第8話
ローラは金髪のツインテールをなびかせながら、目の前の光景を見ていた。
醜悪な竜が、森を汚しながら進んでくる。その地鳴りと臭気に、眉を寄せてしまう。その中で、投石の攻撃はひたすらに続いていた。
少し前から、投石の種類が変わった。散弾はどこか、散らばりづらい。
だが、最初の投石で誤差を修正したヒカリは、巧みに投石をぶつけていく。先ほどよりもまとまった岩の弾雨に、毒竜は苦悶の咆吼と共に身を揺らす。
それだけで、毒竜の体液が飛び散り、辺りに刺激臭と湯気が立ち込める。
だが、それだけだ。致命的な攻撃は、加えられていない。
(だから――ここで、私の出番……っ!)
ローラはぶるり、と身を震わせた。その身体はぴっちりとしたラバースーツに身を包まれている。防毒性の素材で、カイトが作ってくれたものだ。
空気抵抗が少なくなるよう、滑らかな素材で作られる一方、鱗の防御性も阻害しない。翼が動かしやすいように肩の部分は大きく開いている。
そこから、ばさり、と真紅の翼をはためかせる。それとほぼ同時に、カイトの声が響く。
『ローラ、行けるか?』
「もちろんっ」
『無理だけはするなよ。危なければ、撤退してくれ』
「それも、もちろん」
今は、自信をもって返事ができる。
昔は、自分がいなくても大丈夫だから、と思い切って無謀なことをしていたけれど、今は違うと断言できる。胸の手を当て、笑みをこぼす。
「――私たちの娘が、マナウが、待っているからね」
『……ああ、そうだな』
ウィンドウ越しに彼が優しく目を細める。そのまま、マナウを見つめるときのような優しい笑顔を浮かべ、囁くように続ける。
『大好きだ。ローラ』
「……ん、私も」
二人でひっそりと囁き合うように言葉を交わす。それだけでローラの胸がぽかぽかと温かくなってくる。彼が見ていてくれる――それだけで、力が湧いてくるようだ。
(今なら誰にも負けない気がするよ……フィアルマ姉さまでも)
ふっと笑みをこぼし、爪先に力を込める。そのまま、勢いよく告げる。
「ローラ、行きます!」
『了解。第二フェーズを開始する』
カイトの頼もしい声を聞きながら、地を蹴る。それと同時に勢いよく空を翼で打った。滑るように彼女は中空へと飛び出し、勢いよく飛翔する。
風を切る音が耳に響き渡る。最初からトップスピード。容赦なく宙を駆け抜ける。
宙を舞う投石の放物線のはるか上に陣取り、背後に鬼火で合図を送る。それを受けて、投石が一時中断される。それを見計らい、ローラはぴたりと翼の動きを止める。
体勢は、頭を斜め下に。翼は大きく真横に広げたまま、一気に滑空。
まさに滑り降りるような勢いで、ローラは毒竜へと向かっていく。
その急降下に毒竜は気づき、大きく口を開く。
だが、もう遅い。
翼の角度をわずかに変え、毒竜の真上を駆け抜ける。その通り抜け様、腰に帯びていた筒を次々にばらまく。それは毒竜の背めがけて、落下していき――。
激しい轟音と共に、爆炎が立ち上った。
(さすが、黒色火薬……っ! 勢いは、すごいかな……っ!)
翼を一打ちして上空に逃れつつ背後を振り返る。そこには黒煙が立ち上り、毒竜の全身が燃え盛っている。爆炎は一瞬で終わらず、その背を侵食している。
普通の火薬だけでは、ここまで炎は広がらないだろう。
その火力を助長しているのは、その背にぶつかり、貼りついている投石の岩。
正確には、タールを混ぜた泥炭だ。
(投石の中に、掘り起こした泥炭を混ぜて放つ。それで、毒竜の身体に泥炭を貼りつかせた……さすが、兄さま!)
泥炭は、どろどろとしていることは十二分に身に染みている。
その粘着力で、泥炭ははげれ落ちることなく、べったりとくっついているのだ。それが、火薬の熱量を受けて発火、激しく燃え盛っているのだ。
一度燃えた泥炭は、なかなか消えない。激しく炎が身体を蝕むのを、毒竜は苦しみ続けるしかない――。
瞬間、不意に毒竜の動きが変わった。背の炎を振り払うように身を揺らしていたが、それが止まる。ゆらり、と首が揺れ、一点を見つめる。
そして、そのまま四足で地を蹴り、勢いよく進み始める。
つまり――ダンジョンの方向へ、真っ直ぐに。
「……ッ! 兄さま!」
『加速したな。大分早い。五分で、ヒカリの地点に到達する。ヒカリは、投石作戦を放棄し、撤退。地下に避難してくれ』
『了解!』
『ローラ、作戦を繰り上げる』
その言葉の意味を、すぐにローラは把握する。
本来なら、火薬を補給し、二回の空襲を加える予定だった。だが、それは時間的に許さなくなった。つまり――。
「了解。最終フェーズに以降――総火力を以て、敵を撃滅します」
『頼んだ。ヘカテは地上からの援護射撃を頼む』
『了解。でも、一発が限度よ』
ヘカテの声が割り込んでくる。カイトは即座に頷き、判断を下す。
『ああ、撃ったらすぐに避難してくれ。ヘカテ。もちろん、ローラもだ』
「兄さまも、無理をしないでね!」
五分で、投石機のエリアに毒竜が突っ込むということは、六分もすればカイトのいる岩山に突っ込みかねないのだ。
ローラは表情を引きつらせながら、翼をさらにはためかせる。
加速し、毒竜の真上を飛び越していく。毒竜の動きは、四足獣めいており、かなりの速度で木々を薙ぎ倒している。それは目的を持ったように一心不乱だ。
(でも、一体、なんで……これって、まさか……)
誰かの指示を、受けているかのようだ。不気味な感覚を覚えながら、ローラは翼を打ってさらに加速する。
毒竜の動きは、馬が全速力で駆けるよりも早い。ローラは懸命に羽ばたき、ようやく毒竜の頭上を追い越す。そのまま、身を翻しながら、肚に力を込める。
目の前には、同じ竜とは認めたくないほど、醜悪な顔立ちをした毒竜が首を振り回しながら、猛然と突き進んでくる。その臭気に、とっくに鼻は麻痺している。
それ幸いと、大きく息をさらに吸い込む。新鮮な空気を受けて、 激しい烈火が肚の底で煮えたぎる。カイトのいる岩山を背にし、不退転の覚悟を以て、大きく深呼吸。呼気だけで、カイトに合図を送る。
「兄さま、いつでもいける……!」
『同じくよ。カイト。合図を寄こしなさい……!』
真下の付近。木々の合間から紅い閃光が見え隠れする。そこに、ずんずんと激しく木々を蹴散らし、突き進んでくる毒竜。
それを睨みつけ、ローラは合図を待ち――。
『撃て』
その鋭い指示と共に、肚の底から全力で吐息を吐き出す。
全身全霊、全力の、ドラゴンブレス。それが吐き出された瞬間、視界が真っ白に灼きつく。直後、轟音が吹き抜け、ローラの鼓膜も揺さぶる。
その息吹が掠めただけで、木々の葉は燃え上がり、瘴気に満ちた空気は焼き清められていく。清も濁も全て押し流す奔流に、ヘカテの紅い閃光が加わる。
やや、勢いが劣るものの、その分、一点に集中された火力。
その二つが毒竜の頭を一気に包み込んだ。灼熱の業火に、毒竜はその喉から絶叫を迸らせる。頭を振り回し、辺りに酸毒を撒き散らす。
それに手ごたえを感じながら、ローラは翼をはためかせて体勢を整え、さらに火力を高め――。
不意に、胴に衝撃が走った。
「――ッ!?」
体勢が大きく崩れ、呼気が乱れる。咄嗟に体勢を立て直すべく、翼をはためかせる。だが、その間、ローラは中空で無防備――。
その隙を縫うかのように、毒竜の頭から何かが走った。
(毒液……っ!?)
ローラは咄嗟に身を守るべく両腕を交差させる。だが、その次の瞬間、襲ってきたのは全身への衝撃。胴が締めつけられるような圧迫に、肺から空気が押し出される。
揺さぶられるような衝撃に、意識が遠のきかける。
それを必死に唇を噛んで耐える。そのまま、揺れる視界の中で目を細め――。
ローラが、自分の身体が触手に絡めとられていることに気づいた。
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