とも感心とも取れるため息をついて、少し肩をすくめてみせた。
「……いいでしょう。パンジー嬢、中にお入りなさい。ハイジ、玄関とダイニングルームのドアを修繕してちょうだい」
「かしこまりました」
クラリスの娘ハイジが恭しく一礼すると、もうすでに準備を始めていたのか使用人が工具を持って集まってきた。
アメリアは全員を談話室へ誘導し、眉毛をハの字にして流麗な所作で一礼すると、謝罪した。
「お集まりの皆さま。取り乱してしまい、申し訳ございません。わたくしのことは気にせず、どうかエリィにお力をお貸し下さい」
彼女の悲しげで憂いを帯びた微笑は、見た者の心に何か特別な憐憫を感じさせた。あれほど人間が怒る姿はこの世界といえど、滅多に見るものではないようだ。ミラーズ、コバシガワ商会の面々は、気にしていない、という気持ちを言葉にしてはっきりとアメリアに伝える。
その後、一気に場が慌ただしくなった。
ミラーズとコバシガワ商会から目利きができるセンスのいい従業員を選抜して隣国のメソッドへ買い付けの先行をさせ、ウサックスと商会のメンバーは今後の対策を立てるべく商会へ戻った。
説得対象の店と知り合いがいる従業員が急いで話をしにゴールデン家を飛び出し、ミサとジョーは『ウォーカー商会』『サナガーラ』の離反を引き延ばせないかの検討と、30%の入荷漏れへの対策と商材の方向性を決めるべく、一度ミラーズへ戻った。
母の怒りについては気を使って誰も触れてこない。特殊な事情があると察したのだろう。あれだけの怒りを見せられ、従業員達は各々感じるところがあったのか、なにくそサウザンド家、という顔つきになっていた。
クラリスの先導で大きなソファが置かれた談話室へと足を運んだ。メンバーは、父、母、ゴールデン家四姉妹、クラリス、バリー、ハイジ、ゴールデン家の主要な使用人、アリアナとパンジーだ。アリアナは遠慮していたが、もはや彼女とは一心同体だということを伝えたら、嬉しそうにしてついてきてくれた。どうやらパンジーにも関係した話のようで、アメリアが彼女の同席を求めた。
俺達はソファに座り、使用人がドアの前に並んだ。どこからともなくクラリスとハイジがハーブティーを持ってきて、一息ついたところでアメリアが口を開いた。
「これから話すことは私の出生についてです。エドウィーナ、エリザベス、エイミー、エリィには、私の両親はすでに他界していると話しましたね?」
なるべく感情を込めないようにしているのか、母が微笑をこちらに向けてくる。四人がけソファに一列に座った俺達はお互いに顔を見合わせて、うなずいた。
エドウィーナは長女らしく落ち着いた表情、エリザベスはいくぶんか顔をこわばらせ、エイミーは真面目な顔で、そしてエリィは母アメリアに微笑を返す。
娘達の反応に満足したのか、母は一度深く瞬きをした。
「私の母は、良くも悪くも、女でした。一人の男に恋をして、そしてその男に捨てられたにも関わらず、いつまでもその男のことを愛していました……」
アメリアは悲しさが込み上げてくるのか、ごまかすようにハーブティーを左手に取って口元へ運ぶと、飲まずに香りだけ嗅いだ。ハワードが優しくアメリアの右手を自分の手で包み込むと、彼女は安心したのか、ゆっくりとカップをソーサーへ戻した。
「私の母親は、マースレイン出身のごく普通の農家の生まれです。名前は……あなたと同じ、エリザベス、と言います」
母アメリアはエリザベスを見つめた。
「あなたが生まれたとき、私とお母様に似た目をしていたので、同じ名前にしました。随分悩んだのだけどね、ハワードがそうしなさいって言ってくれたんですよ」
「まあ……」
エリザベスが驚いて母を見つめ、優しげな眼差しを向ける父ハワードへ顔を向けた。
「私は、お母様が大好きで、大嫌いでした。忘れようとも思ったけど、ハワードがそれは駄目だと諭してくれてね……だからあなたを見ると、いつも母を思い出していたのよ。もちろんあなたのことは大好きです、エリザベス」
「私もですわ、お母様」
「ありがとう。嬉しいわ」
似た瞳を持つアメリアとエリザベスはお互いに微笑みを交わした。
「……私のお母様、つまりあなた達のお祖母様であるエリザベスは、私を産むと同時に、独り身になったわ。母は恋をしてはいけない人物と恋に落ちてしまったのよ。その男が……サウザンド。グレンフィディック・サウザンドよ」
息を飲む音が談話室に響いた。
全員、驚きで声が出ない。
つまり、母アメリアの父親はグレンフィディック・サウザンドで、エリィの祖父にあたるってことだよな。
ちょっと待てよ……じゃあパンジーとエリィは、従姉妹になるのか?
おいおいまじかよ……。
てかさ、サウザンドのじじいはそれを知っていてエリィを養子に取ろうとしているんだよな。どんな神経してるんだよ。意味分からんし、根性を疑うわ。ないな。まじでないぞあのじじい。
パンジーの座るソファへ視線を滑らすと、彼女とばっちり目が合った。パンジーは信じられないという顔をし、隣に座っているアリアナは驚きで俺達を交互に見ながら狐耳をぴくぴくさせている。
パンジーはエドウィーナ、エリザベス、エイミーとも視線が合い、どう反応していいか分からず、目を伏せて長い前髪で顔を隠した。
ドア付近にいるクラリス、バリー、ハイジ、使用人達は驚きとともに、強烈な怒りをグレンフィディック・サウザンドに感じたのか、姿勢を正したまま無表情を取り繕って顔面をひくつかせている。
「私の父親は、グレンフィディック・サウザンドです。つまり、あなた達はあの男の血縁者、ということになるわね。ただこれは公表していない事実であり、サウザンド家としても認められないでしょう。それは、私が火魔法の適性者だからです」
「あっ……おじいさまの子どもだったら、必ず光魔法適性になるはず……」
パンジーが理由を思い付いてつぶやいた。自分でもその発言をするつもりはなかったのか、すぐに彼女は顔を伏せた。
「そうよ。サウザンド家は男が女を孕ませた場合、その子どもは必ず光魔法適性になる特別な家系だわ。でも、私は適性を持たなかった。あの男は、農家の娘と子どもを作ったことを公表せず、認知する勇気もなく、母にお金だけを渡して、二度と母の前に姿を見せなかったわ」
アメリアは眉を寄せ、つらそうに唇を噛んだ。
「お母様はあの男が来てくれると信じて、いつも身綺麗にしていたわ。戦場へ行った夫の帰りを待つみたいに……初めて恋をした生娘みたいに……いつもいつも、夜になると窓の外を見ていたの。私は毎晩聞いたのよ。お母様はどうして外を見ているの、って。そしたらお母様は笑ってこういうのよ。『いつかお父さんがアメリアに会いに来るのよ』って。私は、信じていた……ずっとあの男が来てくれることを信じていた……」
アメリアが込み上げてくる悲しい思い出に耐え切れなくなると、瞳に溢れていた涙がはらりと崩れ、糸を引くように二筋の光が頬を伝った。落ちた涙は、彼女のスカートに吸い込まれ、鈍いしみを作った。
「私は小さい頃、自分の父親がどんな人なのか想像して楽しんでいたわ。でも時が経つにつれ、もう父親は自分に会いに来ないんじゃないかと疑うようになって……その不安をお母様に質問することでごまかしたわ。お母様は、私がいい子にしていれば、きっと父が会いに来てくれると何度も言ってくれた。でも、今になって思えば、あの言葉はお母様が自分自身に言い聞かせていたことだったのよ。私は毎晩窓の外を見るお母様を喜ばせるために、頑張って勉強をして、グレイフナー魔法学校の試験に合格したわ……」
アメリアはポケットからハンカチを出して、涙を拭いた。
グレイフナー魔法学校の入学試験は、筆記テストと複雑な魔法適性検査だ。魔法適性が低くとも筆記テストで上位に食い込めば入学ができる。グレイフナー王国は数多くの研究職を抱えているため、魔法の才能がある生徒の他に、勉強のできる生徒も確保したいんだろう。
アメリアは懸命に勉学に励んだ幼少期を思い出したのか、涙が次から次へと溢れ出ていた。ハンカチで拭いても嗚咽が止まらず、しばらく談話室に母の泣き声が響いた。
なんとか悲しみを押しとどめ、アメリアは再び声を発した。
その声は震えていた。
「私が十二歳のとき……お母様は死んだの。入学式のすぐあとね……。お母様は、ずっと病気のことを私に隠していたのよ。私はそれに気づかなかった……そして、あの男が……白魔法師のあの男が来ていれば……お母様は死ななかった。死ななかった……」
「アメリア……」
ハワードがアメリアの手を強く握り、彼女はそれを握り返す。
「お母様は死ぬ間際にこう言ったわ……あなたの父親はサウザンド家当主、グレンフィディック・サウザンドよ。ああ、最期に会いたかったな、って……。お母様は、最期まであの男のことを悪く言わなかったわ。……私は、許せなかった。たった一度でも会いに来てくれれば、どんなにお母様が喜んだか、あの男はちっとも理解していかなった。ああっ……今こうしているうちも、窓の外を眺めていたお母様の横顔ばかりが浮かぶのよ……」
アメリアはそこまで言い、ハワードの肩に顔をうずめて声を上げて泣いた。何年も溜め込んでいた涙は止めどなく溢れてくるのか、泣き声が談話室に響く。
ハワードは優しくアメリアの頭を撫でてやり、自身も涙を流していた。
気づいたら、俺は隣にいるエイミーと手を取り合っていた。目の前がぼんやりすると思ったら、視界が水浸しになっていた。ハンカチを出して目元を拭うと、エイミーがおんおんと泣きじゃくっている。エドウィーナとエリザベスも目を真っ赤にして抱き合っていた。
パンジーは洟をすすりながら泣き、アリアナに頭を撫でてもらっている。そのアリアナもぽろぽろと涙を流していた。
ドア付近にいる使用人達はひどい有様だった。
クラリスは顔面をしわくちゃにさせて「おぐざま……」と言いながら号泣し、バリーは立っていられないのか中腰になって顔中から水分をほとばしらせており、ハイジは美人の面影などなく、声を抑えつつうわんうわんと大口を開けて泣いている。
「私は……とてもじゃないけど、あの男を許すことなんてできない。エリィがあの男と会うことすら不快に思うわ。でもね……エリィとパンジー嬢を見て、少しだけ胸のつかえが取れたような気がしたのよ。あなた達が惹かれ合っている姿を見て、二人が従姉妹としてお付き合いをすることには、何も問題はない。血の繋がりは捨てられないと……」
「お母様……」
「パンジー嬢がゴールデン家にしばらくいたいなら、是非そうしてちょうだい。あなた達が仲良さそうにしている姿は、見ていて何だか心が温まるわ」
母アメリアが寂しげな笑顔でパンジーに笑いかける。それを受けたパンジーはレディの仕草も忘れてごしごしと涙を袖で拭うと、しっかりと正面を見据えた。家に来てから、うつむきがちだったパンジーが、ゴールデン家に来て初めてしっかりと顔を上げた瞬間だった。
「私、おじい様が嫌いになりました……」
やるせなさと申し訳なさをない混ぜにしてソファから立ち上がると、パンジーが深々と頭を下げた。
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