第3話

 その夜、アリスティアはグレイと一緒の部屋を抜け出していた。

 夜闇に沈むグランノールの街。その屋根の上を身軽に駆け、アリスティアは建物を渡る。そして、一軒の建物の天窓をこじ開けると、ひらりと中に忍び込む。

 その屋根裏部屋には、すでに二人の少女が座っていた。

 どちらも、はっと息を呑むほどの美少女たち。胡坐で座っている色白の少女は気の強そうな目を細め、くすりと笑みをこぼす。

「遅刻だよ。アリスティア。彼氏とお楽しみ?」

「そんなんじゃないです。貴方とは違いますよ、リリス」

「私も違うよぅ、私にいるのはカノジョ。汚らわしい男とは違うわよ。ああ、もちろん、マイマスターは別だけどね。彼なら抱かれてもいい」

 くすくすと妖艶な笑みをこぼすリリスは楽しそうだ。アリスティアは思わず呆れかえり、目を白黒させる。

(さすがというか、リリスは相変わらずですね)

 ここにいるのは、全員が密偵。カイトを主とし、諜報組織〈アマト〉の一員として、情報収集に暗躍している。

 リリスは見目麗しいが、男嫌いが顕著であり、女冒険者と行動を共にする。

 その女冒険者の数人とは、関係を結んでいるらしい。

(まあ、そういうのも諜報員の仕事ですけど、予想の斜め上ですよねぇ)

 その楽しそうなリリスに反し、正座をした少女は仏頂面だ。健康的な小麦色の顔つきの彼女は、不機嫌そうに表情を歪めてリリスを睨む。

「そんな不純な好意に、殿を巻き込まぬように。リリス」

「あら、ごめん。シズク。冗談だよ」

「その手の冗談は、好きません」

 ふん、と鼻を鳴らした少女、シズクは軽く咳払いをすると、視線をアリスティアに向けた。

「では、本題に入りましょう。定期連絡です」

 その一言に、アリスティアとリリスは表情を引き締める。

 シズクはダンジョンと直接連絡を取る。その都合上、長のような立ち位置だ。判断能力に優れ、責任感が強い。また、アリスティアよりも体術に優れている。

 頼りになる彼女は淡々と、ダンジョンから受け取った連絡を告げる。

「ダンジョンでは、一時、防衛作戦を取るそうです。数日のうちは、ダンジョンに近寄らない、あるいは近づかせないように、と」

「……うん? なんだか変じゃない? グランノールでは騎士団も冒険者も動きは見られないよ? 通常の防衛体制ではなく、特殊な防衛作戦ってことだよね」

「恐らく。何者かが、攻め寄せたのでしょう。いずれにせよ、その状況でも私たちが戻ったら却って足手まとい。ここで情報収集に努めましょう――何か、二人から連絡は?」

 シズクは二人を見つめて静かに訊ねる。リリスは色っぽい唇に人差し指を当てて少し考え込んでいたが、すぐに首を振る。

「ううん、特に私はない。勇者関連も、冒険者関連も、今は大人しいかな」

「そうですか。アリスティアは?」

「あ、情報はないのだけど、一ついいですか?」

 シズクが頷いたのを確認し、アリスティアはおずおずと告げる。

「その、少し、街を離れたいのですが、大丈夫ですか?」

「街を離れる……ということは、数日? 依頼か何か?」

「いえ、そうではないのですが……」

 思わず口ごもると、リリスはあぁ、としたり顔で頷いた。

「グレイとどこか行くのかな。いいんじゃない? 私がカバーするよ」

「それなら、羽を伸ばしてくるとよろしいでしょう。殿もお認めになられています」

「……その、いいの? 私用で一時、任務を放棄するわけだけど」

 アリスティアは訊ねると、シズクは目を細めて頷く。

「殿はお優しい方です。任務の継続の可否も含めて、私たちに一任しています。たとえ、貴方がグレイに情を移し、我々を裏切ったとしても、殿は責めないでしょう」

 そう言いながら、安心づけるように微笑みを浮かべるシズク。だが、その目は笑っていない。考えていることは、手に取るように分かる。

(――マスターに害意を抱いていれば、殺す、っていう目ですね……)

 シズクの忠誠心は、もはや妄信に近い。主人のためならば、きっと仲間殺しの汚名すら甘んじるだろう。アリスティアは背筋に冷たいものを感じながら口を開く。

「裏切りはしません。ただ、数日の間、外すだけです」

「……なるほど、畏まりました。ご随意に」

 シズクはそう告げて視線を伏せさせる。リリスは苦笑いを浮かべながら、よいしょ、と立ち上がる。

「じゃあ、次の定例会議までは、私とシズクで警戒することになるかな。アリスティア、お土産よろしくね。お土産話でもいいよ」

「分かりました。お二人とも、お手数をかけます」

 アリスティアは頭を下げ、天窓から外に出る。リリスもそれに続き、アリスティアの肩をぽんと叩いて隣に並んだ。

「いい機会だから、ゆっくりしてきなよ。アリスティア」

「……ありがとうございます。リリス」

「それと……どんな決断をしても、私は応援しているからさ」

 リリスはふと目を細め、優しく微笑みかけてくれる。

「少なくとも、マスターは貴方の判断を尊重してくれる。でも、ヤバいことをするときは、シズクには絶対バレないようにね」

「……忠告、胸に留めておきます。そうするつもりは、ありませんけど」

「あはは、そっか。んじゃ、私はカノジョのところに戻ろっかな」

 そう言いながら、リリスはひらひらと手を振って立ち去っていく。その後ろ姿を見つめながら、アリスティアは小さく苦笑いをこぼす。

(全く、優しい人ですね。リリスは)

 無事、許可も下りた。それに安堵しながら、アリスティアは踵を返す。想い人の家に戻るべく、足を速めた。

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