第4話
翌週、グレイとアリスティアはのんびりと旅路についていた。
平原を吹き渡る風が心地いい。それを味わいながら、グレイはのんびりと馬を歩ませる。後ろに腰かけるアリスティアは彼の腰に手を回して言う。
「グレイって馬にも乗れたんですね」
「まぁ、一応、冒険者だからな。以前、旅団にいたときに教え込まれた」
「旅団、ですか?」
「一言で言うと、傭兵団。冒険者たちの集団だな。ここより南の地方ではよく見られるよ。なんせ、一体一体の魔物が手ごわいからね」
受け答えをしながら、グレイは馬を進ませる。一定リズムの揺れと馬蹄の音が心地いい。加えて言うのなら、背中に感じるアリスティアの気配もまた。
(馬を借りて正解だったな。大分、道のりも楽だ)
久々の馬旅は快適。アリスティアもその揺れを楽しんでいるようだ。
「そういえば、グレイが昔、何をしていたかは聞いていませんでしたね」
「そうだな、といっても面白い話じゃないけど」
「折角の旅行ですから、聞かせてください」
そう言いながら、きゅっと甘えるように腰に回した腕に力を込めてくる。その感覚に少しどきっと胸が高鳴る。
「あ、あまり面白い話でもないぞ?」
「グレイのお話なら、何でも聞きたいですから。それで、昔、南方にいたようなことを仰っていましたけど」
「ああ、子供の頃は、南方にある集落に住んでいた。ここみたいに治安がよくない、魔獣が頻繁に行き交う村だな。だから、自然と剣や弓の腕が上達した」
「通りで、グレイの剣筋が綺麗なんですね。逃げ足も速いですし」
「あはは、シャドウウルフに追いかけられるなんて日常茶飯事だったなぁ……もちろん、仲間を亡くすのもね。そうして、集落を僕は失くした」
その言葉に、わずかにアリスティアの腕に力がこもった。グレイは努めて淡々とした口調で昔のことを語る。
「突然の襲撃だった。徒党を組んだ魔獣の襲撃。普通なら、考えられなかった話だ。それに熟練の腕を持つ仲間たちは討たれていった。村長の判断で、逃げ足の速い僕が助けを呼ぶことに決まった。隣の集落に助けを求めに行くと、そこには不幸中の幸いか、旅団が滞在していて、手を貸してくれた――それでも、助かったのは一握りだったよ」
「…………」
「仲間の死体は、魔獣たちが回収したのか、もうなかった。助かったのは数人。それは隣の集落に移り住んだ。だけど、僕はその現実が直視できなくて――そんなとき、旅団長が声をかけてくれたんだ。一緒に来ないか、と」
そのとき、旅団長はグレイの剣と弓、そしてその健脚を買っていた。
グレイもまた、恩返しをしようとその旅団についていくことを決め、南方を離れた。そして、そのまま流浪の旅に出た。
「やがて、旅団はグランノールに辿り着いた。そこで、僕は旅団と別れてソロで冒険者をやっていくことにしたんだ」
「……それは、どうして?」
「……あまり、殺生が好きになれなかったんだ。旅団は魔獣だけでなく、魔物も狩る。獣ならともかく、魔物は……理性あるし、コミュニケーションも取れる存在だ。そんな相手を、無差別に狩るのは、好きになれなかった」
命乞いをするコボルトに止めを刺したとき、はっきりと自覚した。
自分には、魔物を狩るのはできそうにない。だからこそ、グランノールに辿り着いたときに、暇を乞おうと決めたのだった。
「それから、ミリアムやロイドと知り合って、一緒に仕事をしながら生計を立ててきた。けど、ご存じの通り、一回、しくじってね。で、アリスに助けられた」
「そう、だったんですね……」
アリスティアは小さく耳元で囁き、申し訳なさそうに言葉を続ける。
「――ごめんなさい。グレイが、そんな過去を抱えているなんて」
「誰だって、大なり小なり事情を抱えているよ。ミリアムだってそうだし」
ミリアムは、南方の獣人たちの集落で住んでいた。だけど〈組織〉の襲撃を受け、仲間たちの大半が奴隷とされた。ミリアムは辛くも逃れ、グランノールに落ち延びたのだ。
それに比べれば、グレイの過去など大したことはない。
「アリスも、親に捨てられてエルフたちに育てられたんだろ?」
「そ、れは……」
わずかにアリスティアは口ごもったが、すぐに言葉を続ける。
「――ソフィさんたちが、優しくしてくれましたから」
「そうだな。ソフィーティアさんはいい人だったな。いい機会だから、また会いに行こうか。アリスティアも里帰りしたいだろうし」
「ふふ、いいかもしれませんね……ねぇ、グレイ」
ふと、アリスティアが腰に回した腕に力を込める。ふわり、と優しい感触が背中に押し当てられ、わずかに息が詰まる。
背中から伝わってくる、優しい温もり。アリスティアが、グレイの背に抱きついている。
その背中から穏やかな声が響き渡ってきた。
「――グレイ、私はずっと貴方の傍にいますよ」
「……アリス……」
「貴方が、嫌というまで、傍にいますから」
「……嫌なんて、言うはずないだろ、アリス」
「ふふっ、グレイ、ありがとう」
ぴったりとアリスティアは背にくっつき、嬉しそうに笑みをこぼす。間近に響く彼女に澄んだ声と柔らかい感触。その温もりは、まるで春の日差しのようで。
それに少し緊張しながらも、どこか心地よくて――。
グレイは表情をゆるめながら、手綱をそっと握り直した。
風は、いつまでも穏やかに吹き続けている。
そのまま、二人はくっつき合いながら、他愛もない雑談をして。
少し休憩を挟みながら、ゆったりと旅路を行く。
やがて、空が茜色に染まりつつある頃、ゆるやかな斜面を登り、木立を抜けた先に、その村は見えてきた。
「――ここだな。温泉集落、ラーパス」
「ん、こぢんまりした集落ですね。グレイ」
見えてきたのは、木造の家々。簡単な木の柵で覆われており、その一角は門になっている。その門の前には、年老いた門番が立っていた。
門番はすぐにグレイたちに気づき、笑みをこぼす。
「ようこそ、ラーパスに。お二人は旅かね?」
「ええ、少し逗留をしようかと」
そう応えながらグレイは手綱を緩め、馬から降りる。アリスティアに手を差し伸べると、彼女は嬉しそうに笑みをこぼしてその手を取った。
ひらり、と身軽に馬から降りてからも手を握っているアリスティア。その仲睦まじい様子に、門番は微笑ましそうに目尻を緩めた。
「なるほど、仲がよろしいことだ――宿はお決まりかね?」
「いえ、まだです」
「では、宿に案内しよう。ここには、一軒しかない故な」
年老いた門番はにこにこと笑ってそう言うと、ゆっくりと村の中を手で示す。
「ようこそ、ラーパスへ」
「……いいのですか? ここを離れて」
「なに、すぐに交代の者が来る故」
門番は朗らかな笑みと共に、前を進んで案内してくれる。
その後ろをついて歩きながら、改めて集落を見渡す。
木々の建物が立ち並ぶ、どこか穏やかな村だ。至る所に水路が引かれ、水車がついている小屋も少なくはない。水車の回る音に目を細める。
建物の壁には、いろとりどりの布がかかっている。夕日に色鮮やかに映るそれを見やると、門番は振り返って説明してくれる。
「ここの特産の、織物だよ。温泉の方が有名だが、この織物も有名でな。丈夫でしなやか――彩りも美しいから、王都の貴族も御用達にするほどじゃ。綺麗な水と、澄んだ空気でしか織り成せないものだよ」
「そうなんですね……すごく綺麗」
「ふふ、お土産にオススメじゃぞ?」
皺だらけの顔に、にかっと笑みを浮かべてくれる。それに釣られて笑みをこぼしながら、グレイは軽く頷いた。
「考えておきます。ちなみに、温泉の方は――?」
「おお、ここの宿で存分に味わえるぞ」
門番のおじいさんは、手で目の前の建物を示す。そこは一際大きな建物だ。立派な二階建てで、窓からいろとりどりの布が垂れ下がり、風に揺れている。
老人は中に声をかけ、従業員を呼び出してから振り返る。
「では、二人ともごゆっくり……ごほっごほっ」
その言葉の途中で漏れる咳。その湿った咳に、アリスティアは心配そうに訊ねる。
「だ、大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫……ごほっ、寄る年波には勝てんのぅ」
「全く、ロードさん、無理したらいけませんよ」
宿の中から顔をのぞかせた女性が苦笑い交じりに告げ、グレイとアリスティアに向き直る。
「ようこそ、〈ラーバスの湯〉に。ご宿泊でよろしいですか?」
「ええ、三日ほど逗留させていただければ」
「かしこまりました。ふふっ、今日はお部屋も空いているので、いいお部屋にご案内させていただきますね。ロードさん、ありがとうございました」
「いやぁ、礼には及ばんよ、ごゆっくりなぁ」
門番のおじいさん――ロードさんは、最後までにこやかに笑ってくれる。彼は踵を返し、門へと戻っていく。その背中から、時折、湿った咳き込む音が聞こえていた。
「――大丈夫、なんですかね?」
「最近、ロードさん咳き込みがちなんですよ。あとで、若い者に湯でも持っていかせますので、ご心配なく――ささ、お二人様、中へどうぞ」
女将は宿の中を手で示しながら、本当に嬉しそうに笑みをこぼす。
「カップルさんが訊ねてくれるなんて、久々で嬉しいわ。ゆっくりしていって下さいね」
「や、カップルというわけでは……その」
「そ、そうです……今は、まだ……」
二人で慌てて否定し、顔を見合わせる。アリスティアの顔は真っ赤だけど、その目つきはどこか嬉しそうで。その瞳に映ったグレイの表情も、緩んでいた。
思わず尻つぼみになる声に、女将はまぁ、と手を合わせ、にんまりと笑みを浮かべる。
「そういうことなのね。何にせよ、嬉しいわ、ささ、中へ」
女将に案内されるまま、グレイとアリスティアは手を繋いだまま、宿の中へ入る。交わした視線で、どこかくすぐったい気持ちを共有し合った。
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