第5話
案内された部屋は、とても豪華だった。
入っただけで、ふんわりと優しい香りが包み込む。何か、お香が焚いてあるようだ。床は緑の草が編んだような床板――だけど、継ぎ目なく滑らかだ。
頭上には、光水晶を紙で包んだ照明――綺麗で、落ち着いた部屋にグレイは目を見開く。アリスティアもそれにうっとりと吐息をこぼした。
「見たことがない部屋……」
「ふふ、そうでしょう? 当家自慢の松の部屋です。床はタタミ、天井の灯りはアンドンです。紙の包み具合で光を調整しています。扉はショウジとフスマ。東方の伝統的な建物、書院を真似たものなんです」
「東方の、なんですか?」
「ええ、グランノールの東の山脈を越えたさらに向こう側。魔境を越えた先に、アズマという国があるのです。そこでの伝統的な部屋の作りなのです」
女将は淀みなく説明しながら、座布団を敷いていく。アリスティアは少し戸惑ったように女将に訊ねる。
「あの、私たち、そんなにお金あるわけではないですよ……?」
「ああ、ご心配なく。もちろん、そちらはお安くしておきますわ。ええと、そうですね」
少し悩みながら女将が口にした金額は、想像以上に安かった。
逆にそれにグレイは面食らいながら、恐る恐る訊ね返す。
「そんなに安くてよろしいのですか?」
「ええ、いいのですよ。最近は、お客様がいらっしゃらないので、わざわざ来ていただいたお客様にサービスします」
くすっと女将は笑みをこぼし、いそいそと引き下がると三つ指をついて頭を下げた。
「では、おくつろぎになって下さい。しばらくしましたら、お食事に準備をします」
するり、と襖が閉まった。二人きりになる、グレイとアリスティア。
「えっと……じゃあ、休んでいる、か」
「そう、ですね。あはは……」
二人はぎこちなく笑みを交わし合い、座布団に腰を下ろす。アリスティアは綺麗に座布団の上で正座をし、そわそわと視線を泳がせている。
それは、グレイも同じだった。いつも同じ部屋で共同生活をしている。
それにも関わらず、場所が変わっただけなのに、何故か落ち着かない。
しばらくの沈黙の後、ふと、アリスティアが顔を上げ、思い切ったように言う。
「あの、グレイ……誕生日、おめでとうございます」
「あ、ああ、ありがとう。アリス」
「その、これ……ささやか、ですけど」
アリスティアは荷物に手を伸ばす。ごそごそと中を探り、大事そうに何かを取り出した。その手に入っているのは、一振りの短刀――。
「え……いい、のか?」
「はい、本当にこの程度で申し訳ないですけど」
「……いや」
受け取って確かめる。抜き身で渡された刃は薄く、だけど、綺麗な刃紋だ。こつこつと指で叩き、すぐに気づく。焼きがしっかり入った、いい刃鋼。
「――もしかして、これ、シエラさんの」
「あ、分かりましたか? 先週、頼んでいて――間に合って、よかったです」
ほっと胸を撫で下ろすアリスティアに、グレイは微笑みを返しながら、そのナイフを手の中でくるくると回す。手にしっくりと来る、いいナイフだ。
シエラは、一度、グレイの剣を研いでいる。だからこそ、それに沿うように鍛えてくれたのだろう。片刃に仕上げ、切れ味も良さそうだ。
「ちなみにこれ、折りたためるようになっているそうです」
「あ、本当だ」
ぱちん、と音を立てて柄の中に折りたためる。だから、薄く刃を鍛えたのだろう。小手の手首の収納に隠しておけそうだ。
手首にそれを隠し、軽く手を振る。その勢いで掌の中に素早くナイフが移る。そのまま手首を翻して、折り畳みナイフを広げる。その手慣れた動きに、ぱちぱち、とアリスティアは拍手する。
「カッコいいです、グレイ」
「いや、アリスが素敵なナイフをくれたおかげだよ……ありがとう」
手首の収納に戻しながらグレイが礼を言うと、アリスティアは頬を染めながらふるふると首を振った。
「そういえば、アリスの誕生日って、いつだっけ」
「あ……私の誕生日、ですか? その……」
アリスティアはわずかに視線を彷徨わせる。気まずそうな仕草に、あ、と気づく。
(そうか、アリスは捨て子だから……)
誕生日が分からないのだろう。グレイは苦笑いをこぼし、手を振る。
「悪い、そうだったな。誕生日が、分からないか」
「そ、そうなんです……その、ごめんなさい」
「謝るようなことではないけどよ」
お礼をいつかしようと思ったが、当てが外れてしまう。申し訳なさそうにするアリスティア。グレイは何と言おうか悩んでいると、微かに襖がノックされる。
「お客様、お食事の支度が出来ました。お持ちして、よろしいでしょうか」
「あ……はい、どうぞ」
その女将の声に救われる。グレイは答えながら、アリスティアに視線を向ける。
「今は気にせず、食事を楽しもう。折角の、旅行なんだから」
「……はい、そうですね」
アリスティアは吹っ切るように明るい笑顔を見せる。だけど、その瞳の奥には、どこか思い詰めるような憂いがあるような気がして。
それだけが、少し、気にかかってしまった。
「――ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでございます」
食事は、想像以上に豪華だった。
澄み渡る出汁の鍋を二人は舌鼓を打ち、笑顔を交わし合いながら食べ、〆のうどんまでいただいた。絶品で、胸も腹も満たされている。
アリスティアは丁寧に手を合わせて箸を置くと、女将はいそいそと片付けていく。
食器を下げると、女将にはにこりと微笑んで訊ねる。
「お風呂の際は、お声をおかけください。その間に、お布団を敷いておきますので」
「ありがとうございます」
「では、ごゆっくり」
食後のお茶を出してから、女将は滑るように下がり、襖を閉じる。アリスティアは湯呑を両手で包み込みながら囁く。
「美味しかったですね。グレイ」
「ああ、本当に。こんなうまいとは思わなかった」
「温泉、来てよかったですね」
「ん、そうだな。どうする? 温泉、もう入るか?」
「もう少しゆっくりしていたい気分です。グレイとお話していたいかな……って」
「そ、そうか……うん、それじゃあ、そうしていようか」
「はい」
二人で向かい合い、お茶を口にしながら笑い合う。
お話、といっても何か話題があるわけではなかった。だけど、食事のおかげで会話していない時間も、苦ではない。
時折、微笑みを交わしながら、他愛もない雑談をしつつお茶を飲み――。
ふと、どこかどたばたとした音が響き渡っていることに、気づく。
「――アリス、何か音が……」
「……誰かが、走り回っていますね」
アリスティアの方が、聴覚は敏感だ。すっと目を細め、正座から滑るように立ち上がる。グレイも小手をつけながら立ち上がる。
「――なんだか、殺伐としています。行ってみますか」
「そう、だな。何かあったのなら、力になれるかもしれない」
温かい心づくしを受けたこの宿。恩返しができるなら、是非したかった。
二人は頷き合うと、素早く襖を開け、その音の方向へと早足に向かっていった。
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