第3話

 フィアは、さすがに不機嫌だった。

 カイトの膝の上を陣取って座りながらも、つん、と顔を背け、不機嫌さを示している。その幼気な仕草に少し微笑ましく思いながら、カイトはその髪を撫でる。

「なあ、機嫌を直してくれって」

「直しません。カイト様が、ローラばかり贔屓するからです」

「贔屓しているつもりはないんだけどな……」

 カイトの言葉に反発するように、ぐりぐりと後頭部を胸板に擦りつけてくる。痛くはないが、くすぐったい感触にカイトはひっそりと苦笑いをこぼした。

 フィアが拗ね始めたのは、作戦の編成を告げてから。

 毒竜撃退作戦の主軸を、ローラとヒカリたち。後衛にシエラ。支援にヘカテ。総指揮として、カイトが現場に立つ。

 そして――フィアは、空白となるダンジョンの留守を頼んだ。

 会議中はそれを承諾していたが、内心では不満だったようだ。その不満をこうして二人きりの時間でぶつけてきたらしい。

「ねぇ、カイト様、分かっていますか? 私がボスなんですよ?」

「ああ、分かっている。フィアが一番だ」

「だったら、最高の敵には最高の味方をぶつけるべきだとは思いませんか?」

「そういう考え方もあるなぁ」

「もっと、私を頼って下さいよ、カイト様ぁ」

「ごめんな、もう決めたことだから」

「うう、私だけお留守番……不名誉です……」

「んなことはないけどさ。フィアはかわいいぞ」

「そ、そんな言葉でごまかされませんよっ、というか脈絡がなさ過ぎです」

「そうか? 事実を言っているだけだけど」

「カイト様はずるいですっ、ううぅ」

 ぽかぽか、と今度は拳で太ももを叩いてくる。もちろん、本気ではなくこそばゆい感覚だ。カイトはそれを受け止めながら、少しだけ目を細める。

(いつにもまして、拗ねているなぁ)

 普通の人なら、きっと面倒くさいやつ、と思ってしまうだろう。

 だが、カイトはそうは思わない。ただ、優しくその八つ当たりを受け止める。その暴れる仕草が可愛らしくてたまらないのだ。

(本当、惚れた弱みだよなぁ……)

 フィアの一つ一つの仕草に、愛おしさを感じてしまうのだ。

 やがて、彼女の暴れ方が大人しくなってくる。優しくその頭を撫でながら、カイトは訊ねる。

「賢いフィアだ……理解はしているのだろう?」

「それはもちろん……理解はしています。カイト様の采配に間違いはありません。誰かがこのダンジョンの留守は預かるべきです。それもボス格の誰かに」

 そこで言葉を切ると、少しだけ彼女はカイトを振り返り、寂しそうに瞳を揺らす。

「だけど――心が、納得しないんです」

「……フィア」

 指を伸ばし、頬を撫でる。それから彼女の手を取る。フィアはそれを拒まず、指を絡めて握り返し、切なげに吐息をこぼした。

「私はもう、はずれではない。そう思えます。ですけど、現状を思うと――私はカイト様のお役に立てているとは思えないのです。そう思うたびに、不安が込み上げてきて」

「そんなことはない……って言葉では、納得できないよな」

「……ごめんなさい、カイト様」

 フィアはわずかに眉を寄せ、うつむいてしまう。それが何よりの答えだった。

「お供はいつもローラばかり。さらには義理とはいえ、娘もできて……恋人としても、仲間としても徐々に自信を失いつつある、というか……」

「うん……フィアには、いつも我慢させているな。ごめん」

「カイト様は、悪くないんです。私が、勝手に拗ねているだけですから」

 そう言いながら彼女はふるふると首を振る。カイトはその身体を優しく後ろから抱きしめて囁く。

「それでも謝らせてくれ……フィアの恋人として、不安にさせてしまったから」

「カイト、様……」

 ちら、と彼女の目に不安そうな色がよぎる。

「……私も、ごめんなさい。こんな、面倒くさいことを言って」

「いいさ。こういうのも、悪くないし、面倒でもない」

 こうやって感情をカイトの前だけで露わにしてくれる。そのことが心地よくて嬉しく感じる。フィアの拗ね方は可愛いので、別に飽きることもない。

 ゆったりとカイトは腕の中でフィアを抱きしめながら微笑みを向ける。

「たまにはこういうのもいいぞ。何かリクエストがあるなら、お応えするが?」

「そんな……今、忙しいのにそんなに甘えるわけには」

「とはいえ、どちらにしろ、僕たちがやることはないからな」

 指をさっと払い、ウィンドウを呼び出す。その画面に浮かんでいるのは、地上部。エルフ村は今、総出で作業が行われている。木材を加工し、エルフが主導して組み立てている。その光景を見つめ、カイトは目を細めた。

「手伝ったところで、彼らの邪魔にしかならないからな」

「……そう、ですね。歯がゆいですが」

「だから、フィアとゆっくりするのも、悪くはないんだ。特に、最近は、ローラやマナウに構いきりだったからな」

 そうつぶやいて、ふと思って訊ねる。

「そういえば、フィア、マナウとはあまり話さないのか? あの家を避けているようにも思えるのだけど」

「う……それ、は」

 フィアは膝の上でぎこちなく視線を逸らす。わずかに恥ずかしそうに頬を染め、ごにょごにょと小さくつぶやいた。

「――おばさん、とか言われたら、ショックなので……」

「……ああ、まぁ、確かに」

 ローラの姉であるフィア。マナウからすれば確かに伯母にあたる。

 フィアはまだ五歳。そこで伯母さんと言われれば、ショックだろう。

(マナウだったら言いそうだしな……)

 苦笑いをこぼしつつ、カイトはフィアの頭を撫でながら告げる。

「でも、今回の留守は、フィアとマナウだ。最低限は、仲良くしてくれよな?」

「う……そうですよね……」

 作戦では、ダンジョンの主力がほとんど出払うことになる。それに改めて気づいたのか、視線を泳がせるフィア。やがて、観念したように吐息をこぼした。

「――分かりました。覚悟を決めておきます。だけど、今日は」

 フィアはくるり、と膝の上で反転する。そのまま、膝の上でカイトと向き合い、少しだけ照れくさそうに頬を染めて告げる。

「今は、カイト様の恋人でいたいから……一緒に」

「ん、ゆっくりしよう。のんびりお茶でもしながら」

「はい、二人だけの時間を」

 額をくっつけ合い、くすくすと笑い合う。そのまま、ゆるやかにお互いを抱きしめ、言葉を交わし合う。穏やかな、優しい気持ちと共に。

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