第11話

 無邪気に遊び回ったマナウが眠りにつき、穏やかな夜が訪れる――。

 その静寂の中で、五階層では会議が開かれていた。

 カイトはフィアとローラを左右に控えさせ、足を運んでくれた二人に頭を下げる。

「夜に呼び立てて、すまない。だが、今のうちに話し合っておきたくてな」

「ああ、問題ない。私もヒカリ様も、気にかかっていた事案だからな」

 ソフィーティアはそう応え、ヒカリのために椅子を引く。ヒカリはその席につきながら、鋭い目つきでカイトを見つめて切り出す。

「毒竜――ヨルムンガンドのことですね」

「ああ、最大の謎が残されているからな」

 それは、そこに集っている全員が最初から感じていたことだ。だが、迎撃が急であったために、言及は後回しにしていた。

 その話題を、カイトはゆっくりと口を開き、目を細めて言う。

「何故、毒竜がここに攻め込んできたか、だな」

 その言葉に、ヒカリはこっくりと頷いてみせる。

 当初からの謎。それは、毒竜が攻めてきた理由だ。

 偶発的で済ませるには、不自然すぎる。明らかに竜の動きは目的があり、さらにはローラを人質に取るなど、わずかなり知性を感じた。

「何らかの意思があったのは、間違いないと思います。確かなのは、このダンジョンを狙ったこと。理由は分かりませんが……」

「……他にも、謎がある。謎の、触手だ」

 ソフィーティアが言葉を引き取り、視線をローラに向ける。彼女はわずかに顔をしかめ、自分の肌を擦る。そこには、毒でただれて赤くなった肌がある。

 カイトは手を伸ばしてその手に触れると、彼女は少しだけ笑みを浮かべた。

「――大丈夫だよ。兄さま」

「でも、無理はするなよ」

「ポイント使ってもらったから、跡も残らないよ。明日には、治っている」

「なら、いいんだが……」

 視線をソフィーティアに戻す。博識なエルフは眉を寄せ、吐息をこぼした。

「毒竜で触手が生えているなど、聞いたことがない。むしろ、そんな器官が存在するはずがない……よな? フィアルマ殿」

「はい、間違いないです。いかに、堕ちた竜とはいえ、そんなものを身につけるはずがないです。あまりに、想定外です」

「そうか……別の生物の可能性は?」

 カイトは訊ねるが、それがあり得ないのは十分に分かっていた。ヒカリは苦笑いを浮かべ、ゆるゆると首を振る。

「私たちも、竜の姿を見ていますよ。考えづらいです」

「あえて挙げるとすれば……意思を持った触手、というと……」

 ソフィーティアは何か思い当たったように眉を寄せるが、彼女も首を振る。

「いや、あり得ない。毒性を持っているはずが、ないのだから」

「……裏を返すと、意思を持った触手のような生物は、いると?」

「まぁ、そう言えるか。植物に近いから、意思と言えるかは分からないが」

「ふむ? まぁ、いずれにせよ、それに関しては多分、正体がはっきりする」

 カイトがそう告げた瞬間、会議室の戸が軽くノックされる。カイトが視線を向けると、扉を開けて一人の幼女が入ってくる。銀髪を揺らした彼女は、小脇に木箱を抱えていた。

「ヘカテ、見つかったか」

「ええ、切れ端だけどね……ああ、あまり近づかないで。臭いわよ」

 カイトが腰を上げると、ヘカテは眉を寄せながら自分の服の臭いを嗅ぐ。毒竜の死骸の付近を、一生懸命探ったせいだろう。

 カイトは首を振って、彼女に近づいて手を伸ばす。

「いいや、臭ったとしても、それはヘカテの匂いじゃないから……ご苦労さん、一旦、風呂に入ってくるか?」

「あとでね。今は、そいつの正体を確かめましょう。ソフィーティア、一緒に見てくれるかしら。貴方の知見も伺いたい」

「……ヘカテ殿でも、正体が分からないのか?」

「……分かるわ。でも、普通のそれとは様子が違うの」

「――ヒカリ様、少々、御下がりください。あまり見目のいいものではないので」

 そう断りながら、ソフィーティアはヘカテの傍による。カイトとソフィーティアだけが見ていることを確認し、ヘカテはそっと木箱を開ける。

 その中から、つんと刺すような腐臭が迸る。その中に、転がっているのは触手――。

 赤紫のそれを見て、ソフィーティアは顔色を変えた。

「ま、さか……この外見……触っても?」

「直で触ると危ないわ。この木の棒で」

 ヘカテが取り出した木の棒を受け取り、ソフィーティアは木の箱のそれを慎重につんと触れる。感触を確かめ、転がして切断面を見る。

 それで確信を持ったようだ。ソフィーティアはヘカテに頷いて見せる。

 二人の表情は、深刻だった。ヘカテは木箱にぴったりと蓋をして告げる。

「結論から言うわ――こいつは、ローパーよ」

「ローパー? 聞き馴染みがないな」

 神話でも聞いたことのない魔物だ。視線をソフィーティアに向けると、彼女は少し考え込んでから告げる。

「植物系の魔獣――そうだな、食獣植物、といえば分かるか」

「獣を食べるのか?」

「ああ、というより絞め殺す」

 その淡々とした声に、怖気が走る。ソフィーティアは腕を組み、木箱に目を落としながら淡々と語る。

「砂漠など、不毛な土地に生えている。しぶとく生きる草に交じって。その草を食もうと、首を突き出した瞬間、伸びあがってその首に巻き付いて絞め殺す。その血や脂は地面に浸み込み、集った虫なども表面の柔毛で絡め取って食べてしまう」

「……おぞましい、植物だな」

「ああ、だが、こんな湿地には生えない植物だ。しかも、ましてや、ローパーは毒に弱い。麻痺毒ホーネットの毒だけで枯れてしまうような、脆弱性もある。だから、毒竜の頭に生えているなどあり得ないはず、なのに……」

「ソフィーティア、冷静に考えましょう。毒を持ったローパーは、現にそこにいたわ。しかも、毒竜の頭の傍に。本体は見当たらなかったけど」

「……それは認めなければならない。だが、にわかには信じられない。毒の中で生き延びられるローパーなど聞いたことがない」

 二人のやり取りを聞きながら、カイトは吐息をつく。漠然と答えを悟っていた。いや、前々から予想はしていた。

 これは、その予想を裏付けてくれる情報だった。

 カイトはヒカリに視線を向けて訊ねる。

「……ヒカリも、答えは分かっているよな」

「……はい、恐らく、品種改良でしょう」

「品種、改良、でございますか? ヒカリ様」

 ソフィーティアがまばたきしながら訊ねる。ヒカリは頷いて説明を加える。

「品種を交配させて、植物の性質を改良する技術のことだよ。たとえば、寒さに弱い植物があったとして、その植物と寒さに強い植物を配合して、寒さの耐性を帯びさせるの」

「つまり、ローパーが、毒の強い植物と交配し、耐性を得たと? にわかには、信じられません……百歩譲って、それが正しいとして、何故、毒竜の頭に?」

「ソフィーティアにしては、察しが悪いわね」

 ヒカリの解説を聞いていたヘカテはもう分かったようだ。難しそうな顔で、カイトにちらりと視線を向けて訊ねる。

「――何者かが、品種改良したローパーを、毒竜に植え付けた。そうね?」

「ああ、恐らくそうだろう。そうなれば、全ての謎が解決するんだ」

 不通は現れずはずのない毒竜が突然現れ、ダンジョンに突っ込んできた理由も。

 ローラを人質にするように、知性のある立ち回りをしたことも。

 この異世界の自然環境で発生し得ない魔物が、出現した理由も。

 この仮説で、全てが解決する。


「他のダンジョンマスターが、僕のダンジョンを狙ってきた――そういうことだろう」


 その言葉にフィアたちは息を呑んで黙り込む。ヒカリとヘカテはすでに察していたため、驚きは少ない。それでも、顔色を曇らせるには十分だった。

 カイトは吐息をこぼし、フィアを振り返って告げる。

「コモドに連絡を取る必要がある。朝になったら、渡りをつけてくれ。フィア」

「了解しました」

「みんなは、この事実を頭に入れた上で、くれぐれも警戒を怠らないように。特に、ヒカリとソフィーティア。もしかしたら、冒険者や難民に交じって、密偵が入ってくる可能性もあり得る。気を配ってくれ」

「……了解、しました」

「警戒しながら――今は、相手の出方を伺うしかない。対策を練り、ダンジョンを守っていこう」

 カイトはそう告げながら、重々しいため息をこぼす。

 一難去ってまた一難。だが、今度の一難は、一筋縄ではいかなさそうだ。

 手強い相手の予感に、カイトの背筋に汗が伝った。


 その頃、ダンジョンから少し離れた場所。

 その木立の合間に紛れるように、迷彩柄のマントを身に纏った男がいた。

 梢に上に立ち、そびえ立つ岩山を眺めながら、ふん、と鼻を鳴らす。

「なかなかに、手強そうなダンジョンだ」

「貴方がそこまで評価するなんて、珍しいわね。マイマスター」

 その隣に、ひらりと羽ばたきながら舞い降りる一人の少女がいた。一本に結った紫紺の髪の毛を風になびかせながら微笑みを浮かべる。

 その笑みに、八重歯がきらりとわずかに星の光を反射して輝く。

 一方の男は無精ひげを撫でつけながら、仏頂面で頷いた。

「竜の攻撃を落ち着いて凌いでいた。いくつか手札は見えたが、まだ奥の手が見えてこないな。全部の情報を絞り出すのは、犠牲を覚悟しないとな」

「あのヨルムンガンドはよかったのかしら?」

「ああ、あれは失敗作だ。交配に失敗して理性が崩壊した。十万ポイントもつぎ込んだのにな。だが、まぁ、威力偵察としては十分だ」

 男は懐のマントから煙草を取り出して加える。ん、と顔を横に向け、何かを要求するかのように顎を軽くしゃくる。それに少女は眉を寄せた。

「そんなものに火をつけたら、バレるわよ?」

「この距離だ。バレても狙えねえ。金属薬莢を完成させているのなら、話は別だが」

「金属、薬莢?」

「俺の元の世界の話だ。気にすんな。それより、火ぃ」

「分かったわよ。促さないで」

 少女は照れくさそうにこほんと咳払いすると、主の顔にそっと唇を近づける。そして、間近に主人の顔を見つめながら、煙草の先端を唇で咥えた。

 しばらくして、その口を離すと、その先端が赤々と燃えている。

 それの紫煙を吸い込み、美味そうに男は煙を吐き出して、痛快そうに目を細める。

「くはぁ、たまんねぇなぁ、この一服が」

「奇特なものね。わざわざポイントを使って、そんなものを作るなんて」

「いいじゃねぇか、数少ない俺の娯楽だ」

 さらに胸いっぱいに煙を吸い込みながら、鋭く目を細める。その苛烈なほどの眼光に、少女は口を引き結んで傍に立つ。

「――どうする? 狩るの?」

「……いずれな。だが、今じゃない」

 腕を組んだ男は紫煙を吐き出しながら、冷静な口調で告げる。

「奥の手は見えねえが、手札は少し見えた。あそこのダンジョンの主は、俺と同じ世界から来た野郎だ。火薬ならまだしも、投石器の設計は見覚えがある。フランスのトレビュシェだろうな。突貫工事の割には、よく出来てやがった。となると、兵器や戦術はそこそこに洗練されているはずだ。攻め落とすには……そうだな、五十万ポイントは欲しいところだ」

「そ、そんなに?」

「敵の数が見えないからな。ボス級が五体、上級が三十体いる体で戦いを挑みたい。くくっ、燃えるじゃねぇか。え?」

 爛々と目を輝かせて、不気味に口角を吊り上げる男の目つきに、ぞくりとしたように一瞬だけ少女は恍惚とした表情を見せる。

 だが、すぐに顔を引き締めると、ふん、と軽く鼻を鳴らした。

「まぁ、いずれにせよ、付き合ってあげるわ。マイマスター」

「頼んだぜ。ライラ」

 男は不敵に笑ってそう告げると、ぷっと煙草を吐き捨てる。火のついた煙草はゆるやかに木々の合間へと消えていき――。

 その火が地面で消える頃には、二人の人影は跡形もなく消え去っていた。


〈第四部〉に続く

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