第6話

 その空間は、全てが凍り付いていた。


 風も吹かず、音も聞こえず、蒸し暑い空気が辺りを押し包んでいる。ただひたすら暑い夏場なのに、それを見るカイトの背筋は凍り付いていた。

 身体から熱が抜け落ちたかのように、頭が真っ白になっている。

 ガラスの格子窓の外から差し込んでくる強い日差しが、コンクリートの土間を照らしあげる。そこに散らばる、鮮やかな赤い斑点。

 それは、まさに血花――その前に立ち尽くす、幼い日の自分にカイトは思う。

(ああ――また、この夢か)

 目の前で散らばっているのは、大切な人たち。

 一緒に暮らして笑い合って過ごしていた、大切な家族。血はつながっていなくても、ずっと一緒だと思っていた家族。それが、虚ろな目で土間に転がっている。

 誰一人として息遣いが感じられない。

 その凄惨な光景に、ただ、カイトは立ち尽くすしかない――立ち尽くし、しか……。


「――ッ!」

 弾けるように、カイトは身を起こした。荒い息をつくと、身体から震えが込み上げてくる。額に手を当てると、じっとりと汗で濡れていることに気づく。

(……くそ、嫌な夢を、見たものだ……)

 それは、何年も前の光景。彼が実際に見た景色。もう、二度と見たくない。

(……昔話をしたせいか、あるいは……)

 ちらりと、横を見る。そこではローラが穏やかに寝息を立てていた。唇をむにゅむにゅさせ、薄く瞼を震わせて開く。

「んにゅ……兄さま、大丈夫……え……?」

 ぼんやりとローラが顔を上げ、まばたきをし――不意に、息を呑んだ。慌ててカイトの胸にすがりつき、顔色を覗き込んでくる。

「に、兄さま、すごい顔色……汗もすごいよ! 熱? 病気っ!?」

「い、いや、落ち着け……ちょっと夢見が悪かっただけだ」

「それにしても、身体が震えているよ、兄さま!」

 ローラの声に気づいたのか、フィアとエステルも目を覚まし、身を起こす。そのローラの慌てぶりを落ち着けようと、手を伸ばして頭を撫でる。

「大丈夫だ。ローラ……みんなも、起こして悪い……」

「ご主人、様、それはまともな、顔色をしてから、言ってください」

「そうですよ、カイト様! すごい汗……! えっと、何か拭くものは……」

「私は、湯を用意します。フィア様とローラ様は、ご主人様を、見ていて下さい」

「うん、わかったよ!」

 ローラは勢いよく頷きながら、カイトの傍に寄り添ってくれる。フィアもその傍に寄り、布を取り出してカイトに額に押し当てる。

「すみません、こんな布切れしかないのですが……」

「いや……みんな、大事にし過ぎだぞ? 悪夢を、見ただけなのに」

「ただの、悪夢でこんなに震える?」

「おっかない夢だったのさ」

 心配そうに瞳を揺らして見つめるローラに、カイトは笑いかける。だが、その傍のフィアは首を振り、真っ直ぐにカイトの目を見つめる。

「――無理して笑わなくても大丈夫です。怖いものは、怖いですから」

 それに、とフィアは付け足すようにくすりと小さく笑った。

「カイト様も、怖い夢を見ることがあるんですね」

「それは、あるさ」

「少しだけ意外で、ほっとしました」

「確かに。兄さまってなんだか、なんでもそつなくこなすから、弱点がない気がするよね。そんな兄さまでも、夢で震えるんだ」

「ああ、僕にも怖いものくらい、あるさ」

 雑談をしている間にも、ローラは身を寄り添わせ、フィアが丁寧に汗を拭ってくれる。その安心感に、徐々に震えが止まってきた。

 その様子に、フィアとローラは安心したように視線を交わし、頷き合う。

 それを見計らったかのように、洞窟の中にエステルが戻ってくる。その手には、竹を切って作ったコップ。そこから軽く湯気が上がっている。

「……何事も、なさそうで、よかったです……ご主人様、お湯を」

「悪い、エステルにも面倒をかけた」

「いえ、お気になさらず……汗を、流されますか?」

 ふと首を傾げたエステルに、カイトは湯を口にしながら首を振る。

「もう少し、落ち着いてからにしよう。フィア、ローラ、先に水浴びしていてくれ」

 視線を外に向ければ、すでに陽が差し込んできている。フィアはそれに気づいたものの、心配そうに眉を寄せてカイトを見つめる。

「大丈夫、ですか?」

「何かあっても、エステルがいるし」

「お任せ、を」

「……では、お先に身を清めてきます」

 少しまだ心配そうだったが、フィアはこくんと頷いてくれる。ローラを連れて、フィアが外に行くのを見つつ、ふぅ、とカイトは吐息をこぼす。

「ひどく心配をかけさせたみたいだな。情けない」

「そういうことも、ございます」

 エステルはそう言いながらすっとカイトのベッドの脇で膝を折る。ゆるやかに尻尾を揺らしながら、エステルは微かに目を細めた。

「落ち着かれましたら、食事としましょう」

「ああ、ありがとう。エステル。支度を先に始めていても――」

「いえ、お傍に」

 エステルがはっきりと首を振る。無表情だが、はっきりした目つきでカイトを見上げる。

「私も、ご主人様が心配ですので。見守らせていただきます」

「……みんな、過保護だな」

「どのようにでも。ただ、私がそうしたいから、しておりますので」

 恭しく下げた頭では、耳がぴんと誇り高く立っている。そのことに、少しだけカイトは目を細めて笑いかける。

「――よかった。エステルは、ここにいたいと思っていてくれているんだな」

「当然、です」

 そう答えたエステルは無表情だったが、目だけはわずかに緩んでいた。

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