第10話
「なるほどな、フィアの入れ知恵だったか」
「はい、といってもカイト様の発想の丸パクリですけど」
毒竜が撃退した翌日、二階層のハウスボートの中でカイトとフィアはのんびりとお茶をしていた。小さな座卓を挟んで座り、エルフ茶を口にする。
ちらり、と横に視線を向ければ、そこではローラとマナウが遊んでいる。
そのローラの身体には、痛々しい火傷のような跡があった。酸毒が蝕んだ傷跡だ。ポイントを使って治しているが、毒性のものは治療に時間が掛かるのだ。
(とはいえ、フィアとマナウのおかげで、あの程度の軽傷で済んでいたのだけどな)
視線をフィアに戻して、カイトは彼女に微笑みかける。
「フィアがウィンドウを使ってマナウに指示を出し、マナウに水を操作させた――ここまで応用すれば、パクリなんかじゃないよ。フィア」
水の精霊は、水を遠隔操作して地盤を固めていた。同じように、マナウも水を多少なりと操ることができる。その力を利用し、マナウは水を高速で撃ち出したのだ。
無論、マナウは未熟。だが、それを補佐したのは、フィアだ。
ウィンドウを使うことで、水を射出する角度、出力、方向を細かく指示。
まるで、カイトがウィンドウを使って、ヒカリやシエラの観測手を務めたように。
そして、放たれた水の矢は、ウォーターカッターのように触手を斬り裂いたのだ。
「……フィア、本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ、カイト様、信じてくれてありがとうございます」
二人は礼を言い合い、微笑みを交わす。あの瞬間、二人は言葉を交わしていない。だが、それでも一瞬、視線を交わし合うだけで意思を疎通させた。
だからこそ、フィアはカイトが毒竜を何とかすると信じ。
カイトはフィアがローラを何とか助け出すと信じた。
「なんとか、なりましたね。カイト様」
「ああ、なんとかできた。フィアのおかげで」
カイトは手を伸ばしてフィアの指先に触れる。彼女は穏やかに目を細め、そっと指を絡めてきた。伝わってくる温もりに、ほっと胸が安らいでくるのを感じる。
しばらく、二人で温もりを分かち合いながら、ローラとマナウを見守る。
二人は楽しそうに水を掛け合って遊んでいる。無邪気で楽しそうなマナウの笑顔を見つめながら、ふと、カイトはフィアを振り返る。
「そういえば、フィア、マナウとは打ち解けたのか?」
「え、ぇ、っと……」
ぴくり、と握ったフィアの指が震え、気まずそうに視線を泳がせる。
やがて、フィアは深くため息をこぼし、わずかに申し訳なさそうに告げる。
「それが……少し、気まずくて」
「……どうしたんだ?」
「実は、マナウを一回、叱ってしまいまして」
「え……?」
「その、ローラが窮地のときに、今にも飛び出しそうだったので、つい一喝を。そのせいで、マナウに嫌われたのではないか、と思って……」
フィアはそっとカイトの手を離すと、胸の前で人差し指を突き合わせる。
そのいじらしい仕草に、カイトは思わず苦笑いをこぼした。
「そんなことで、マナウは嫌わないと思うけど」
「う……でも、小さい子って、些細なことで根に持つから……」
「まぁ、フィアは根に持つよなぁ」
目を細めてからかうと、フィアは少し頬を膨らませ、つん、と顔を背けた。
「意地悪なカイト様は嫌いになりますよ?」
「ごめん。嫌いにならないで」
「今日の夜、一緒にいてくれたら、機嫌を直します」
「ん、じゃあ約束だ」
カイトは笑いかけると、フィアはくすっと笑みをこぼした。可憐に目を細め、悪戯っぽく囁く。
「絶対ですからね? カイト様は、約束を破ることに定評がありますから」
「そんなに定評あるかな……」
少し自信をなくしてくる。わずかに落ち込んでいると、ふと、ローラが声をかけてくる。
「兄さま、姉さま、折角だから一緒に遊ぼうよーっ!」
「ん、ああ、分かった……フィア、ほら」
「う……そう、ですね」
視線を彷徨わせていたが、やがて観念したようにフィアは吐息をつく。カイトは手を差し伸ばすと、その手に指を絡め、縋りつくようにして立ち上がった。
そこから伝わってくる不安。励ますように、手を握り返してカイトは水辺に近寄る。そこでは、マナウがくるくる回っていたが、カイトとフィアに気づき、あ、と声を上げる。
その視線が向けられた先は、フィア。びくり、とフィアは身を震わせて、カイトの背に隠れるようにする。マナウは少し迷うように視線を泳がせる。
それを励ますように微笑みかけたのは、ローラだ。
「マナウ、お話したいんでしょう?」
「う、うん……」
「姉さまも、いいかな?」
「えっと……はい」
ローラに声をかけられ、おずおずとフィアはカイトの陰から顔を出す。だが、彼の手はしっかりと握ったまま、水辺に歩み寄った。
マナウも恐る恐る近づき、そっとフィアの目を見上げる。
「あ、の……えっと……その……」
「は、はい」
緊張した面持ちのフィアに、マナウは息を大きく吸い込み、目をつぶって叫ぶように言う。
「お、お母さま、って呼んでもいい……っ?」
「……え、え、っと?」
フィアが戸惑うように眉を寄せる。マナウは焦ったように、えと、えっと、と言葉を続ける。
「その、フィアお母様も、お父さんのお嫁さん、なんだよね?」
「え、あ、はい、そうですね」
ちら、とカイトを見やり、繋いだ手を意識して頬を染めるフィア。マナウはこくこくと頷くと、必死に言葉を続ける。
「だから、その、ローラお母さんだけじゃなくて、フィアお母さまも、お母さまじゃないかな、って思って、えと、えっと……っ!」
だんだんと言葉が早口になり、ぐるぐると目を回し始めるマナウ。ローラはその背を撫でさすり、微笑みながら優しく言う。
「うん、よく言えたね。マナウ」
「あ……え、えへへ……」
「で、フィア? 愛娘がそう言っているのだけど?」
カイトは手を握りながら、促すようにフィアに訊ねる。フィアは目をぱちくりさせていたが、やがておずおずと言葉を紡ぎ出す。
「……マナウ、私が、母でもいいのですか……?」
「う、うん……だって、そうだよね? お父さん。ローラお母さんと、フィアお母さま、両方とも、お嫁さん、なんだよね?」
「ああ、そうだよ。マナウ。僕は二人のことを大事に想っている。大事な、大事なお嫁さんたちだ」
ゆっくりと噛みしめるように告げると、マナウは嬉しそうに頷き、フィアとローラは揃って頬を赤く染めた。フィアはぎゅっと指に力を込め、揺れる瞳でカイトを見つめる。
「今のは……もしかして、プロポーズ、だったりしますか?」
「そう捉えてもいいけど……今さらだろう? 僕たちが家族なのは」
「そうだけど、でも、兄さまにお嫁さんって言ってもらえたの、初めてだから」
ローラはつんつんと人差し指を突き合わせ、嬉し半分、戸惑い半分といった感じで視線を彷徨わせている。困ったときの仕草は、姉妹そっくりだ。
確かにそうか、とカイトは頷き、二人を見つめる。
「じゃあ、そういうことにしておいて。だけど、プロポーズは、また今度だ」
「え……? どういうことですか?」
戸惑うように瞳を揺らしたフィアの瞳を見つめ返し、優しく微笑む。
「プロポーズは、ロマンチックな方がいいだろう? 少なくとも、成り行きでやることでもないし、それに」
視線をマナウに向ける。きょとんとしたマナウに手を伸ばし、そっとその頬を撫でる。
「今は、家族の時間だから。さぁ、フィア、マナウに応えてあげな」
「……はい、カイト様」
こくんとフィアは頷き、遠慮がちにそっとマナウに歩み寄る。そして、ゆっくりと手を伸ばして、その頬に触れて微笑みかけた。
「これから、よろしくお願いしますね。マナウ」
「あ……うんっ、お母さまっ!」
ぱっと晴れるような笑顔を浮かべたマナウは、父と母、二人に頬を撫でられて嬉しそうだ。その後ろから回り込んだローラが頭に両手を載せ、わしゃわしゃと頭を撫でる。
「マナウ、私もいるんだからね?」
「うんっ、お母さんも一緒っ! お母さまと、お父さんと!」
無邪気なマナウの声に、釣られてカイトは笑みをこぼした。フィアとローラの笑顔を見つめながら、心の底から込み上げる優しい気持ちを噛みしめる。
(これが……家族。もう、二度と、離したりしない……)
胸に優しくある気持ちを、二度と失わないようにと噛みしめながら。
カイトは三人の家族と共に、穏やかな時間を過ごしていった。
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