第6話 エリィの日記③
それにしてもさぁ、子どもネタは昔から弱いんだよ。映画だってドラマだって子どもが絡んでくると、涙腺がゆるくなってしまう。
それに、エリィが自分自身を初めて認めたのだ。両親には心配されるばかりで認められず、美人な姉三人とは毎日のように比較され、クラスでは陰湿ないじめにあい、友達ができなかったエリィ。内気で弱気で、それでも優しい心を持っているエリィが、ようやく自分を認めることができ、居場所を得たのだ。
エリィ、おまえは本当に強い子だよ。
自分が同じ境遇だったなら、どうなっていたか見当もつかない。
家族が美男美女すぎて比較してしまい、クラスではいじめられて友達もいない。それなのに、おかしいことをされたらいじめっ子に勇気を出して進言し、愛する人のために孤児院で朗読の練習をし、子ども達にデブだデブだとバカにされても冷たくせず、真心があれば必ず伝わると清らかな心を持って人と接していた。
彼女は素晴らしい女性だ。聖母のような女の子だ。
クリフは、そんなエリィの優しさに惹かれて朗読をお願いしたんだろうな。
しかもエリィは無謀にもクリフの目を治そうと、光魔法の研究まで始めていた。
かなりの本を図書室で読んで、相当量の練習をしていたようだ。どうやら魔力量が少ないので、練習は捗っていなかったみたいだが、普段の勉強をしっかりやって、その後にできる限りの資料を集めていた。
日記は冬休み、正月、三学期へと入る。学校の休みの周期は日本とほとんど変わらないみたいだ。
エリィは昼休みにクリフと会い、孤児院で朗読をし、空いた時間で光魔法の特訓をしていた。字体が一年生の頃よりはっきりとしたものになり、自分に自信がついてきたのではないかと予想する。事実、いじめの首謀者であるバカ二人を、堂々と反論して追い返していた場面もあった。
クラス内では、やはり居場所がなくてつらい、悲しいと書かれていたものの、一年生の頃より陰湿なシーンは出てこなかった。
これは、このまま何事もないまま日記が終わるのではないだろうか、と思ってしまう。
自分に自信のないひとりの女の子が、自分の居場所を見つけて一生懸命頑張る日記なのだ。あの雷雨の日、池に落雷したのは単なる偶然で、彼女の悲痛な号泣や絶望にゆがんだ顔は、魔法の研究がうまくいかなかったからではないか。そう予想して結論づけようと、次のページをめくったところで、手の震えが止まらなくなった。
日記の文字が殴り書きになっている。
彼女のものとは思えない、傾いた汚い字で、長文が記されていた。
『1005年3月10日
クリフ様がいなくなってしまった。
図書室の奥にある歓談室には書き置きがあった。走り書きで「エリィ、ごめんね」とだけ書かれていた。くずれた字体はクリフ様が書いた物に間違いなかった。私は混乱した。学校中を探し回った。グラウンド、屋上、食堂、演習場、職員室、魔法実験室。クリフ様のいた四年生の光魔法の教室に行ったときは、なんだこのデブはという目で見られたけど、そんなの関係ない。
いない。クリフ様も執事もいない。
私は昼休みが終わって始業時間になっても、歓談室にあった置き手紙を見て、学校中をうろうろとした。
嫌な予感がしていた。本当は分かっていた。
クリフ様はセラー教皇の孫だ。次男だとしても、地位は私より遙かに高い。あの方の祖国で何かあったのかもしれない。
私は心配でどうしていいか分からず、書き置きを胸に抱いて何度も泣いた。
泣いたってクリフ様は戻ってこない。そんなことは分かっている。
放課後になって校長室のドアを叩き、行方を聞いた。校長は白いひげをいじっているだけで何も教えてくれない。
私はクリフ様が住んでいる、町で一番大きな教会に行って、神父に行方を聞いた。笑うだけで何も答えてくれない。
とにかく教会の店や民家に入って、所在を聞いて回った。誰も知らない。クリフ様の存在を知っている人も少ない。あんなに目立つ人だから、誰か知っていてもいいのに。
夜になると教会騎士が私を捕まえて、不敬な行動を慎むようにと、その区域から放り出されてしまった。
あの笑顔をこんなに簡単に失ってしまうとは思っていなかった。いつかはお別れが来るとは分かっていたけど、突然すぎて心がついていかない。胸が張り裂けそうだ。
クリフ様がいなくなるなんて、私には耐えられない。
私は誰かになぐさめてほしくて孤児院に行った。
だけど。孤児院はなくなっていた。
戦争でもあったかのように、建物が全壊し、燃え尽きていた。消火活動をしている警備団しかいない。
跡形もなくなっている。
見間違いかと思って来た道を引き返した。間違っていなかった。そこには孤児院があったはずだった。
私はその場にいた警備団のひとを捕まえて、事情を聞いた。
彼は盗賊の襲撃があって子どもは全員さらわれた、と言った。
もうなにがなんだか分からない。
いない。誰もいない。
私は走った。町の外へと走った。
デブだから何度も転んだ。
起き上がって走った。
誰もいなくなっていた。
途中、見廻りをしている警ら隊につかまった。事情を話すと、家に帰れと言われた。
帰れないと言ったら、馬車に乗せられて、無理矢理、家まで護送された。
お父様とお母様は私の泥だらけになった姿を見てカンカンに怒っていた。そんなことはどうでもいいのに。
頭の中がぐるぐるする。なんでこんなときに日記を書いているのか分からない。
クリフ様と子ども達がいないのに、私はなんで自分の部屋にいるんだろう。
分からない。つらい。かなしい。
クリフ様。クリフ様。誰か助けて』
走り書き、というよりは殴り書きだった。
最後の一行など、彼女の几帳面さからほど遠い、書いた文章の上から書かれたものだった。
その先が気になり、動悸が激しくなるも太い指でページをめくった。
次のページは、前のページの比ではないほどに、荒れていた。
なんとか字の体裁を保ってはいたが、長時間彼女の字を読んでいなければ、判別は難しい。それほどの殴り書きだった。
『1005年3月11日
リッキー家の長男、ボブ!
許せない!
孤児院がなくなったのはあいつのせいだ!
檻つきの馬車に乗せられていく子ども達を見た!
私は見たんだ!
あいつは孤児院の焼け跡を見て笑っていた!
あいつの父親は孤児院の管轄だ!
絶対に何かやったに決まっている!
許せない!』
優しかったエリィの激情に、呼吸が荒くなった。
ひどい胸焼けがし、思わず両手で胸元のパジャマを握りしめる。
あの大人しく優しいエリィが、他人のことを「あいつ」と書くなんて信じられない。
どんなにいじめられても、ひどい言葉は今まで一言も出てこなかった。ここまでエリィが言うなんて、リッキー家の長男ボブは何をしたんだ。
子ども達が、檻つきの馬車に乗せられていた?
檻つき、ということは護送車のようなもので、もちろん逃げられないようにするためだろう。
これは許せない。
事実関係を確認した後、立ち直れないほどの罰を与えるべきだ。
さらにページをめくる。
『町の裏路地でローブを着た老人に会った。
必要な物を召喚する魔法陣の書き方と、落雷魔法の呪文を教えてもらった。
どのみち、もう私には何もない。
魔法が成功すれば、クリフ様が召喚できるかもしれない。
落雷魔法はボブに使おう。
なんてね。
こんな複合魔法が私にできるはずはないのは、分かってる。
だめだっていいんだ。
もう、いいんだ……。
エイミー姉様、ごめんなさい。
クラリス、ごめんなさい。
お父様、お母様、エリザベスお姉様、エドウィーナお姉様、バリー、みんなみんなごめんなさい。
クリフ様、ごめんなさい。
ああクリフ様。最期に会いたかった。
また図書室で一緒に本を読みたかった。
あなたの包み込むような笑顔を見たかった。
クリフ様に、会いたいよ……』
ぼろぼろと目から涙がこぼれ落ちてくる。
袖で涙を拭い、呼吸を整える。
日記がここで終わっているということは、エリィはこの後、雷に打たれてしまうのだろう。雷雨の日、この世のすべてを掻きむしるかのように泣き叫んでいた彼女の悲痛さが、日記を通して俺の心に突き刺さった。
次のページを開くと、茶色の羊皮紙が日記からはらりと落ちた。
椅子からはみ出たぜい肉を手すりから引き抜いて、転びそうになりながら拾い上げる。紙には、円を基調とした複雑な文様が描かれていた。
青いインクでまず円が描かれ、その内側に均等な大きさの円が四つ並んで描かれていた。四つの円の内側にはびっしりと文字が、メビウスの輪のような形で浮かび上がっていた。文字なのか模様なのかは判断がつかない。
これが日記に書いてあった「召喚する魔法陣」というやつだろうか。
裏面には何も描かれていない。
視界が悪いと思ったら、拭いたと思っていた涙が次々に溢れ出てくる。
あれ、なんでだ。
自分では泣いているつもりはない。
意思とは無関係に涙がこぼれ落ちて頬を伝い、絨毯へ落ちていく。
ひょっとして……エリィが泣いてるのか?
何度か深呼吸をすると、ようやくおさまった。
窓の外は明るくなっていて、小鳥が鳴き、淡い朝の太陽が部屋に差し込んでいた。日記の後半に他の魔法陣が挟まっていないか窓枠に寄りかかってぱらぱらとページをめくり、今後の計画について考える。寝不足の体に淡い太陽の光があたって心地良い。
とりあえずやることは決まった。
その1、ボブに復讐する。
その2、孤児院の子どもを捜す。
その3、クリフを捜す。
その4、ダイエットをする。
その5、日本に帰る方法を探す。(元の姿で)
エリィの無念を晴らしつつ、日本に帰る方法を探そう。
ここまできたらもはや、エリィは他人じゃない。彼女のやりたかったことをやりながら、自由に生きてみるか。まあ、デブでブスだけど、それはイケメンエリート営業の俺にとってちょうど良いハンデだろうよ。
いやあ、やっぱり俺って超プラス思考ーっ。
日記にはさっきの魔法陣しか挟まっていなかったが、最後のページに走り書きで、落雷魔法の呪文が書いてあった。
おお、魔法本当に存在するんだな。すげえ。
『《落雷(サンダーボルト)》
やがて出逢う二人を分かつ
空の怒りが天空から舞い降り
すべての感情を夢へと変え
閃光と共に大地をあるべき姿に戻し
美しき箱庭に真実をもたらさん』
めっちゃ恥ずかしいんだけど、大丈夫かこれ?
魔法ってこんなにめんどくさいもんなの?
これ絶対に人前で言うの嫌だわー。まあでも誰もいないし、試しに読んでみるか。
「やがて出逢う二人を分かつ……」
読んだ瞬間に、これはまずいと思った。
今まで感じたことのない力が、へその下辺りから体中を駆け巡って、今にも全身から弾け出そうになる。飲みすぎて吐きそうなときに、必死にこらえる感覚と少し似ているが、あれの何倍も暴発力がある。しかもそれが全身だ。指の先、胸、頭、のど、すね、肘、どこか出口を見つけて、力が飛び出そうとする。
日記を握りしめながら、耐える。
呪文の詠唱をやめる、という選択肢が頭をよぎるがすぐにかき消す。
途中でやめたら、たぶん全身がばらばらになる。
最後まで読めるかこれ?
早口で終わらそうにも、一文字発するごとに、口が粘土になったみたいに鈍く、動かなくなってくる。
これが魔法ってやつか。
落ち着け、落ち着け!
やれる。スーパー営業で天才でイケメンの俺にできないはずがない。
気合いで文字を読む。
言葉を口に出すと体内の力が増大していく。爆発しそうになる熱い「何か」を強烈な意志で食い止め、抑えつける。
なんとかして最後の一文字を吐き出すと、体が嘘のように楽になって、凝縮された力がピンボールのように全身を跳ねていた。
直感で理解した。
「落ちろ」
空気を切り裂く轟音が響き、空から叩きつけるようにして落ちた雷が、病院の庭にあった十メートルほどの木を真っ二つにした。
近くの木にいた鳥がギャーギャーとわめきながら、一斉に飛び立っていく。
何事か、と病院の職員と警備員、近所の人が、真っ二つになった木の周りに集まってきた。
「あ…………」
すみませーん。魔法練習してたら、まぐれでできちゃったんですぅ。ごめんなさーい。
なんて、デブの俺が言っても絶対に許してくれないな。
これは……洒落にならない……。
どういう言い訳をしようか考えていると、体が急にダルくなり、その場にへたりこんだ。
猛烈な睡魔に襲われて、落雷魔法がとんでもない魔法、いや、魔法とすら呼ばれていないことを知らないまま、絨毯の感触を頬で感じたところで意識を失った。
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