第三部

第九章 新しい家族

第1話

 ずずん、と鳴り響く地鳴りに少女はわずかに眉を寄せた。

 微かに地面が揺れ、居心地が悪い。その感覚に、少女は瞼を開いた。

 そこは水の底。澄んだ泉の底に、少女は眠っていた。

 呼吸をする代わりに、水を吸い込む。そこに溶け込んでいる魔素を味わいながら、軽く目を擦る。

(なんや、うるさいのぅ……下の住民が、また何かやらかしたんか)


 いつからだろうか、少女の住む岩山の真下に、人が住み着いたのは。

 二十年前、ここに流れ着く前にも棲んだ場所でも感じた気配――そう、ダンジョンとかいう、創造神の力を感じる場所。

 それが、唐突に自分の住む泉の真下にできたようだ。

 とはいえども、何か弊害があるわけでもない。基本的に静かにしているし、時折、頭上を飛び回る気配もあったが、目くじらを立てるほどでもない。

 ただ、少女は惰眠を貪り続けていた。


(ううむ、さすがに真下で派手な焚火をされたときは腹が立ったがのぅ)


 ふと思い出すのは数か月前。やたら水が濁り、それに思わず不機嫌になって目覚めたときがあった。見れば、下で森が轟轟と燃えており、人間が焼け焦げているではないか。

 人間が焦げるときほど嫌な臭いはない。下の住民が火の不始末でもしたのだろうか。

 苛立ちを抑えながら、久々に魔力を振り絞り、雨雲を呼んでその火を鎮火させてやった。そのときの苦労を思い出すとため息が出る。

(全く、感謝して欲しいものよのぅ……)


 それから間もなく、徐々に泉の下が騒がしくなりつつあった。

 どうやら村ができたらしい。焼け野原が開拓され、そこにエルフが住み着いていた。エルフの作る果実や植物は良い空気を作る。

 少しうるさいのは玉に瑕だったが、空気がよくなったので止しとした。

 ダンジョンも力を増しているのか、大気の魔素が増え、益々、その泉は居心地がいい。例えるならば、食事が食べ放題、一級品のベッドで寝ていられる。

 さらに暇になれば、泉を降りていき、人々の営みを眺めるだけで楽しかった。川に時折流れてくる果実は甘美な味わいがあった。

 徐々に泉は居心地がよくなり、少女はその泉を気に入り始めてきた――。


(だというのに、この騒々しさは何やのぅ)

 内心でイライラとしながら、ゆったりと少女は浮上していく。

 水面から出ると、その音がよく分かる。水が勢いよく流れていく音だ。

 久々の騒々しさにため息をつき、少女は目を細めながら意識を身体に集中させる。身体を水の中に溶け込ませるような意識。じわじわと意識を広げ、視野を広げる。

 水を通して、遠くの光景を確認する――そして、眉を寄せた。

(うぬ? 何をやっているのだ?)

 川の流れが変わり、水が地下の洞窟に流れ込んでいる。ダンジョンの中に水が入り込んでいるようだ。それに眉を寄せながら、さらに意識を伸ばしていく。

 水は光景だけでなく、音も伝えてくれる。それらを感じ取りながら、ふん、と少女は鼻を鳴らし、徐々に意識を引っ込めていく。

(全く、迷惑千万極まりないわ。安眠妨害をするとは……全く)

 いらいらと高ぶる気持ち。少女は目を閉じ、意識を高めていく。

 そして、感覚を研ぎ澄ませながら――少女は、あることを心に決める。

 泉の中の水が徐々に膨らんでいく。大きく競り上がった水は、徐々に川へと注ぎ込み、水位を増す――そして、地盤にも入り込んでいき。

 みしり、みしり、と地盤が軋みを上げていくのを感じながら、ふっと少女は笑みをこぼす。

 魔物らしく口角を吊り上げ、魔力を水に浸透させていく。

 彼女の正体は、水精、ウィンディーネ。

 その水を操りながら、妖しくその瞳を輝かせる。


(見ておれ……泉の平穏は、妾が守る故……!)


 その迷宮は、水没していた。

 竹の足場からそれを眺めていたカイトはため息をこぼし、傍のフィアは苦笑いをこぼしていた。

「これは、どうにもなりませんね……」

「ああ、代償と思えば安い方なんだが……どうしたものだか……」

 それは、勇者戦での勝利の代償だった。

 二階層で作り上げた迷宮。そこに多大な水を流し込むことでパーティーを押し流し、冒険者たちを分断した。その働きがなければ、彼らを撃退することができなかったはずだ。

 だが、その結果、その二階層は半分以上が水没。

 しかも、突貫工事だったため、止水が中途半端になり、水が絶えず流れ込んでいるのだ。排水も行えず、迷宮はプールのように胸の高さまで水に浸っている。

「……浸水箇所は、大体、三か所ですね。そこから水が流れ込んできています」

 フィアは頭上を指さし、その天井のひび割れを示す。

 そこから噴き出してくる水が、滝のように迷宮から注いでいる。火山灰土の脆い地盤のはずだが、絶妙なバランスを保っているのか、落ちる水の量は限られているのが救いだ。

(下手したら、この天井が崩落していた可能性もあるからな)

 おかげで、第三層の止水は成功。二階層より下には水が落ちてきていない。

 視線を上げると、竹を結い合わせた筏に乗り、すいすいと漕いで移動するキキーモラが目に入る。彼らの身長からしてみれば、足すらつかないはずだ。

「……本当に、どうしましょうね。無難に修理するなら、地盤を固めて排水をしていくことですね。すぐに直したいのなら、この階層を潰して新しい階層を作ることですけど」

 相棒のフィアはすぐにアイデアを出してくれる。だが、その冴えない表情に、ずっとその傍にいるカイトには、何が問題か分かってしまう。

「――使うポイントは?」

「……前者でも最低でも8000、後者は20000ですね」

「だよな。層を丸々入れ替えるとなると、大規模な工事が必要になるし」

 ため息をこぼす。前回の撃退で、十万以上のポイントがある。だが、かなり大所帯となってきた今だと、ポイントは節約しておきたい。

 思案を巡らせていると、フィアは仕方なさそうに微笑んで告げる。

「以前も、こんなことありましたね」

「……ああ、森を焼き払ったときか」

 騎士団を焼き討ちにかけたことを思い出す。そのときも森が壊滅的になったが、大地が拓けたことを逆手に取り、エルフ村を作り出したのだ。

 今や百人を越える大所帯となったエルフ村。それを思い起こしながら、なんとかできるだろうか、と少し思案する。

「そのまま使うのなら、ここを水の迷宮にする、ことだけど」

 悪くないアイデアだと思う。だが、致命的な欠陥がある。

「――水は、循環させなければ、腐ることだな」

「あ……なるほど」

 フィアはすぐに分かったのか、嫌そうな顔をする。

 というのも、まだ二人だけで暮らしていた頃、土器に蓄えていた水を放置し過ぎたせいで、虫が湧いてきたことがあったのだ。

 これだけの水が流れもなく放置されていれば、何が湧くか分かったものではない。

(……それに、前々から気になっていたことがあるんだよな……)

 そのことは、これに関係があるのかもしれない。ちらり、と頭上を見て少し考えを巡らせていると、ふと、フィアが軽く腕に手を添えて告げる。

「――カイト様、そろそろお時間です」

「ん、ああ、そうだったな」

 カイトは思考を打ち切って軽く頷く。

「ヒカリたちと一旦、打ち合わせの時間か。ありがとう、フィア」

「いえ、私は貴方の相棒ですから」

 軽くフィアは自慢げに笑う。その表情は前よりも自信に満ちている。ヘカテや〈紫電〉といった強敵の勝利が、彼女をボスとして成長させているようだった。

 だが、前と同じように謙虚さも持ち合わせている。彼女が思いあがるようなことは、決してないだろう。それに安心感を覚えながら、カイトはマントを翻す。

「行こうか。フィア。会議も共してくれ」

「もちろんです。カイト様。ずっとお傍に」

 隣に並ぶと、遠慮がちに手を伸ばしてくるフィア。その手を取ると、彼女は嬉しそうに笑みをこぼし、掌をぎゅっと大切そうに握り返してくれた。

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