フィアのささやかな悩み(前編)
それは平穏な日。何事もなく穏やかな日の出来事。
その日の朝の訪れに、今日もフィアルマはゆっくりと目を覚ます。
「ん……」
部屋のベッドで丸くなって眠っていたフィアは、朝の気配に目を覚ます。まだぼんやりとした意識で微睡みながら、くしくし、と手の甲で顔を擦る。
そのまま、ベッドの上でもぞもぞ動くと、四つん這いになり、手足を突っ張るようにして伸びをする。まるで、猫のような仕草。
そうやって眠気を払ってから動き出すのが、彼女の日常だった。
今日もまた、伸びで完全に眠気を払うと、ちらり、と隣の空いたベッドを見る。
(今日は、ローラがカイト様と一緒でしたね……)
火竜の姉妹は同じ部屋で暮らしているが、この部屋で一緒に寝ることは滅多にない。どちらかが、カイトの部屋に泊まるからだ。
(つまり、今日の夜はカイト様と一緒……ふふっ、楽しみです)
彼女は一瞬だけ肉食獣めいた目つきをした瞬間、くぅ、と腹の音が鳴る。
少しだけ情けない気分になりながら、フィアはベッドから起き出す。布団から出てきた彼女は一糸まとわぬ姿だ。肌寒い感覚に身を震わせながら、ベッド脇のテーブルに手を伸ばす。
そこには、何枚かの葉っぱが予め置いてある。それを何枚か摘まみ取ると、自分の股間にぺたりと貼り付ける――下着代わりの、葉っぱだ。
カイトが下着を用意してくれたものの、何となくこれに慣れてしまって愛用している。しなやかな葉っぱで、ぴったりと身体に張り付き、擦れて痛くもならない。
軽くそれを揉んで胸にもぺたりと貼り付け、ふと、自分の控えめな胸に触れる。
(……むぅ……)
妹にさえ負けてしまう。控えめな胸。力を込めれば、ふにゅ、と指が沈む。
だが、それだけだ。寄せてみても、谷間などお世辞にもできない。
ただのささやかな膨らみ。その程度にしかならない。
(これなら、カイト様の胸筋の方が豊かと言えますね……)
逞しい胸板を思い出しつつ、なんとなく情けない気持ちになる。
四肢を見下ろせば、まさに小柄で貧相――幼い、を体現したような体つきだ。
フィアは幼竜。これから成長する余地はあるのだろうが……。
(ローラに胸の大きさが負けているのは、いささか業腹です)
何故、同じ生まれのはずなのに、胸の大きさが違うのだろうか。
釈然とせず、もやもやしながらフィアはいつものセーラー服を取り出す。それに袖を通し、スカートを身につけ、タイを結んでいく。
身だしなみを確認して、よし、と頷き――ふと思う。
(あ……もしかしたら、あの人なら胸を大きくするコツ、知っているかもしれません)
今日は基本的に暇だ。手伝いも兼ねて聞いてみるのもいいかもしれない。
そう思い立ち、フィアは早速動き出すことにした。
「え……胸を大きくする方法、ですか?」
「また奇特なこと調べているわねぇ」
早速、フィアが訊ねた相手は、ヒカリだった。
ヒカリはヘカテと共に自室で竹簡の整理をしていたが、フィアの訪問を快く受け入れ、相談に乗ってくれた。その厚意に甘えて、フィアは早速質問をぶつけていたのだ。
面食らっているヒカリと、困惑したヘカテに対し、椅子に腰かけたフィアは頷く。
「はい、ヒカリさんならカイト様と同じ世界出身ですし、知っているのでは、と」
「あ、はは……突然の質問でびっくりしました。んー、そうですねぇ」
ヒカリは少し考え込みながら、同じ部屋にいるヘカテに視線を向ける。
「ヘカテさんは、ご存じだったりしますか?」
「あら、私に聞くの?」
「いろいろと物知りじゃないですか。今回の竹簡の整理もおかげで捗っています」
「そういえば、ヘカテがヒカリさんの仕事を手伝うなんて意外ですね」
フィアが少し興味をそそられて訊ねると、ヘカテは壁に寄りかかって肩を竦める。
「カイトに言われてね。貸しを作って、血をいただくのも悪くないかと思って」
(……まあ、そんなことしなくても、カイト様は血を下さるとは思いますが)
一緒に手合わせして気づいたことだが、彼女は面倒くさがりに見えて意外と世話焼きな一面がある。気に入った相手に積極的に入れ込むところもあるのだ。
思わず微笑ましく見ていると、ヘカテは鬱陶しそうに手を振って答える。
「そんな目で見ないの。血さえもらえれば、こんな仕事しないのに」
「はいはい、そういうことにしておきますね……で、何か案がありますか」
「……んん、そうねぇ……こういうことなら、できるけど」
ヘカテは気だるげに指を弾く。それに応じて赤い霧が集まり、彼女の身体を覆い隠す。それは数秒で晴れ、そこには大人びた姿のヘカテが立っていた。
「ああ、勇者戦のときにも見た、妖魔の姿ですね」
魔力が制限されている半人半魔ではなく、全力を出すことのできる姿。
ヴァンパイアは元々ヒト型なので、全ての力を解放してもヒト型を保つことができる。ヘカテは大人の微笑を口元に浮かべて牙を軽く見せる。
「ええ、今は外見だけ戻しているから、力はそのままだけどね」
「へぇ……それにしても綺麗ですね。ヘカテさん」
ヒカリも感心したように見つめ、手を伸ばして彼女の手を取る。
「わ、お肌もすべすべ……羨ましい……」
「胸もありますね……むぅ」
伸縮素材でできたシャツを押し上げる、確かな膨らみを見つめ、思わずフィアは羨ましくなってしまう。ふふ、とヘカテは笑い、胸を寄せて挑発する。
「こういうこともできるようになるわ。伊達に三百年生きていないわよ」
「……つまり、三百年かけてこの大きさになったのですか?」
「いいえ、別に? 成長は遅かったけど、五十年くらいでここまでになったわね」
「う……自然に、ですか」
やはり遺伝なのだろうか、と落ち込んでしまうフィアに、ヘカテは苦笑いを浮かべながら指を弾いて変化を解く。幼女に戻ると、彼女は諭すように言う。
「あまり焦っても仕方がないわよ」
「でも……ローラがあれで、私はこうですよ」
自分の胸を押さえる。ぺたりとした感覚が空しい。ヒカリは共感するように頷く。
「分かります。私も身に覚えがあります」
「……ヒカリさんも、妹が?」
「いえ、そうではないのですが……同い年の子がどんどん成長していくのに、自分だけぺたんこなままだと……凹みますよね……膨らんで欲しいのに……」
遠い目をするヒカリに、フィアはふんふんと鼻息荒く頷き、がっしりと手を握り合う。思えば、貧乳の同志は少なかったのである。
(ヘカテも本気を出せば大きいし、ソフィーティアさんも意外とあるから……っ!)
二人ががっしりと握手をし、その無念を分かち合う。その二人を見つめながら、ヘカテはため息をこぼす。
「……で? 明確な解決方法は見えないけど」
「……何かないのですかね? ヒカリさん」
「あったら、私が聞いてみたいです。試すかどうかはともかく」
ヒカリはため息をこぼし、思い出すように視線を彷徨わせて言葉を続ける。
「確か聞きかじった話だと、栄養や女性ホルモンが大事と聞きますね。要するに、栄養のあるものを食べて、ストレスのない生活を送るのが大事だとか」
「……それですぐ大きくなる話でもないですよね」
「それなら、私も大きくなっているはずですし」
貧乳娘二人組はため息をこぼす。気の毒そうにヘカテが見つめる中、ヒカリはこほんと咳払いを一つし、少し視線を泳がせながら言う。
「……俗説ですが、もう一つあります」
「……それは何でしょう」
「……す、好きな人に、揉んでもらうといいそうです……その、胸を」
ヒカリの上ずった声に、フィアは目を見開く。
(好きな人に……胸を、揉んで、もらう……? カイト様に……)
そのことを想像しただけで頬が熱くなっていく。ヒカリもそれを想像したのか、頬を染めて視線を泳がせている。ヘカテはため息をこぼし、やれやれと首を振る。
「胡散臭いわね、それで本当に大きくなるのかしら。というか、フィアだったら存分に揉まれているんじゃない? カイトに」
「う……そ、それは、ノーコメントで」
「そこで言葉を濁す時点でバレバレよ。それで? 大きくなったの?」
「……ノーコメントで」
その言葉に、ヒカリは気まずそうに視線を逸らした。
「……ごめんなさい、俗説なので悪しからず……」
「いえ、貴重なご意見、ありがとうございました。すみません、お仕事まで邪魔してしまって」
なんとなくいたたまれなくなり、フィアは椅子から腰を上げる。ヘカテはフィアを見上げ、気の毒そうに眉を寄せていたが、ふと、何か思いついたように視線を上げた。
「もしかしたら……できなくは、ないかもよ。フィアルマ」
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