第172話 オシャレ戦争・その6
エリィマザーは引きちぎったテーブルクロスを両手から落とした。
柔らかなテーブルクロスが地面に落ちるわずかな音が室内にこぼれる。
ゆっくりと、巨大な重機が数百トンの物体を持ち上げるように、重々しくマザーが顔を上げた。
母の顔には表情がなかった。
顔面は蒼白になっており、額には大きな青筋が三本ほど浮かんでいる。奥歯を限界までかみしめているのか、別の生き物のように顎の筋肉がひくつき、首筋の筋肉が硬直と弛緩を繰り返していた。
一秒とも一分とも取れる痛いほどの沈黙が過ぎると、爆炎のアメリアと呼ばれたエリィマザーは猛禽類のごとく目玉が飛び出でんばかりに両目を見開き、口裂け女も逃げ出すほどに両頬を引き攣らせて大口を開けた。
あまりの恐怖に全員が凍りついた。
背筋に大量の氷を流し込まれ、心臓を鷲掴みにされたかのような戦慄が全身を襲う。
気の弱いメイド数名が「ぴゃあ」と言って失神し、ダイニングルームの床に倒れた。他の使用人やメイドも他人を助ける余裕がなく、恐れで内股になって足を生まれたの子鹿みたいにぶるぶる震わせている。隣にいる旦那、ハワードの顔からは大量の汗が噴き出していた。
母アメリアは恐ろしげな顔のまま大きく息を吸い込み、叫び声を上げた。
「きえええええええええええええええええっ!」
ダイニングルームに耳をつんざく怒りの雄叫びがこだまする。
ゴールデン家の使用人数名が腰砕けになってその場にへたりこみ、ミラーズとコバシガワ商会の女性スタッフ数名があまりの恐怖に「ママはどこぉ」と幼児がえりを始めた。
母アメリアは目にも止まらぬ速さで腰に差していた杖を引き抜き、ダイニングルームのドアを“
ドグワッ!!
ボギャバガァァッ!!!
ごろごろごろごろ
ぱらぱらぱら……
ひぃぃぃいぃっっ!
ヒヒーン
ヒーホーヒーホー
うえーーん
爆散した破片と爆風で周囲は阿鼻叫喚の絵図と化す。
アリアナが“ウインドブレイク”で咄嗟にドア付近の被害を食い止めたおかげで全員尻もちをつく程度で済んでいる。念のため、すぐさま白魔法下級、エリア回復魔法“
「あのじじいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! ブチ殺す! 粉々に弾き飛ばすっ! 女の敵ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!!」
自分の目の前にあったテーブルを拳で叩き割り、母はずんずんとダイニングルームから出ようとする。
アメリア母ちゃん怒りすぎいいいいいいいいいっ!!!
まじこええ! まじこわすぎるって!
「ま、まずい! アメリアを止めてくれ!」
父ハワードが焦ってまだ意識を保っている連中に向かって声を張り上げ、自身も前方へ飛び出す。
俺とアリアナは顔を見合わせ、身体強化“上の下”をかけて一気に母アメリアへ飛びかかった。すると、クラリス、バリー、ハイジ、メイド二名も彼女へと飛びついた。
俺とアリアナが母の右腕と左腕、ハワードは腰に、クラリスとハイジが両足に、バリーとメイド二名は間に合わずハワードに飛びついた。
「こーろーすぅぅぅぅうううううううう! あのじじいをぉぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
そう言いながら、アメリアは身体強化したのか全員をずるずる引きずりながら前へ進んでいく。
「お母様を捨ててえぇっ! エリィまで! 許せないッ! もう耐えられない! ブチ殺すッ!」
「何してる! 誰でもいい! 早くとびつけ!」
ハワードが必死の形相でアメリアの腰にしがみつき、絶叫する。振り返ると動けるようになったらしいエイミー、エリザベス、エドウィーナが走ってきて俺とアリアナにしがみついた。
「お母様おちついて!」
「今行ってもサウザンドは倒せません!」
「サウザンド家に喧嘩を売るのはまずいですわ!」
「コバシガワ商会! ミラーズ! 立ち上がって! 急いで!」
最後に俺が叫ぶと、弾けるようにしてテンメイ、ウサックス、フランク、ボインちゃん、従業員十名が雄叫びとともに突進してきてバリーの足にしがみついて数珠つなぎになり、続いてジョーとミサ、ミラーズ店員の女子八名がクラリスとハイジにしがみつく。
それでも母は止まらない。
二十人以上を引きずりながらダイニングルームを出てエントランスへ進む。
身体強化“上の中”まで行使しているらしい。魔力の波動がやばい。
訳の分からない叫びや絶叫、わめき声、泣き声がゴールデン家のエントランスに響き渡る。ロボット兵のごとく母アメリアはじわりじわりと玄関まで進むと、しがみついているアリアナとエリザベスごと、左腕を振り上げた。重厚な扉を拳で破壊するつもりだ。
左腕にしがみついていた二人は、神に祈りを捧げて目を閉じた。いやいや、死ぬわけじゃないからやめて?!
バギャアッ、という分厚い木が折れるような音が鳴って扉が弾け飛び、アリアナとエリザベスが空中へ放り出される。アリアナはうまく空中で体勢を直すと、着地してエリザベスを受け止めた。
「きゃああああああっ!」
同時に、玄関の前にいたらしい人物から叫び声が上がった。
怒れる鬼神と化した母アメリアはその人物に目を向けると、怪訝な横顔になって動きを止めた。
「ど、どどど、ドアが急に壊れてっ……エリィさんとアリアナさん?! あとエリィさんのお母様、ですかっ?!」
なぜか桃色の髪を揺らすパンジーが半泣きで玄関前にへたり込んでいた。
よくわからんがチャンスは今しかない!
「黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり。愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ……“
身体強化を切って、“
沈静の効果がある“
輝く“
さらに魔法をアメリアへと唱え続けると、願いが通じたのか鬼神の怒りは鎮まり、いつもの母親の顔に戻った。
「エリィ、本当に浄化魔法を使えるようになったのね。すごいわ。母として……魔法使いとして私はあなたを尊敬します」
「お母様……」
エリィが安心したのか、ぽつりと呟いた。
いやーよかった。まじでビビったわ。こんなに焦ったの日本でもないかもしれねえよ。
「アメリア」
ハワードが心配した顔で、自分の最愛の妻アメリアを抱きしめた。
こわばっていたアメリアの身体が弛緩し、ハワードの肩へ頭を乗せた。
「怒る気持ちは分かる。だが、娘と客人の前であんなに怒ったら駄目じゃないか」
「あなた……ごめんなさい。私、あの男の名前を聞いたら胸の中がごちゃごちゃになって……。エリィを養子にすると聞いてどうしても許せなくなって……」
「みんなに事情を話そう。もうエリィも十五歳だ。話すべき時がきたんだ」
「ええ、そうね……。エリィ、エイミー、エリザベス、エドウィーナ、あなた達に話があります。それから皆さん、驚かせてごめんなさいね」
エリィを含めた四姉妹が母の手を握る。
またエリィの手が自動で動いたな。
にしても、ここまでエリィマザーが怒るって、グレンフィディック・サウザンドといったい何があったんだ?
「あ、あのエリィさん……」
おずおずとパンジーがうつむき加減でこちらに声をかけてきた。
ああ、そうだった。パンジーがなんでゴールデン家に来てるんだ。しかもこんな夜にお供も連れずに。
「私、おじいさまが許せなくって家出してきました。しばらくお家に置いてもらえませんでしょうか。お手伝いでも何でもしますから!」
「家出ですって?!」
「あなた、たしかサウザンド家の……」
アメリアはパンジーの顔に覚えがあったらしく、訝しげな表情で彼女を見つめた。
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