シエラとマナウの水遊び(後編)

「……カイト、何やって、いるの?」

 その呆れたような声が響いたのは、とある昼下がりのことだった。

 ダンジョンの二階層、水上迷宮のハウスボート。家の床面積の半分は床を水中に沈め、カイトとマナウが一緒に遊べるようになっている。タライを持っていたカイトはその声に振り返って首を傾げた。

「――これを見て分からないか?」

「全く、分からない。ひたすら、タライで水を掬っているように、しか見えない」

 いつものように目深に被ったフードの合間から半眼を覗かせるシエラ。確かに、とカイトは自分の身を顧みる。

 傍から見れば、ひたすらタライに水を汲み、放り投げているようにしか見えないだろう。

「……気でも、狂った?」

「そんなわけないだろう……ほら」

 声を掛けながら、手にしたタライを水面に浮かべる。すると、ぽこぽこと水が盛り上がり、一人の少女が顔を覗かせた。

「マナウ、挨拶して」

「こんにちはっ、マナウですっ」

 無邪気な笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。愛らしい仕草のマナウに、シエラはわずかに表情を緩ませる。

「私は、シエラ――鍛冶、職人」

「えっと……シエラお姉ちゃん、って呼んでいい?」

「いい、よ……ふふ、ローラと違って、かわいらしい」

「悪かったね。シエラ。私がかわいくなくて」

 板張りの床の方で服を繕っていたローラは視線を上げ、むすっと頬を膨らませる。だけど、おかしそうに目は笑っている。シエラは振り返ると、ぶっきらぼうに声を返す。

「マナウの可愛げを、見習ったら?」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ」

 二人の言葉は剣呑だが、目は笑い合っている。やがて、仕方なさそうにローラは肩を竦め、笑みを浮かべて小さく囁く。

「いらっしゃい。シエラ。良かったら、マナウと遊んでやって」

「ま、仕方ない、かな」

「わぁいっ、シエラお姉ちゃん、遊んでくれるの?」

「カイトと、話が済んだら、ね」

 シエラは一旦そう断ると、一転して胡乱な視線を向けて首を傾げる。

「で、カイト、邪魔して、よかったの?」

「ああ、別に奇行をしていたわけではなくて、遊んでいただけだから」

 そう言いながらマナウに視線を向ける。彼女は嬉しそうにこくんと頷いた。

「お父さんに、たらいたらいしてもらっていたの!」

「……え? たかいたかい、の、聞き間違い?」

「いや、間違っていない――マナウ、シエラに見せてやろう。おいで」

「わーいっ」

 水の上を滑るように駆け、カイトが手にしたタライの中に飛び込む。カイトはマナウが入ったタライを持ち上げると、膝と腰の力を使い、勢いよく振り上げた。

「そぉれっ!」

「わあぁっ!」

 振り上げたタライから、目を輝かせながらマナウが放物線を描く。そのまま、水の中に着水――再び、少女の形を作り出す。その彼女には抑えきれないほどの笑顔がある。

 シエラはなるほど、と頷いてため息をこぼす。

「遊んで、あげていた、の」

「そういうことだ」

「だから、玩具が、必要」

「そうだな。で、シエラはここに来た、ということは……」

「ん、完成した」

「早いな」

 話を持って行ったのは昨日のことだ。すぐに仕上げてくれたらしい。シエラは頷きながら手にした木箱を床に降ろし、マナウに視線を向ける。

「まずは、試作品。マナウ、こっちに」

「ふぇ? 何々?」

 マナウが興味津々に近づく。その前でシエラは木箱を開いた。

 そこに入っているのはシエラ銃改――ただし、見た目が木製だ。よく似ているが、これは恐らく――。

「エアガン?」

「水鉄砲――いや、木製だから、水木銃」

 それを彼女はマナウに手渡す。マナウは興味津々にそれを手の中で眺める。

「あ、これ……お姉ちゃんが、悪い竜を撃った銃」

「……そう、だね」

「かっこよかったよっ、シエラお姉ちゃん」

 目をきらきらさせてシエラを見上げるマナウ。ヒーローを見るような眼差しに、シエラは少しだけ視線を逸らす。どこか、くすぐったそうだ。

 彼女は手早くもう一丁取り出し、先端を水につける。

「銃口を、水につけて、ボルトを引けば準備は完了」

 シエラは手早くボルトアクション。ぽこぽこ、と銃口の先端から泡が立った。彼女はそのまま、銃口を明後日の方向へ向け、引き金を引いた。

 瞬間、びゅっと水が勢いよく飛び出る。その光景に、わぁっ、とマナウは目を輝かせる。その一方でローラは興味深そうにそれを見る。

「銃と同じ構造?」

「基本的には。ただ、火薬を原動力にせず、空気圧を原動力に、している。だから安全」

 そう言いながら、カイトにその水鉄砲を手渡してくる。それを受け取って確かめる。確かに軽く扱いやすい。その上、しっかりと角が取っている気配り用だ。

 思わず感心しながら、それをシエラに返す。

「――ありがとう。よくできている」

「なら、この調子でもう少し、作ってくる」

 シエラはそう言いながら木箱を持ち上げようとして――そのマントの裾が、摘ままれた。シエラは目を丸くして振り返ると、そこではマナウが寂しそうな目で見つめている。

「――遊んで、くれないの?」

「……う」

「そういう約束だろう? 精霊との約束を破ると、後が怖いぞ」

 カイトがからかうように告げると、シエラはむっつりと黙り込み――仕方なさそうにため息をつく。だけど、フードの合間からのぞかせた目は笑っていて。

「約束、だものね」

 マントを手早く脱ぎ、ローラの方に放り投げる。そして素顔を露わにしたシエラは目を細め、手にした銃を水につけてボルトを引く。

 嬉しそうにマナウはシエラに駆け寄る。ふっ、と短くそれに笑みをこぼすと、シエラは銃口を真っ直ぐに持ち上げた。

 え、と固まったマナウへ、シエラは間髪入れずに引き金を引く。

「わ、わわっ!」

 マナウの足元に水が跳ね、びっくりしたように彼女は飛び跳ねる。シエラは薄く笑みを浮かべ、さらに銃を装填しながら、水に沈んだ床に足を踏み入れる。

「――遊んで、あげる、マナウ」

「い、意味が違うような……ま、待ってよ、シエラお姉ちゃんっ!」

「待たない。先手必勝」

 瞬間、シエラは水を跳ねさせて駆けだす。それにマナウは嬉しそうに悲鳴を上げた。見様見まねで反撃し、水の乱射が始まる。

 角を生やした鬼の少女と、水の身体の精霊の少女。

 その二人が水の上で戯れるのを見ながら、カイトはローラの傍に行く。ローラはシエラのマントを畳みながら、嬉しそうに目を細めた。

「意外と、シエラって面倒見がいいんだね」

「ああ、これからも度々、遊びに来てくれればいいが」

 そう言いながら、二人並んで床に腰を下ろす。視線の先では、シエラとマナウが無邪気に遊び合う。マナウはもとより、シエラも心から楽しそうに笑みをこぼしていた。


 その後、シエラはマナウのことを気に入ったのか、しばしば、玩具を作って届けてくれた。また、彼女自身も理由をつけて度々、遊びに来てマナウと戯れてくれるようになった。

 その結果、シエラの部下のアンリとペータに仕事が集中し、カイトに愚痴をこぼされるのは――また、別の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る