第7話
カイトとヘカテが他愛もない時間を過ごしている同じ頃――。
エルフ村の、ソフィーティアの館では一人の少女がせっせと仕事をしていた。
この世界に転移した人間、ヒカリは雑に髪を一本に束ね、竹簡を広げて目を通す。
そこに記されているのは、食料の在庫のメモ。それを眺めながら、片手で木の板と炭でメモを軽く取っていく――ふと、その部屋に一人の女性が立ち入り、目を細める。
「励んでおられますな。ヒカリ様」
「ん、あ、ソフィ。お疲れ様」
ヒカリが手を止めて視線を上げる。金髪のエルフは金髪を揺らしながら、聡明そうな目を細めて、竹簡に目をやる。
「――また、食料の計算ですか?」
「うん、この調子だと食料の在庫が減りそうだから、開墾の計画をまとめようと思って。明日の定期報告で、カイトさんに上げようかな、と」
「熱心なのは結構ですが、休んでくださいよ? ヒカリ様」
「これでも、休んでいる方なんだけどなぁ……」
勤勉な日本人体質のヒカリは、苦笑いをこぼすしかない。
日中、八時間働くのは当たり前。むしろ、彼女が仕事をしていた頃は、月二十時間は残業していた。だからこそ、今、ヒカリとしては働いている実感がない。
(日中、少し村を見て回って、三時間くらい書類チェックするだけだし)
ただ、それだけでもソフィーティアは働き過ぎだと心配する。
過保護だな、と思いながらも、その気遣いがありがたい。ヒカリは手を止め、にっこりとソフィーティアに笑みを向ける。
「じゃあ、一緒にお茶をしてくれない? ソフィ」
「仰せのままに、ヒカリ様」
そう言うと、ソフィーティアは嬉しそうに目尻を下げて恭しく頭を下げる。その端正な顔立ちに、にこりと浮かべられる笑み。それに、ヒカリは視線が吸い寄せられてしまう。
「――ソフィって、本当に綺麗だよねぇ……エルフが羨ましい」
ソフィーティアはエルフの使用人に合図しながら、きょとんと首を傾げた。
「ヒカリ様も見目麗しゅうございますが?」
「うーん、そうかな。ここの子たちは、みんな綺麗だからね」
思わず首を傾げ返す。二人できょとんとしていると、ふと、扉の方から落ち着いた、小さな声が響き渡った。
「ヒカリは、ローラより、綺麗」
「あ、シエラ」
部屋に入ってきたのは、黒いフードを目深に被った少女だった。きょろきょろと辺りを見てから、するりとフードを脱ぐ。眠たげな瞳でヒカリを見つめ、重ねて告げる。
「ヒカリは、綺麗だよ。とっても」
「あ、ありがと……シエラもかわいいよ」
「そんなことは、ない」
きっぱりと首を振った彼女は物憂げに自分の額に触れる。そこには、立派な角が生えている。それに対して、コンプレックスを抱いているのは、ヒカリは前から知っていた。
事ある事に、彼女にかわいいと告げているのだが、自信にならないらしい。
(そういえば、フィアさんも最初は、自信がなかった、って言っていたっけ)
ふと、フィアと話したときを思い出す。そのとき、彼女は頬を赤らめながら、もじもじとして言ったのをよく覚えている。
『カイト様が、私のことを認めてくれたから……少し、自信になりました』
(……カイトさんから、コツを聞いてみてもいいかも)
そんなことを思いながら、ヒカリは笑ってシエラを訊ねる。
「シエラ、お仕事は終わった?」
「ん、今日の分の農具は、納入した。あとは、アンリとペータがやってくれる」
「そっか、お疲れ様」
アンリとペータは、ドウェルグの少女と少年だ。『組織』から助け出された後、シエラの元で鍛冶場修行している。シエラのことを姐さんと呼び慕っているようだ。
「じゃあ、三人でお茶にしよっか。久々に初期の面々が集まったし」
「ん……」
「名案ですね。ヒカリ様」
シエラとソフィーティアが嬉しそうに頷いてくれる。それを見計らったように、使用人のエルフが、ティーセットを持って部屋に入ってきた。
「そういえば、私が異世界に来て一年くらいかな」
「ん、そうなる」
三人でのんびりお茶をして雑談をしながら、ヒカリはふと思い出して告げる。
シエラはこくんと頷き、懐かしそうに目を細めた。
実は、ヒカリがこの世界に来たのは約一年――カイトよりも長い時間を、この異世界で過ごしているのだ。
(最初はシエラと共に、頑張っていって……)
ドウェルグは、3000ポイント。ガチャの恩恵で、1000ポイントで仲間にできたシエラ。彼女と一緒にせっせとダンジョンを作っていった。
「最初は狩りばかりだったね。弓の使い方、教えてもらったっけ」
「そうだったのですね。そういえば、ヒカリ様の弓捌きは上手かったですが」
「シエラの方が上手いよ。本当は」
そういえば、銃もそうだが、シエラは飛び道具全般の扱いが上手い。シエラは無表情でお茶を飲んでいるが、どこか得意げに瞳が輝いている。
む、とソフィーティアは自尊心を刺激されたように、眉をぴくりと動かす。
「――なら、今度勝負するか」
「構わない、けど。弓でも、銃でも」
「む……負けるわけにはいかんな、そうなれば」
二人は視線を交わし合い、静かに火花を散らし合う。その二人を見つめ、くすりと笑みをこぼした。
「――最初の頃も、二人はよく勝負し合っていたよね」
「……まあ、ね」
「若気の至りでした」
シエラは視線を逸らし、ソフィーティアは苦笑いをこぼす。
その二人の様子を見ながら、ヒカリはその当時のことを思い起こしてつぶやく。
「狩りの途中で、たまたま会ったのが、ソフィとの出会いだったね」
「はい、あのときのことは感謝してもしきれません」
森の中で初めて出会った、エルフの女性。彼女は矢傷を受け、肩から血を流していた。それを手当てしたのが、二人の出会いだった。
ソフィーティアたちエルフは、そのとき、例の人身売買組織の被害を受け、居場所を転々としながら逃げ惑っていた。その事情を聞いたヒカリは、ソフィーティアたちにダンジョンに避難することを提案したのだ。
その提案に、エルフたちがヒカリのダンジョンに加わったのだ。
ソフィーティアはその温情に感謝し、ヒカリに忠誠を誓ったのだが、それに対抗心を燃やしたのはシエラである。
どちらが、ヒカリの役に立てるか張り合うようになったのだ。
(ただ、あのときは決着がつかなかった――というか)
対抗している場合ではなくなってきたのだ。『組織』や冒険者の侵攻を受け、徐々にダンジョンが押され始めたのだ。
一人一人は強くはない。だが、連戦に次ぐ連戦。
その中で、二人は共闘することで、徐々に心を通わせていき、認め合っていった。
今、二人は肩を並べてこうやって談笑するくらいに仲がいい。
「あのときの決着をここでつけるのもいいかもしれないな。シエラ」
「望む、ところ……っ」
「折角なら、ローラ殿にも立ち会ってもらってもいいかもしれないな」
「白黒、つけるのも、悪くない」
二人は視線を交わし合い、笑みをこぼし合う。ヒカリは目を細めて二人の会話を見守る。今、こうして他愛もない会話ができる幸せを噛みしめながら。
(カイトさんに、感謝しないと)
「立会人は、もちろん、ヒカリ」
「ああ、どちらが優れているか、ヒカリ様に決めてもらおう」
「もう、二人とも私の最高の仲間なのに。それだけじゃ不満?」
ヒカリの困ったような笑顔に、シエラは少しだけ視線を泳がせ、小さくつぶやく。
「――私は、いつでも、ヒカリの一番で、いたいから」
「右に同じく、だ。これはシエラでも譲れない」
「ん、そっかぁ、それは困ったなぁ」
ふと、からかってみたくなり、ヒカリは首を傾げながら笑ってみせる。
「でも、ダメ。私の一番は、カイトさんだから」
瞬間、不意にぴしり、と空気が固まる。
あれ、とヒカリは思わず笑ったまま、冷汗を滲ませる。
(ソフィなら、まさか、と笑い飛ばしてくれると思ったのだけど……)
ソフィーティアは固まった表情だったが、数秒後に、乾いた笑みを浮かべる。
「え……まさか、ヒカリ、様……?」
こと、っと音を立てて、シエラがカップを置く。そのまま、腰を上げ――虚ろな瞳で指の関節を鳴らした。そのまま、低い声で告げる。
「ちょっと、カイトに、会ってくる。しばく」
「是非、同道させてくれ。シエラ……これは、事情を聞くべきだな」
「ちょ、ちょっと二人ともっ、冗談だって、冗談っ!」
ヒカリが慌てて腰を上げて叫ぶと、二人は我に返ったように、ぱちくりとまばたきをする。その言葉を確かめ合うように視線を交わし――やがて、二人は深いため息をこぼした。
「その冗談は、心臓に悪い……ヒカリ」
「ああ、全くだ……金輪際、止めていただきたいです。ヒカリ様」
「え、えぇ……そんなに真に受けることだったかな」
ヒカリが脱力しながら椅子に座り込むと、ソフィーティアは頬を掻いて曖昧な笑みを浮かべる。シエラは憮然として言う。
「ローラが、いるのに、ヒカリに手を出したと考えたら……黙っていられない」
「もちろん、カイト殿のことは信じていますが……万が一、ということも」
二人の反応はなんとなく、ぎこちない。ふと、ヒカリは首を傾げる。
「……もしかして、二人とも、カイトさんに惹かれている?」
「ま、さか……そんなわけ」
「ない。ヒカリが、一番」
ソフィーティアはわずかに言い淀み、シエラは食い気味に応える。その二人の反応に、分かったから、と手でなだめながらヒカリは目を細める。
(そっか……二人とも、カイトさんのこと、気になってはいるんだね)
恋愛感情ではないのかもしれない。ただ、少し、彼のことが気になってはいるのだろう。かくいうヒカリも、彼に友情を感じているのだから。
ヒカリは目を細めながら二人に笑いかけて告げる。
「カイトさんはお友達。だけど、貴方たちは最高の親友だから安心してね」
その言葉に二人の大切な親友は同時に笑みをこぼした。
「親友とは、ヒカリ様らしい」
「ん、でも、嬉しい」
そのまま、三人は穏やかなお茶会を過ごしていく。久々にのんびりとした時間を過ごしながら、談笑を重ねる。憩いのひと時であった。
「さて、そろそろお食事をご用意します。ヒカリ様」
「あ、ありがとう。ソフィ」
いつの間にか、日が暮れていたようだ。シエラは腰を上げ、燭台に火を灯し、ソフィーティアは立ち上がって微笑む。
ヒカリは微笑み返して腰を上げる。ソフィーティアは食器を片付けようと机に手を伸ばし、不意に視線を上げた。
弾かれたように辺りを見渡し、眉を寄せる。
「……ソフィ? どうしたの?」
「い、いえ……どうも、妙な感覚がしたのですが」
「妙な感覚」
「……何かが、触れてきたのです。ただ、それだけなのですが」
微妙な言い方だ。ヒカリは眉を寄せながら訊ねる。
「嫌な予感とか、攻めてくる気配ではないのよね?」
「……ええ、今のところは」
ソフィーティアの言葉にシエラは耳を澄ませていたが、やがて首を振って告げる。
「何も、感じない。多分、気のせい。もしくは、本当に遠くで何かがあったか」
「そうだな、遠い何かを過敏に拾ってしまったのかもしれない」
(……でも、ソフィーティアの直感は、侮れない)
わずかに心に留めながら、ヒカリは手を叩いて告げる。
「今は食事にしましょう。さ、食堂に行こう」
主の言葉に、ソフィーティアとシエラは振り返って笑って頷く。その二人の笑顔に、ヒカリは目を細めながら一緒に部屋を出た。
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