第3話
「ローラ、ありがとう」
岩山の頂上に足をつけると、運んでくれた少女に礼を言う。ローラはにこりと微笑んでふるふると首を振ってみせた。
「いつものことだし、大したことないよ。兄さま」
「でも、二往復は大変だっただろう?」
「ううん、ソフィーティア、重くないし。むしろ軽くてびっくりしたよ」
ローラは視線を木に寄りかかっているエルフに向ける。先に到着していた彼女は肩を竦め、柔らかく微笑んだ。
「それはどうも。お世辞でも嬉しいよ」
「もう、お世辞じゃないのに」
「そうか? 運んでいるとき、少し不満そうだったが」
「う……それは、その……」
ちら、ちらとカイトを伺うローラに、ソフィーティアはああ、とわざとらしく頷く。
「なるほど、二人きりでデートがしたかったわけか。それは悪いことをした」
「も、もうっ、ソフィーティア!」
ローラは頬を膨らませ、拗ねたように睨みつける。ソフィーティアは苦笑いを浮かべて、カイトに流し目を向ける。
「だ、そうだ。果報者だな?」
「それは常々実感している……だが、ローラ、これは調査だぞ?」
カイトはローラの頭に手を置き、なだめながら視線を辺りに向けた。
そこは、前にも来た岩山の頂上。ここに来るのは三度目だ。
(一回目はローラが参入したとき、二回目はローラが逃げ出したとき、か)
いずれも、ローラと思い出深いところだ。だからこそ、飛行手段も兼ねて、土地勘のある彼女に来てもらった。フィアは彼女と持ち場を交代し、三階層の修理に勤しんでいる。
カイトはローラの頭を撫でながら、ぐるり、とそこを見渡し――ふと、気づく。
「――ローラ、緑が多くなっていないか」
「ん、そういえば」
ローラもすぐに気づいた。そのごつごつした岩肌には苔が蒸しており、木々は前よりも青々と茂っている。下草も逞しく生えている。
前までは、本当に岩山だった印象だったのに、今はその岩の表面を緑が覆っている印象だ。ソフィーティアは岩山に生える低木に手で触れ、うん、と頷く。
「ダンジョンコアの影響だろう」
「コアの?」
「ここに位置してからかなり時間が経ち、その上、レベルが上がったことで魔素の濃度が上がっているんだ。魔物にとって暮らしやすい環境だな、ここは」
「魔素……初めて聞く単語だな」
カイトはローラに視線を向ける。だが、彼女は曖昧な笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、兄さま。私はあまり詳しくなくて……」
「まあ、そうだろうな。私も暮らしているうちに知ったことだ」
ソフィーティアは苦笑い交じりに言うと、カイトを真っ直ぐに見つめて目を細める。
「人間と魔物、それの違いはなんだと思う?」
「……魔力を持っているかどうか、とか」
「残念だが、人間も魔力を持っている。魔力は基本的に生きとし生けるものなら持っているものだ。正確には、魔素を取り入れる器官があるかどうか、ということだ」
ソフィーティアは近くの木に近づき、緑の葉に触れる。
「例えば、この木――呼吸でエネルギーを得る他にも、光を吸収することで力を得て成長している。そういう器官があるように、我々は魔素でエネルギーを得ている」
「……ふむ、それは興味深いな……つまり、葉緑素か」
「ヨウリョクソ?」
ローラがきょとんと首を傾げる。ん、とカイトは頷いて自分の腕を持ち上げる。
「生物の体は、全て細胞の連結でできている。この皮膚もすごく拡大すれば、一つ一つの細胞になっているんだ。その中にさまざまな器官がある」
核小体、ゴルジ体など、生物が生存するための機能を有した器官だ。その中の一つ、ミトコンドリアは呼吸を司り、酸素を吸収してエネルギーを生み出している。
植物の細胞には、葉緑素があり、それが光合成を司っているのだが――。
「魔物の細胞には、魔力素、なるものがあるのかもしれない」
「……その仮説は面白いな。カイト殿」
ソフィーティアがわずかに目を輝かせる。その表情にカイトは苦笑い交じりに肩を竦めた。
「ここまでは日本での中等教育までだから知っているだけだ。もっと詳しく知りたいなら、ヒカリに聞いてくれ。僕はこれ以上、詳しくない」
「ああ、いろいろと聞かせてもらおう」
(……ただ、ヒカリの専門は、史学だからなあ)
生物学詳しいとはとても思えない。だが、ソフィーティアの目の輝きを見ていると、根掘り葉掘り聞かれるのだろうな、と容易に想像がつく。
(……すまん、ヒカリ。ソフィーティアの好奇心を満ちるまで頑張ってくれ)
未来の彼女にそう祈るしかない。カイトは咳払いを一つし、本題に戻るように告げる。
「じゃあ、探索を始めようか。二人とも」
「うむ、了解した――とはいえ、水源だと……こっち、か?」
ソフィーティアは耳をそばだて、茂みの方を弓で指し示す。ローラは目を見開いてこくこくと頷いた。
「うん、そっち……エルフって水源が分かるの?」
「エルフは自然の流れには敏感だ。水の流れ、風の流れ――そして、精霊の気配にも」
ソフィーティアはぴくぴく、と細長い耳の先端を揺らしながら目を細める。
「うん、懐かしいな。ここまで純粋な水精は、久方ぶりに会うかもしれない」
「水精……?」
「ああ」
ソフィーティアは穏やかな笑みを浮かべると、優しそうな面持ちで告げる。
「ウィンディーネ……湖の守り神だよ」
最初から、違和感は覚えていた。
洞窟のある岩山は溶岩が冷え固まったような、ごつごつとした岩山だ。何なら、巨大な溶岩石が鎮座しているようなものだ。
そんなところから湧水が湧き出るものだろうか?
少なくとも、カイトが各地で旅をしている間、こんな土地の場所では湧水はなく、深く穴を掘って水脈を見つけ出すしかなかった。
「だから、少し妙に思っていたんだ。川ができるほど、水が湧いていることに」
「はは、なるほど、ヒカリ様が仰っていた『おかしい』というこのはそのことか」
「よくそんなことに着目するよね。二人とも」
カイトの言葉に、ソフィーティアは朗らかに笑い声をあげ、ローラは呆れたように半眼を彼に向ける。岩山を軽々と歩くエルフは目を細めて振り返る。
「その着眼点は、間違っていないだろう。思えば、あの水はとても綺麗だった。水精が住んでいれば、それだけ澄んでいる水にもなろう」
「川魚もたくさん獲れたものね。美味しいやつ」
「ああ、フィアもローラも好きだったな。川魚」
初めての頃の主食を思い出す。二人はよく川魚を貪るように食べていた。
あの川があったからこそ、カイトたちがここまで踏ん張って来られたかもしれない。
「あ、兄さま、足元気をつけて」
「ありがと。ローラ」
ローラが手を繋ぎ、エスコートしてくれる。それを頼もしく思いながら、前をスムーズに歩いていくエルフの背に問いかける。
「それで……ウィンディーネについて教えてくれるか?」
「ん? ああ、そうだな。教えとかないとカイト殿は大変なことになるかもしれないな」
ソフィーティアは振り返り、悪戯っぽく片目を閉じる。
「何せ、カイト殿は、お人よしだから」
ウィンディーネは、水の精霊だ。
最も有名な水の妖精と言っても過言ではなく、その身体を構築しているのはほとんどが水分だという。女性の姿を形取り、綺麗な泉に住んでいる。
彼女が住んだ泉は、豊富な水に恵まれ、潤沢な水を与える。
だが、その環境が乱されるとたちまち不機嫌になり、立ち去ってしまう。
そして、彼女が何より嫌うのは――汚らしい言葉らしい。
「彼女たちは、罵倒されるのが特に嫌いだ。泉の傍で彼女たちの悪口を言うと、水の中に引きずり込まれてしまう……そういった、少し気まぐれというか、気難しいところがある」
ソフィーティアは淀みなく説明しながら前へと進んでいく。耳をそばだてて先導していく彼女の後ろを歩きながら、カイトと手を繋いだローラは首を傾げた。
「……でも、兄さまが大変なことになるって? 兄さまはデリカシーがないわけではないし、むしろありすぎて困るくらいだよ?」
「絶妙な誉め言葉をどうも。ローラ」
「えへへ、もう少し無神経でも、私は嬉しいよ?」
ローラは緩んだ笑顔で身体を寄せ、腕に抱きついてくる。ふにゅん、と腕を包む柔らかい感触に、カイトは思わず苦笑いをこぼした。
「それでもローラを大切にしたいから、もう少し慎んでくれ」
「ほら、神経質ぅ」
「悪かったな。帰ったらたっぷり無神経になってやるから」
「……楽しみにしているからね?」
二人で繰り広げる甘いやり取りの中、半眼のソフィーティアは咳払いをする。
「それで? 私にも少し神経質になって欲しいんだが? カイト殿」
「あ、ああ、悪い」
「まあ、仲がいいことはいいんだが……話を戻すぞ」
ソフィーティアはそう言いながら足を止め、カイトの目を真っ直ぐに見た。
「彼女らは、約束を破る者は絶対に許さない。たとえ、マスターであってでもだ」
その言葉と共に、一陣の風が吹く。警告を匂わせる言葉に、カイトは唾を呑む。
「マスターには故意、過失問わずに害を及ぼせない……はずだろう?」
「ああ、そうだ。だから、彼女たちは約束を破られると、消える。というか、溶ける」
「……え?」
「その後、その水が襲って来る、らしい。カラクリはよく分からん。だが、エルフの口伝でそう伝えられており、ウィンディーネには敬意をもって接するように伝え聞かされているのだ……くれぐれも、気をつけろよ。カイト殿」
ソフィーティアの念を押すような声に、カイトよりもローラが神妙な顔で頷く。
「兄さまって約束ほいほいする割に、相手のことを考えて約束破ることあるよね」
「そ、そうか? ローラとの約束、守っていると思うけど」
「じゃあ、兄さま、無茶しないって約束、守っている?」
「……う」
つい最近、勇者戦でも無茶をしただけに、即答ができなかった。
その甲斐との反応に、ローラとソフィーティアは揃ってため息をこぼす。
「我が身可愛さで嘘をつく訳ではない分、性質が悪いよな。カイト殿は」
「本当に。そのせいで、私たちがやきもきさせられるというか」
「フィアルマ殿とローラ殿には心底、同情する」
「……その、なんかごめん、二人とも」
「悪いならしっかり休むことだよ。兄さま」
ローラは手をしっかり握って微笑んでくる。ソフィーティアは賛成するように頷く。
「カイト殿に換えは利かない。ヒカリ様のためにも、たまには休んでくれ」
「了解。善処する」
カイトは明快に答えを返すが、何故か二人はやれやれと首を振った。
「これは休まないな……」
「だね……」
これに関しては信頼がないようだ。苦笑い交じりにソフィーティアに声を掛ける。
「それはさておき――そろそろじゃないか」
「ああ、そうだな。さっきはああいったが、彼女たちはとても心優しい性格をしている。決して怒らせなければ大丈夫だ……行こうか」
ソフィーティアはそう言うと、軽く茂みを払い、前へと歩いていき――。
視界が開け、目の前に澄んだ泉が広がっていた。
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