第5話
「ん、じゃあ、再開しようか。フィア。まずは、身体の動かし方を教える」
「了解です。お願いします」
カイトが立ち上がると、フィアはきりっとした顔で頷いてくれる。
「まずは構え方――それができるかどうかで、大分変わってくる」
「えっと、こうでしょうか?」
フィアは見様見真似でカイトと同じ構えを取る。それを見て、カイトは頷いた。
「ああ、構えができれば、すぐに攻撃が打てる状態になり、また攻撃も捌きやすい――そういう洗練された形なんだ。まあ、これはその一例だけど」
そう言いながら、カイトはフィアの身体を眺めて告げる。
「もっと、拳は頬に寄せる。しっかりと脇を締めて。相手を睨むようにして。それでもう少し腰を落とす――」
「え、えっと……こうですか?」
矢継ぎ早の指示に、フィアは目を白黒させる。少し崩れてしまった体勢を見やりながら、カイトは少し苦笑いを浮かべて手を伸ばす。
「ごめん、少し触るよ」
断りながら、そっと優しくその肩に手を触れる。あ、と彼女は少しだけ身をこわばらせたが、すぐに力を抜いて身を任せてくれる。
二人羽織のようにして、カイトは彼女の構えを直していく。
「ん、そんな感じで脇を引き締める。若干、重心は爪先に」
「はい、カイト様」
「そのまま、拳を突き出す――それに合わせて、腰の捻りを加えると、いい一撃が出る」
「あ――なるほど」
フィアは拳を突き出す。その空を切る音を聞きながら、カイトはつぶやく。
「――少し、安心した」
「ん、どうかしましたか」
「フィアに避けられているんじゃないか、と心配していて」
「そ、れは……」
少しフィアは顔を伏せさせながら、虚空に向けて拳を撃ち抜く。
「すみません――そういうつもりではなく。ただ……少し、気恥ずかしくて」
「何か、気に障ったとか……?」
「そういうことではないです。むしろ、カイト様には何をされても――あ、いえ」
フィアが口走った言葉を深く考えない方が、良さそうだ。カイトはさりげなく肩を叩きながら声を掛ける。
「拳を振り抜いた後は、しっかり脇を引き締める。身を護るんだ」
「あ――はい、すみません」
「いや、構わない。傍で見ているから、しばらく反復だ」
「了解です……あと、すみません。カイト様」
「ん?」
「ご心配をおかけしたみたいで」
「ま、当たり前のことだよ。フィアは僕の大事な相棒だ」
「ふふ……ありがとうございます。カイト様」
居心地良さそうに目つきを緩めながら、彼女は拳をしっかりと振り抜く。だんだんとその拳が重くなってきたようだ。
身体が徐々に動かし方を覚えてきているのだ。
「できるだけ、拳を撃ち抜くときは、この流れで行う。一々振りかぶっていれば、相手に読まれるからね。その位置からなら、頭や胴体まで拳が届く」
「確かに――これを、反復させるのですね」
「そういうことだ。大分筋がいいぞ」
「ありがとうございます」
そのまま、フィアは拳の素振りを繰り返しながら、小さな声で訊ねる。
「カイト様は――すごいですね。武術も、ご存じなんですね」
「ん……旅をしていたんだ。いろんなところを」
カイトは正面に回り込み、掌を突き出す。それに、フィアは拳を合わせるように叩き込んだ。ボクシングのミット打ちのような感覚。
自然と、カイトとフィアの視線が合う。それを合わせたまま、カイトは言葉を重ねる。
「フィアの言うところの異世界――地球にも、いろんな土地があって、いろんな風土がある。砂漠もあれば、ジャングルもあって、都会もある。そこを旅して回っていた。いわゆる、バックパッカー、探検家といってもいいかもしれない」
「それは、すごいですね……家を持たずに、点々とされていたわけですか」
「そういうこと――脇、締めて」
「あ、はい」
ぱん、ぱんとお互いの掌で弾けるような音が響き渡る。次第に、二人の身体にも汗がにじんでくる。カイトはフィアの拳を受け止めながら続けた。
「まあ、すごいというよりも――そうしなければ、ならなかった。言うならば、国を追われていたわけだから」
「――え」
少しだけ、拳の位置がずれる。それを受け止めながらカイトは咎めるように軽く踏み込んで見せる。フィアは慌てて距離を取り直し、構えを取る。
カイトは何もなかったかのように、指先を曲げてフィアに続きを促す。
「家――というか、日本にいられない事情ができた。落ち延びて、別の国で滞在することもできた。だけど、迷惑もかけられないから、別の国へ、別の国へと移っていった。その途中で、磨いた技術なんだよ」
「そうだったのですね……だから、こんなにご存じで……」
「ま、こうして役に立ったんだ。無駄な経験じゃないな」
そう言いながら、カイトは彼女の拳を捌きながら、代わりに拳を突き出す。彼女は軽く身を躱しながら、距離を取って拳を返す。
まだ、大振りな拳だ。余裕をもって受け止め、カイトは小さく笑いかける。
「しばらくは、付きっ切りで教えてやる」
フィアはその言葉にわずかに聞き惚れ――すぐに我に返ると、咳払いした。
「では、よろしくお願いします――ッ!」
踏み込みと同時に力を込め、拳を放つ。
それでも、彼は見切っているかのように対応。掌で柔らかく包み込むように受け止めてくれる。フィアはしばらくスパーリングを続けながら思う。
(――やっぱり、すごいな。カイト様は……)
見れば見るほど、胸が高鳴っていくのだ。それを一つ残らず込めるように、拳を放つ。
それをカイトはしっかりと受け止める。その真剣な顔に、相変わらずときめいてしまいそうだった。それを必死に自制し、カイトに言われたことを心掛ける。
(脇を引き締めて、重心は低め――)
そうして拳を放ちながら、ふと思うのは――カイトの先ほどの言葉。
『家――というか、日本にいられない事情ができた』
彼が過去を具体的に話すのは、先ほどが初めてだった。そのとき、彼の表情は曇り――そして、その瞳の中でわずかに痛みが走ったように思えた。
(――カイト様の過去に、何があったのだろう……?)
見たこともない、表情だった。何より、彼が一瞬だがあんなに辛そうな顔をしたのを見たのは初めてだった。それ故に、気になってしまう。
とくん、とくんと高鳴る胸の鼓動に耳を傾けながら――だが、それを訊ねる勇気が、今のフィアには湧かず……。
わずかな苛立ちを込め、拳を強く突き出していた。
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