第11話
ダンジョンの真上――岩山にある、泉。
そこにカイトとローラが立ち寄ると、ぽこり、と泉の真ん中に泡が立つ。
それを合図に、水が少女の姿を形取る――相変わらず、髪を下ろしたローラにそっくりの顔立ちの、水乙女が悪戯っぽく笑う。
「ああ、カイトにローラ、久々やないの。顔を出してくれて嬉しいわぁ」
「久しぶりだな。水の精霊様」
カイトは目を細めてその精霊に挨拶を返す。親しみを込めた挨拶に、水の精霊は楽しそうに笑みをこぼして頷く。その無邪気な様子は、マナウにそっくりだ。
ローラも少し表情をゆるめ、しゃがみ込みながら訊ねる。
「お久しぶり。元気だった?」
「ふわふわ寝とるばかりだから、元気もへったくれもないやな」
屈託のない笑顔で言葉を返し、精霊はするするとカイトの傍に寄る。そのまま、水辺に頬杖をつき、カイトの顔を見上げた。悪戯っぽく目を輝かせる。
「マナウとよう遊んでくれているみたいやな、嬉しいで」
「分かるのか?」
「あの子は妾の分身や。あの子が妾にアクセスすることはできひんけど、妾はあの子の目や耳を通じて、あんたらの様子を見られるわ」
「……へぇ」
なんだか嫌な予感がする。ローラも表情を引きつらせ、一歩後ずさった。
その予感を裏付けるように、にやりと精霊は意地悪い笑顔を見せる。
「あんたら、悪いやっちゃなぁ、娘が寝ている傍で子作りしよって。教育悪いんちゃうか?」
「や、やっぱりまた見ていたの……っ!」
ローラが思わず悲鳴を上げる。おお、と精霊は悪びれもせずに頷く。
「むしろ、あんなギシギシアンアン言わせて聞かへん方が無理やて」
「う、ぁっ、そんな、言わないでぇ……!」
ローラが真っ赤になってぷるぷる顔を震わせ、カイトの背に隠れる。にやり、とチェシャ猫のような笑みを浮かべ、精霊はカイトを見上げる。
「ようええ声で女を鳴かすなぁ、あんた。罪な男やで」
「……僕までからかわないでくれ。さすがに、恥ずかしい」
「せやなぁ、二人だけならともかく、仲間さんまで話聞いているんだから」
精霊はそう言いながら、さりげなく視線を泉の傍に生える木に向ける。さすがに気づいているらしい、視線をそちらに向けて彼女は告げる。
「出てきてええで。ヴァンパイアの娘っ子。別に、妾は気を悪くしたりしぃひん」
「……悪いわね。水の精霊。気を使ってもらって」
「構わへんよ。妾は、カイトを気に入っている故に」
ひらひらと手を振ったウィンディーネ。ヘカテはカイトの隣に並びながら、少し気まずそうに視線を泳がせ、一つ咳払い。
「その、娘の近くで、そういうことをするのは――教育によくないわよ」
「ヘカテまでからかわないでくれ……」
ローラは恥ずかしさのあまり、カイトの背に顔をうずめてぷるぷるしてしまっている。ヘカテはくすっと笑みをこぼし、彼の目を覗き込む。
「貴方も恥ずかしがることがあるのよね」
「さすがに、これは誰でも恥ずかしいだろうに……」
カイトも気まずくなって視線を逸らす。その先ではウィンディーネが水面を泳ぎながら口元を緩め、ヘカテに視線をやる。
「初めまして、やな。ここの泉の主や」
「ヘカテよ。ヴァンパイアとエルフの間の子。貴方は、警戒しないのね。私を」
「陰の魔力も、そこまで澄み切っていれば気持ちええわ。それに、あんたの身体からは、カイトの気配を感じる。かえって心地いいわ」
ウィンディーネの気さくな声に、ヘカテは目を丸くしながら、少しだけ苦笑いをこぼした。
「それはありがと。貴方みたいな精霊は初めてだわ」
「変わり者やからな。こんな辺鄙なところで暮らしとるんや――んで」
精霊は少しだけ目つきを切り替え、カイトの方を見上げる。
「ほんで? ローラだけでなく、ヘカテも連れて来たってことは、世間話だけやないんやろ? カイト。また、お願い、かえ?」
「鋭いな。けど、お願いじゃなくて、質問だ。水のごとく、知己深く美しき精霊の姫に」
「あんた、人をおだてるのが相変わらず上手いなぁ……ほんで、何聞きたい?」
少し嬉しそうに表情をゆるめた精霊の傍に屈みこみながら、カイトは訊ねる。
「マナウ、ソフィーティア、ここにいるヘカテが、立て続けに妙な感覚を覚えている。それで、貴方なら何か心当たりがあるのでは、と」
「んむ? ふぅむ……せやなぁ、確かに、妙な感覚は度々あるわ。言うなれば、少し頭が痛くなるような、妙な感覚やのぅ」
低気圧の頭痛に似た症状だ。精霊は自分の頭を軽く叩く。
「頭なんてあるものじゃない故に、ただの感覚や。少し引っ張られるような感じで、不快感を覚える――けど、そこまでではない」
「こういうときは、よく雨が降る印象なのだけど。どうなのかしら」
ヘカテが口を差し挟む。ふむ、と精霊は眉を寄せて腕を組んだ。
そして、軽く視線をカイトに向けてくる。
「あんた、妾と最初に会ったとき、エルフの子が言っていたのを覚えておるかえ? 魔素とか、そういうものを」
「ん、ああ、覚えているけど」
それを軽く思い出す。人間と魔物の違い。それは、魔素を取り込む器官があるかどうか、という点。植物の細胞には葉緑素があり、光を取り込むように、魔物の細胞には魔素を取り込む器官があるのではないか、という仮説だ。
それを軽くヘカテに解説してやると、彼女は考え込むように顎に指をあてる。
その間に、ウィンディーネは軽く目を細めて告げる。
「それは、当たっているわ。カイト。妾たちには、魔素を取り込む器官があり、さらに言うと、その魔素はこの大気中に存在する」
「この空気中に?」
「せやな、この大気には、八割くらい雑多な空気と、あと二割くらい、澄み切った薬みたいな空気があるんや。薬みたいな空気が多ければ多いほど、生き物は生きやすい。けど、薬は行き過ぎれば毒にもなる。加減は難しいところやな」
その言葉に、ふとカイトはすぐに思い至る。
(原子論か。窒素と、酸素……)
自然に密接にかかわる精霊だけに、体感的にそれを感じ取っているようだ。さらに言えば、大気状態は割と、地球に似通っていると推測できる。
考えてみると、カイトが生きている時点で、それは当たり前なのだが……。
(雑多が窒素、薬は酸素。なら、魔素は一体?)
原子論ではあてはまらない、魔素の概念に眉を寄せていると、ウィンディーネは滔々と語る。
「んでや、その雑多な空気の中に含まれているのが、魔素や。せやな、正確に言うと、四割は魔素つきの雑多な空気、四割は魔素なしの雑多な空気、二割は薬の空気や」
(……つまり、この世界には、二種類の窒素がある、ということか?)
推測の域を出ないが、ひとまず仮説としてそう整理しておく。
ここまでのウィンディーネの言動を原子論で置き換えると、この世界の大気の配分は全体を10とすると、『窒素:魔素:酸素=4:4:2』ということになるらしい。
それが普通の大気状態。だけど、とウィンディーネは腕を組んで告げる。
「今の空気は考えてみると、ちとおかしいな。魔素がいつもより足りひんのや」
「つまり、雑多な空気中の、魔素が少ない」
「そういうことやな」
ちなみに、動物は酸素濃度が18%未満になると、酸欠の状態になる。活動が鈍くなり、思考も巡りにくくなる――もし、それを魔物に適応するなら。
酸欠ならぬ、魔欠状態に、近いのかもしれない。
「魔素が身体に行き渡らず、ちと違和感を覚えているんやろ。まぁ、でも正直、あんたらは気にせんでも大丈夫やで。なんといっても、妾の水を飲んでおる」
「精霊の作り出す水は、魔素が豊富だからね」
ヘカテは肩を竦めて付け足す。なるほど、と頷きながら、軽くカイトは片眉を吊り上げる。
「で、その魔素が不足しているのが体調不良だとして、原因は何だと思う?」
「はぁ、あんまり考えたこともないけどなあ」
ゆるやかな精霊は首を傾げて考え込み、空を見上げる。
「空気がうっすいなぁ、思うときは大概雨が降るんやけど、そういう雰囲気もない。むしろ、空気自体は濃く澄んでおるし……いや、んむ?」
ふと何かに気づいたように、空をじっと睨んでいた精霊だったが、ちら、とヘカテを見る。
「妾は、水の精霊故、感じづらいのだが……風があらぬか?」
「風? 風……確かに」
ヘカテがつぶやいた瞬間、ふわりと風が吹き抜ける。北東から、南西に向けて。その風が吹いていく方向を目に留め、ヘカテは小さくつぶやく。
「向こうに風が、流れている」
「おかしいの。風は一定方向に流れる。南へ、南へと。それが、逸れている?」
精霊の声に、ヘカテは頷く。その声にわずかにカイトは眉を寄せた。
(風が一定? 偏西風なら分かるが、季節で風が変わるはずなのに……やはり、異世界、何かが違う部分がありそうだな)
「普段、風は常に南風、なのに今は、西に逸れている、ということだな?」
「微風も微風、程度なんやけど」
精霊に確認を取ると、精霊はこくんとうなずき、わずかに考えをまとめながら告げる。
「人間は、水や食物から魔力を得るけど、魔物は大気中の魔素からも魔力を得るんや。考えてみると、竜の里や巨人族の里は、風の中心になることが多い――つまり」
「この風の方向に、何かがいる……?」
「……その可能性も、高いわな。しかし、妙やなぁ……ふむ、ふむ……」
精霊の少女は考え込みながら、くるくるとその場で回っていたが、ぽん、と手を打つ。
「よし、妾も気になるし、手ぇ貸したるわ。明日、また来てくれるかえ?」
「調べてくれるのか?」
「おお、雨雲を一つそちらに向けて調べてみるわ」
「親切ね。貴方。気まぐれ精霊の割には」
ヘカテは腕を組み、感心したように言う。精霊はにやりと口角を吊り上げて答える。
「これも気まぐれや。気に入った相手には、手伝ってやりとうなる」
「……まぁ、気持ちは分かるけど」
「せやろな、あんたもそんな感じがする」
精霊はヘカテを見つめてしみじみと頷き、やけど、とにやりと口元を吊り上げる。
「まだ、おぼこいのぅ、色っぽい話で狼狽えるとは」
「……生々しいのは、苦手なのよ」
「ほぅ、長生きしている割に、そちらには疎いのか……それとも、惚れた男でもおるのか? それで、一途に想い続けている」
「……っ」
ヘカテが目を見開き、息を呑む。だが、すぐに憎々しそうに精霊を睨む。
「貴方ねぇ……」
「ヘカテ、あまり悪い口を叩くなよ」
「分かっているわよ。ただ、あまりいい気分がしないわ」
「すまんな、からかい過ぎた」
意外とあっさり謝る精霊。ヘカテはわずかに鼻を鳴らし、顔を背ける。カイトはまばたきしながら、ヘカテを見やる。
(珍しいな、彼女が手玉に取られる、というのも)
さすが、精霊と思うべきかもしれない。だが、それ以上にヘカテの困惑したような顔が新鮮だ。その横顔を見ていると、ヘカテの視線がカイトに向く。
心なしか頬を染め、じっとカイトを睨みつける。
「なによ、カイト。私が初心な娘で不満?」
「いや、そういうわけではないけれど」
「なら、そんな生暖かい目で見ないの。噛むわよ」
いぃ、と牙を剥き出しにするヘカテは、どこか子供っぽい。苦笑いを浮かべ、カイトは肩を竦めた。それから精霊に視線を向け、軽く頭を下げる。
「とにかく、様子見、よろしく頼んだ」
「おぉ、明日には分かる故、待っているんやでぇ」
精霊は楽しそうにひらひらと手を振り、泉の中に沈んでいく。引っ掻き回すだけ、引っ掻き回す、本当に気まぐれな精霊だ。
おかげで、ローラとヘカテは気まずそうにしている。
カイトは苦笑い交じりに肩を竦めた。
「……とにかく、精霊様の報告を待つとしよう」
「そ、そうだね……戻ろっか、二人とも」
ローラはぎこちなく笑い、ヘカテはこくんと頷く。それを笑うように、泉からぼこぼこと泡が立ち上った。
――そして、翌日。
訪れたカイトとローラに、精霊は難しい顔で告げた。
「南西を根城にしている、魔物がおったで」
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