第2話
シャドウウルフを討ち、二人が臨時収入を得た翌日のこと――。
「……誕生日、ですか?」
グランノールの街〈木漏れ日亭〉――冒険者が愛用する酒場で、アリスティアは一人の冒険者の少女とお茶をしていた。
パーカーのフードを目深に被り、猫のように悪戯っぽく目を細めた、小悪魔のような少女は身を乗り出しながら、にゃはっ、と笑みをこぼす。
「やっぱりアリスちゃん、知らなかったかにゃ。もうすぐ、あいつの誕生日なんよ。実は」
「ほ、本当ですか? ミリアムさん。グレイ、何も言ってくれないですけど……」
「当たり前にゃあ。必要が迫らない限り、あいつは言わないにゃ」
こくこくと頷き、ミリアムは懐かしむように目を細める。
「グレイの誕生日を知ったのは、たまたま書類で見る機会があったときでにゃあ。えぇと、あと一週間後にゃあ」
「そ、そんな早く……えっと、何か用意しないと」
ダンジョンにいた頃、ヒカリからは『誕生日は祝うもの』といろいろ教わった。そのときは何となく聞き逃していたことを、少しだけ悔やむ。
それなら、マスターであるカイトに、男の人が喜ぶものを聞いておけばよかった。
焦りを浮かべるアリスティアに、ミリアムはお茶を口にしながら少しだけ目を細め、ゆるやかに首を傾げて言う。
「……本当に、アリスちゃんはグレイのことが好きなんにゃあ」
「そ、れは……いまさら、否定はしません、けど……」
アリスティアは頬を染めながら、視線を逸らす。ミリアムは茶化したりせず、穏やかに優しい微笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「ん、なら、祝ってあげるべきにゃあ。それで、あわよくばゴールイン!」
「ご、ゴールインって……!」
「告られるのを待っているだけじゃあダメにゃ! 好きな人には、しっかりアプローチしにゃいと、後悔するにゃ!」
ミリアムの熱弁に押され、アリスティアは思わず椅子を引く。
(グレイに、告白……でも、そんなこと……)
確かに、グレイのことが好きだ。その想いは、徐々に膨れ上がっている。
彼のお人好しなところも、力強いところも、ちょっと鈍感なところも、少し心配性なところも――全部、惹かれつつある。
だけど、同時に――罪悪感も、膨れ上がっているのだ。
(私は、グレイを騙して傍にいます……)
アリスティアは、カイトのダンジョンから派遣された密偵だ。この前もその一環で、勇者の情報を横流しにした。そのせいで、勇者はカイトのダンジョンで命を落とした。
この事実がまた、彼女の心を苦しめる。所詮は、彼らの敵なのだと、実感させられて。
重苦しい気分が顔に出たのか、ミリアムはバツが悪そうに身を引く。
「ごめんにゃ。アリスちゃんの気持ちを考えていなかったにゃあ……まだ、グレイに告白する勇気が起きないのも、分かるにゃあ……」
「い、いえ、ミリアムさんが謝ることでは……」
そもそもは、自分の心の問題なのだ。苦笑いを浮かべて首を振ると、ミリアムはこほんと咳払いしながらお茶を口にする。
「とにかくにゃ、グレイの誕生日が近いし、提案があるのにゃ」
「提案、ですか?」
「ん、二人とも旅行に出かけてみたらどうにゃ?」
ぴっ、と指を立ててミリアムが告げる。
「西のランクルス山脈には、温泉宿があるにゃ。折角なら、そこで二人でのんびり羽を伸ばしたらどうにゃ? お金もできたことだし」
「温泉旅行、ですか……喜んでもらえるでしょうか」
「喜ぶに違いないにゃ」
ミリアムは真面目な顔でこくこくと頷く。その言葉に真剣に考え込むアリスティア。グレイと一緒の旅。泊まりがけで、一緒に温泉――。
(……悪くない、かも)
告白をするかどうかはともかく、グレイを労うのはいいかもしれない。
コツコツと貯めてきたお金もある。そう思うと、なんとなくいい案に思えてきた。何よりこれをして、グレイの笑顔を見られると思うと――。
「ふ、ふふ……」
「アリスちゃん、美少女ぶりが台無しな笑顔を浮かべているにゃ」
「……はっ」
我に返り、口元を押さえる。うっかり涎を垂らすところだった。
ミリアムはやれやれと首を振り、仕方なさそうな笑みをこぼした。
「そんなに好きなら、やっぱり温泉旅行で決めてくるにゃ」
彼女は善意で言ってくれている。それでも、込み上げてくる罪悪感が、素直に頷かせてくれない。だから、アリスティアは控えめな笑みで応えた。
「心の準備ができたら、きっと」
「グレイ、その……今度、一緒に温泉に行きませんか?」
その提案が投げかけられたのは、夕食を取っている真っ最中だった。
もじもじするアリスティアの申し出に、グレイは目を見開く。わずかに高鳴った心臓を抑えるように、深呼吸を一つ。
「いいけど……突然、どうしたん――あ」
言いかけてふと気づく。来週が何の日なのか。
「……来週は誕生日だったか。ミリアム辺りから聞いたのかな」
「はい、実は……それで、もしよければと思いまして。貯えにも、余裕がありますし」
「まぁ、それもそうかも、しれないな……うん」
「は、はい、それでよければ、二人でお泊り……なんて」
二人でお泊り。その言葉に、二人は思わず押し黙ってしまった。
グレイの頬も熱くなり、視線が合わせられない。
気まずい間を埋めようと、狼肉のシチューを頬張る。だが、その味が分からなくなるくらい、ばくばくに心臓が脈打っている。
アリスティアも冗談めかした口調だったが、頬を赤らめてしまっている。
(お泊りくらいで、ぎこちなくなる必要はないのにな……)
二人は同じ屋根の下で暮らしているのだ。共同生活を通じ、徐々に二人の距離が縮まってきている。だからこそ、今さら、緊張するようなことでもないのだ。
だけど――改めて意識すると、やはり……。
ちら、とアリスティアの顔色を窺う。頬を染めた彼女は可憐で、ふと視線が合い。
慌てて、二人は逸らした。
「ま、まぁ、たまにはいいかもな。アリスと出会って、二か月以上になるし」
「は、はい……そういえば、もう二か月になるのですね」
ふと、アリスティアは思い出したように目を細める。グレイは頷きながら訊ねる。
「――あの村は、恋しくないのか?」
「いいえ、恋しくは……その、グレイが、一緒ですから……」
「あ……そ、そうか」
視線を泳がせる。アリスティアの真っ直ぐな好意に、思わず頬が熱くなる。
いつも、アリスティアはこうして真っ直ぐに向き合ってくる。自分の気持ちをごまかさず、素直に伝えてくれて――その真っ直ぐさに釣られて、グレイもまたそれに応えたくなってしまう。
「――僕も、アリスと一緒で、楽しいよ」
「あ……はいっ」
嬉しそうにはにかむアリスティア。その笑顔に思わずグレイは笑みを返した。胸の高鳴りが、くすぐったい気持ちになって心に染み渡っていく。
どこかぽかぽかと春の日差しが当たるような心地にグレイは目を細める。
(アリスティアはかわいいけど……それだけじゃないんだな)
そこには、揺るがない芯の強さがある。一度決めたら、貫き通す信念。グレイはそれに時に引っ張られ、時に助けられてきた。
それと同時に、何かを悩んでいるようにわずかな憂いを感じるときもあって――。
(何か、悩みがあるのかな……)
一度、それとなく聞いてみたが、はぐらかされてしまった。
そのときは少し傷ついたが、それでも彼女は切なげな瞳で告げてくれた。
『いつか、時が来たら必ずグレイには伝えます――貴方のことが、大切だから』
その真っ直ぐな言葉を思い出すだけでも、頬が熱くなってくる。
そして、そのときにはっきりと気づいてしまった。
もう、どうしようもないほど、アリスティアに惹かれていることに――。
(いい機会かも、しれないな)
グレイはふっと笑みをこぼしながら、アリスティアを見つめ返す。
「行こうか。温泉に」
場所を変えれば、見えるものがあるかもしれないから
それで、自分の心に問いかけよう。アリスティアと、どうなりたいか。
しっかりと、彼女と向き合って決めたい。
その気持ちが伝わったのか、アリスティアは視線を上げると嬉しそうに、はい、と花咲くような笑みで応えてくれた。
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