第2話
カイトの連絡に、ヒカリは思わず呆れかえった。
そこは、ソフィーティアの屋敷。その一室は、ヒカリが執務室として借りていた。そこに急ぎ足で訊ねてきたカイトの言葉に、ただ呆れるばかりだった。
同席したソフィーティアも寝耳に水なのか、珍しくぽかんとしている。
だが、カイトの咳払いに、ヒカリは我に返ると、すぐに思考を巡らせる。だが、さすがに文句を言わざるを得なかった。
「――全く、どういうことですか。いきなり、毒竜なるものが攻めるなんて」
「こっちもびっくりしてな。正直、奇襲を受けなかっただけ、僥倖だと思う」
「そうかもしれないですけど……本当に、急ですよ」
ヒカリはため息をこぼすと、先ほどカイトが告げた言葉を反芻するように口にする。
「三日後に攻めてくる、ドラゴンを退治する策を考えてくれ、なんて」
思えば、最近、カイトの無茶ぶりが増えてきている気がする。
傘下に降ったときは、どこか客を扱うような余所余所しさがあった。だけど、知り合うにつれ、徐々にそれが抜けていく。今や、ヒカリと呼び捨てにしてくれるくらいだ。
だけど同時に、徐々に期待も増えてきている。
仲間として扱ってくれるようで嬉しいが、少し重圧に感じていた。
愚痴をこぼすように、ため息をつきながらヒカリは立ち上がる。
「この前は勇者を撃退する作戦、今回はドラゴン――シグムンドもびっくりですね」
「すまん、だが、こちらも急でな……策を練ってくれるのは、ヒカリしかいない」
弱ったように眉尻を下げ、素直に頭を下げてくるカイト。その真っ直ぐな頼みに、ヒカリはため息をこぼす――そう言われると、断れるはずもない。
まあ、もちろん、元々断るつもりもないのだが……。
「仕方ないですね。また、一緒に考えましょうか。カイトさん」
「助かるよ。ヒカリ」
ほっとしたように告げるカイトは相変わらずの目つきだった。まるで、海のように穏やかで、深さを感じさせる目つき。見つめ合っていると、吸い込まれてしまいそうだ。
ヒカリはなんとなく視線を逸らし、壁にある棚に視線を向ける。
「少し待ってくださいね……えっと、ソフィ、地図を」
「かしこまりました」
ソフィーティアは執務室の棚から一本の竹簡を取り出す。それを受け取り、ヒカリは自分の机の上に広げる。それをカイトは覗き込んだ。
「――地上の地図だな」
「はい、話を聞いている限りだと、かなりの強敵です。となれば、ダンジョンの領域内で防ぐべきでしょう。打って出るのは、避けるべきです。だけど、毒竜は土地を汚染する、とも聞きました」
「ダンジョンの立ち入りは、避けるべきだな」
「ええ、なので、迎撃地点は――ここ」
ヒカリは南西の端を指さす。ダンジョン領域の、ギリギリの部分。
「この領域を主戦場にすべきだと思います」
「すごいな、ヒカリ。少し話しただけで、そこまで考えつくとは」
カイトは感心したように真っ直ぐな視線で見つめてくる。その視線を照れくさく思いながら、一つ咳払いをしてソフィーティアを見る。
「ソフィ、毒竜について分かることはある?」
「といっても……ひとまず、外見は竜族だ。フィアルマ殿やローラ殿と変わりはないくらいだろうが……ああ、あともう一つ。ただ大きく違うのは、毒竜は飛べない」
ソフィーティアは少し考え込んでいたが、付け足すように告げる。カイトは微かに目を細め、念を押すように訊ねる。
「……絶対に、か?」
「ああ、絶対にだ。何せ、翼が自身の身体の毒で壊死しているのだから」
ソフィーティアの言葉に、カイトは少しだけ顔をしかめる。だが、すぐに真剣な表情になると頷く。話しているうちに、ソフィーティアは思い出したのだろう、言葉を続ける。
「他に厄介なのは、全身に巡る体液に猛毒が入っていることだ。だからこそ、毒竜が歩いた後は、毒で地面が腐り果てる。近距離戦はもちろん、返り血を浴びるのも危険だ」
「なるほどな……他には?」
「そうだな、敢えて言うなら、毒竜の成竜となると、かなりサイズは大きいはずだ。私が把握しているのは、これくらいだろうか」
ソフィーティアの言葉に、カイトは軽く頭を下げて礼を言う。
「ありがとう。参考になった」
「うん、ありがとう。ソフィ。それを踏まえると……」
飛べない、という情報は大きなアドバンテージだ。そうなれば、進軍路はすぐに限られてくる。ヒカリは思考を巡らせ――思わずため息をこぼす。
「……どうかされましたか、ヒカリ様」
「ん……さすがに、思いつかない、というか」
指先でペン代わりの炭をくるくると回し、憂鬱な気分でつぶやく。
「さすがに、古今東西の兵法でも、巨大不明生物の撃滅を語っているものはないよ」
「それは……まあ、そうだな。人間対人間の物が全部だ」
「ん、当たり前だけどね」
ヒカリは苦笑いをこぼしながら、思考に巡らせていく。
だが、何から取り掛かればいいか、よく分からない。
罠を仕掛けようとも、待伏せしようとも、それを容赦なく踏みつぶしていく光景しか思い浮かばない。また深くため息をこぼし、思考を投げ出しかける。
だが、そこに目に入るのは、カイトの姿。
彼は熱心に地図に視線を移し、指先で示しながらソフィーティアに訊ねる。
「ここの地質は泥炭層か?」
「ああ、恐らく……調べてみるか?」
「ああ、何かに使えるかもしれないから。でも、火は通じないだろうな」
「効き目は薄いだろうな。全く、毒には何が効くのか……?」
「最悪、試せるものを全部試すしかない」
カイトの目つきに、あきらめはない。いつだってそうだ。
絶望的な状況でもあきらめない。知恵を絞り出そうとする。
こんな、体験したことのない脅威に対しても、彼は懸命に知恵を絞る。
それを見つめ、ヒカリは内心で苦笑いを浮かべる。
(――この人には、叶わないな)
勇者戦のときも、そうだった。立案のとき、ヒカリが知恵を出しあぐねていても、どんどん彼は考えを口にする。くだらないことでも、それがきっかけで発想が生まれた。
だから、今もあきらめたくなくなる――。
「しかし、異世界で怪獣退治か……日本映画もびっくりだな」
「ええ、そうです、ね……」
相槌を打ちながら目を細める。もしかして、と視線を巡らせる。
(罠や伏兵を打ち砕くくらい、相手が巨大なら……)
そんな小さなスケールで考えるべきではない。大きく考える。
日本映画では、巨大不明生物相手にどうやって戦っていたか。
「……ミサイル。戦車。大砲」
「……ヒカリ?」
カイトの訊ねる声に、ヒカリは視線を上げる。もやもやとしていた頭が、いつの間にかはっきりと定まりつつあった。
カイトの目を見つめ返す。彼の深い眼差しに逆に踏み込む勢いで告げる。
「大きい相手には、大きく兵器で対抗しましょう。カイトさん」
その勢いに呑まれたようにカイトは少し目を見開いた。その目に向かい、ヒカリは地図を指し示しながら、どんどんと考えを明かしていく。
聞いていたソフィーティアも目を白黒させる。恐らく口にした固有名詞が理解できずに、混乱しているのだろう。
だけど、地球出身の彼は、正しく理解した。唇を引き結び、思考を巡らせている。
やがて、真っ直ぐな視線で見つめ返してくる。激しい信念が満ちた瞳で、彼は告げる。
「分かった。その策で行こう。ヒカリは図面を引いてくれるか」
「――ッ! はい、分かりました」
そのはっきりとした声に応じながら、ヒカリは目を細める。やはり、カイトは頼りになる。清々しいほどの即決即断だった。
だけど、そのために少しだけ不安が込み上げてくる――これで、本当に正しいのか。
本当なら、もっと正しい作戦があるのではないか……。
「――大丈夫だ。ヒカリ。胸を張っていいよ」
ふと、その考えを察したようにカイトは笑みをこぼす。
「そこまで立案してくれれば、あとはなんとかするのは、僕の仕事だから」
そう言いながら、彼は踵を返して出て行く――その後ろ姿を見つめながら、ヒカリは目を細めると、ソフィーティアは苦笑いをこぼす。
「あの方には、叶いませんね。ヒカリ様」
「ええ、本当に……あの人を助けられるように、頑張りましょうか。ソフィ」
そう言いながら胸に手を当てる。そこにあった不安は、いつの間にか消え去っていた。
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