第14話

 五階層――カイトたちが待機する部屋では、静けさに包まれていた。

 ウィンドウで繰り広げられていた激闘が不意に終わり、画面内では二人の人影が地面に転がっている。コモドは、震える声で告げる。

「今の、技は……」

「カポエラーキック……だと、思います。見たのは、初めてですが」

 ヒカリの声もまた、震えていた。

 彼女の目には、先ほどの劇的な逆転劇が目に焼き付いている。

(倒れ込んだフィアさんに大剣が降り注いだときは、もうダメだと思ったけど……)

 一瞬で彼女は地面を蹴って逆立ちし、〈紫電〉の頭を蹴り飛ばしていたのだ。

 ヒカリもコモドも見たことがない、その技は、エリコーピテロ――片手逆立ち回転蹴り。カイトが体得する、人体が発揮できる最強の蹴りの一つだ。

 本来なら、通常の体勢から側転して放つが、彼女はそれを土壇場で応用した。

 だが、その威力は抜群。全体重以上の威力が敵側頭に突き刺さり。

 逆立ちした彼女の真横には大剣が平行に突き立つ。まさに、間一髪の光景だった。

 蹴り飛ばされた〈紫電〉はフィアの蹴りと共に、己の落下の勢いをその脳天に食らっていた。フィアの真横で地面に激突。その衝撃で生じたクレーターの中央で、今は完全に伸びている。

 その光景にほっとヒカリは吐息をこぼし、真横を振り返る。

「何とかなりましたね、カイト……さん?」

 真横に、誰もいない。あれ、と思って振り返るが、会議室には彼の姿が見えない。コモドは苦笑いを浮かべて首を振る。

「いても経ってもいられずに、フィアルマのところに行ったのかな」

「全く、まだ安全かも分からないのに……三階層では戦いが続いていますし」

 ヒカリもまた苦笑いを浮かべながらウィンドウを見比べ、全身から吐息をこぼし――ふと、コモドが何かに気づいたように鋭く告げる。

「ヒカリ! 何か変だ!」

「――え?」

「まずい……っ、〈紫電〉はまだ生きている!」

 慌ててそのウィンドウを見る。そこでは、よろよろと〈紫電〉が立ち上がっていた。腰からナイフを抜き放ち、フィアの元へと近づいていく――。

「フィアちゃん起きて! 危ない! 逃げてッ!」

 聞こえないにも関わらず、ヒカリが悲鳴を上げる。その叫びも空しく、その勇者はナイフを振り上げ、不意に何かに気づいたように手を止める。

 ウィンドウの端に映った人影――それに、ヒカリとコモドが気づく。

「カイトさん……!」

「カイト!」

 二人の視線の先で、カイトは拳銃を構える。その動きに対し、〈紫電〉はフィアの首を掴んで持ち上げ、その喉元に刃を突きつける。

 人質にされた。二人が、何か喋っているようだが……。

「ヒカリ、声は聞こえないのかい……っ?」

「私にはウィンドウの操作権はないんですっ」

 移動させるくらいならできるが、ダンジョンコアの管理権を持つもの以外、ウィンドウの操作を行うことはできない。

 ヒカリとコモドは歯がゆい気持ちを抑え、その無音の画面を見るしかない。

 やがて、フィアが意識を取り戻したようだ。カイトとフィアは言葉を交わし、ウィリアムの手に力がこもる。その光景に固唾をのんで二人は見入り――。


 不意に、そのウィンドウが溶けるように消失した。


「……え」

 思わずヒカリは呆気にとられる。周りを見ると同時に開かれていたはずのウィンドウが全て消え去っていた。指先を伸ばし、空を切る。

 コモドは何かを察したように、息を呑んで言葉を絞り出す。

「ウィンドウが、消える……それは、つまり……カイトが……」

 その言葉に気づく。それが意味するところは、カイトがウィンドウを維持できる状態でなくなったということ。

 つまり、それが意味することは――。

「カイトさんが……死ん、だ……?」

 頭の中が徐々に真っ白になっていく。伸ばした指先が、空を切って机に落ち。


 瞬間、弾ける銃声が、どこからか響き渡ってきた。


 時間は、わずかに遡る。カイトは必死にダンジョンを駆け、フィアの元に急ぐ。ワープゲートを抜け、がむしゃらに走る。

 そして――その最悪の光景を、目にすることになった。

 ウィリアムが、意識のないフィアに向けて凶刃を振り上げている、その光景を。

 カイトは滑らかに腰から帯びていた拳銃を抜き放つ。そのまま狙いを定めて叫んだ。

「動くなッ! 動いたら撃つぞ!」

 その言葉に、ウィリアムは視線を上げた。その口元に残忍な笑みを浮かべる。

「――ダンジョンの主か。全く、苦労させてくれる」

 その一言と共に、彼の手がフィアの首を掴んだ。目を見開いた瞬間、彼はフィアの身体を盾にするようにして、首元にナイフを突きつけた。

「くっ……! 卑怯な……っ!」

「悪いな、青年。これも、仕事なんだ……悪く思わないで欲しい」

「……くっ」

 カイトには引き金が引けない。銃は撃った経験がある。間違いなく当てることはできるだろうが、精密に撃つことは難しい。

 フィアを避けて、ウィリアムだけ撃つなど――不可能な曲芸だ。

(銃弾は一発のみ……くそっ、なんで警告なんてしたんだっ!)

 射撃前に警告をする――日本人の専守防衛本能が悪いところで出てしまった。

 有無を言わさずに射殺していれば、こんなことには決してならなかったはずだ。カイトは後悔をかなぐり捨て、努めて落ち着いた声で告げる。

「よし、分かった。取引をしよう――〈紫電〉のウィリアム」

「ほう? 取引とは?」

「フィアを解放してくれれば、キミを無事に地上まで送り届ける。仲間は全員、無事とは言えないが――クレアだけは、命を保証して返そう」

「……その言い分だと、他の四人は、死んだようだな」

「悪いな、これも仕事なんだ。悪く思わないで欲しい」

 さっきの言葉をおうむ返しに告げると、〈紫電〉は苦笑いを浮かべた。

「全く……お前さんとはいい酒が飲めそうなのに、こんな結末になって残念だ」

「ああ、全くだよ……で、一応、返答を聞こうか。ウィリアム」

「お前さんの言った言葉と同じだ。ノーだよ。そもそも、無事に帰れる保証がない」

(まあ、そうだよな、そう思うはずだ)

 カイトは深くため息をこぼしながら、撃鉄を上げる。それを警戒し、ウィリアムがぐっとフィアの首に刃を突きつけ――。

 ふと、そのフィアが瞼を揺らし、目を開いて身を強張らせた。

「こ、れは……」

「おっと……お目覚めか。これは厄介だな」

 ウィリアムが苦々しい笑みを浮かべる。カイトは銃口を逸らさずフィアを見つめる。

「……フィア」

 視線が、交ざり合った。

 彼女の目が愛おしそうに細められる。その瞳に満ちるのは、温かい感情。包み込むような慈愛を見せながら、彼女の唇が小さく動く。

「――信じて、いますから」

「……ああ」

 その一言に、胸が引き締められる。

 胸に満ち溢れる動揺や不安、恐怖――それが手に伝播し、今にも震えそうになる。

 だが、それを押し殺すように歯を食いしばり、ぎこちなくカイトは笑みを浮かべる。指先で虚空をなぞるように、もう片方の手を持ち上げて両手で銃把を握りしめる。

 息を吸い込み、ぐっと覚悟を決めてウィリアムを睨みつけた。

 それに危機感を覚えたのか、ウィリアムはぐっと刃をフィアの首に近づける。

 だが、もう遅い。

 ウィリアム――そして、フィアの身体の真ん中に狙いを定め、引き金を引く。


 乾いた銃声が、ダンジョンに響き渡り。


 その銀の弾丸は、真っ直ぐにフィアを貫いた。

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