第8話
第三層は、いくつかの区分に分けられている。
水計に合わせて緊急で改築されたそこに、それぞれ水が流れ込みつつあった。そのうちの一つに泡に包まれた一行が流れ込む。
その通路に彼らが流れ込むと同時に、水が堰き止められ、排水されていく――。
やがて、泡の中にいた男の魔術師は杖を振って魔術を解き、仲間を振り返る。
「大丈夫ですか。リーン、ゲルダ」
「あ、ああ……おかげさまで。さすが、元宮廷魔術師」
立ち上がった弓手の青年は、マントを絞りながら苦笑いを返す。
彼らが命を拾ったのは、レックスの神業染みた魔術だった。
彼はわずかな詠唱で疾風を放ち、一瞬だけ水の波を堰き止め、その間に二人を確保して空気の膜を作り出していた。
「疾風神速、と呼ばれる魔術師だけはありますね、レックス殿」
「誉めるのは、生き延びてからにしましょう。幸い、リーグの方は弟子のクレアが確保して生き延びたようです」
「そう、か……ん、リーグ殿が一緒なら、安心かな」
少し複雑そうな表情を浮かべたリーンだったが、それをごまかすように笑みをこぼす。その笑みにレックスは苦笑いを返した。
「クレアのことを気に入ってくれているようですが、気にし過ぎないように。彼女とて、一端の魔術師。魔力だけなら、私以上の実力です」
ただ、とレックスは少し残念そうに辺りを見渡して告げる。
「ウィリアムの方は、二人でも間に合いませんでした」
「まあ、勇者だし、何とかなるでしょうよ」
ゲルダは気軽にそう言い放ち、ダンジョンの壁に触れて周りを振り返る。
一見して、そこは通路。あまり広くはなく、一本道のようだ。前も後ろも薄暗い。彼女は懐から松明を取り出し、火をつけながら軽く告げる。
「まずは、移動しましょう。また水で流されたら叶わないわ。もしかしたら、今度は溶岩かもしれないし」
「そうだな。移動が最優先。そうしながら、クレアたちと合流しよう」
不測の事態。分断されたにも関わらず、彼らは落ち着いていた。
彼らは勇者の影に隠れてはいるが、それでもB級。英雄と呼ばれるだけの素質があり、各々の判断で窮地を乗り越えてきた。
その判断力で、彼らはすぐに頷き合う。
「待っていて下さい。今、探査魔術を……」
レックスが魔術を行使しようとして――不意に、ゲルダが鋭く声を放つ。
「待って。敵の気配がする」
「……っ! 確かに。魔力反応が、十、二十……」
「――なるほど。隠れていないで、出てきたらどうだ」
三人の冒険者たちが殺気立ち、武器を構えていく。ゲルダが大きく松明を掲げて警戒すると――その通路の先から、声が響き渡った。
「……さすがに、見抜きますか。さすが〈英雄〉と、呼ぶべき方々ですね」
彼らの立つ、狭い通路の先。そこから、一人のメイドが歩み寄ってくる。
その頭に生えているのは狼の耳。尻尾がゆらゆらと揺れている。そして、その後ろに控えているのは、二つの巨躯――トロールだ。
先頭に立つ戦狼のメイドは優雅に一礼し、殺気を漲らせる。
「ダンジョンの一員、エステルと申します。貴方たちの、お相手を務めます」
「ご丁寧に、どうも……挟撃、かしらね」
ゲルダはそう応えながら後ろを振り返る。そこにも、近づいてくるトロールとゴーレムの姿があった。通路が広くないため、四方から攻撃される心配はないが。
「前後からの攻撃……魔物は中級とはいえ、しんどいかもね」
「上手く連携を取って一つ一つ撃破。それで行こう」
「援護は、任せて下さい」
三人は身を寄せ合い、頷き合う。その気配に、メイドの戦狼――エステルは無言で見つめ返し、腕を振り上げる。
「では、戦いを、始めましょう」
その言葉と共に、前後から雄叫びを上げてトロールが棍棒を上げて踏み出し。
そこに向けて、魔術と、矢の刃が一斉に迸った。
一方、同じ頃、三階層の少し離れた通路――。
そこでは、重装備の戦士と、女魔術師が周りに気を配りながら歩いていた。タンク役のリーグが前を歩きながら、ちらりと後ろを振り返る。
「クレア、どうだ? みんなは」
「リーン、ゲルダ、あと、お師匠様はこの階層で戦っているようです。ウィル様は……多分、別の階層で、探知不可能です」
「そうか……はぐれたのか痛いな。ウィルは大丈夫だろうから、レックスたちと合流したいが……道は、さすがに分からないな」
「ええ、地道に進むしかないです――っ、リーグさん、前っ!」
「む……っ!」
クレアの鋭い警告に前に振り返るリーグ。直後、ごとん、と鈍い音を響かせ、何かが向かってくる。巨大な丸太だ。転がってくるそれに、クレアは魔術を用意。
だが、リーグはそれを手で制すると、前に進み出て両足を踏ん張り、腰を落とす。
そのまま、転がってきた丸太を両腕でしっかりと受け止めた。
「む、ううううぅぅっ!」
その衝撃に鈍い音と共に、彼は後ずさる。だが、全身で丸太を受け止め切った。
クレアが目を見開く中、リーグは満身の力を込めてその丸太に拳を叩き込む。
瞬間、轟音を立てて丸太がひび割れ、木っ端が散る。その割れ目に、もう一度拳を叩き込むと、木が悲鳴を上げて中心から真っ二つに砕け散った。
リーグはふぅ、と一息つくと、振り返ってにやりと笑う。
「いい運動になったな」
「……馬鹿力の、リーグさんならではですね」
「ふはは、褒めてくれるな。クレアよ」
褒めているわけではないのだが、リーグが嬉しそうなのでクレアは愛想笑いでごまかす。だが、分かったことが一つあった。
「――このダンジョン、どうも古典的ですね」
「どういうこと、だ?」
「水を流し込んだり、丸太を転がしたり、後は――あ、リーグさん、そこ気をつけて下さい。立ち止まって」
「む? うむ」
リーグが立ち止まったのを確認し、クレアは拾った土塊を前に投げる。それが地面に落ちると、重さで反応したのか、ひゅん、と横に何かが駆けた。
向かいの壁に突き刺さったのは矢――鏃には、不気味な色合いの毒がある。
「……ブービートラップ。魔術式の罠がないです」
「ほほう、つまり、クレアの天敵かな」
「見くびらないで下さい。レックス師匠にいろいろ叩き込まれています」
クレアは頬を膨らませながら、杖を振り上げる。その先端に埋め込まれた宝玉には、今も魔力が満ちてさまざまな色に輝いている。
「今、しているのは、超音波で構造探査です。ゲルダさんの『勘』には及びませんが、この付近の不審な構造は察知できるはずです」
「まあ、シーフの『勘』はすごいからな……」
シーフは罠の察知や解除が得意な、素早さ特化の戦士。ゲルダはその中でも別格の実力を誇る。魔術を使わず、感覚で察知してしまうのだ。
クレアはそれに顔を曇らせていると、リーグは軽く笑い飛ばして言う。
「あいつは別格だが、クレアもすごいぞ。俺は、気づけなかったからな!」
「誉められている気がしませんけど……」
「気にするな! 早くあいつらに合流するぞ!」
「……そうですね」
気を取り直し、二人で前へと進んでいく。罠を感知すると避けるか、リーグがその身で受け止めて力業で解除。そのまま、前に進んでいき――。
不意に、クレアが足を止める。その目が、大きく見開く。
「――前方……莫大な、魔力反応があります」
「……莫大な、魔力反応?」
「上級以上の、魔力反応……恐らく、ボス級です」
その言葉に、ひくり、とリーグは表情を引きつらせ、唾を呑み込む。
「……二人がかりなら、いけると思うか」
「どうでしょうか……いずれにせよ、戦わなければ、なりません」
「……どうしてだ?」
「後ろから、もう一体、ボス級が来ています」
「あら、気づかれていたのね。気配は殺していたつもりだったのに」
その声は、はるか後方から聞こえる。だが、明らかな威圧感を帯びている。リーグは振り返り、その姿を目にした。
それは、小柄な少女だった。長い銀髪を波打たせながら、真っ赤な瞳を爛々に輝かせている。残忍な笑みを浮かべ、口角を緩やかに吊り上げる。
その気配に、ひく、とクレアは口の端を引きつらせた。
「ヴァンパイア、ですか……」
「ご明察。そして、もう一人は――」
「火竜だよ。二人とも、残念だったね」
その声と共にヘカテとは反対側に一人の少女が歩み寄ってくる。金髪のツインテールを揺らし、紅い瞳を細める。あどけない顔つきだが、そこに浮かんでいる笑顔は恐ろしいまでに殺気を帯びている。
「――悪いけど、二人にはここでリタリアしてもらうかな」
その言葉に、リーグとクレアは背中合わせになると小さく頷き合う。
そして、そのまま不敵な笑みを浮かべた。
「はっ、抜かせ……俺たちだってウィルには叶わないものの、勇者の仲間」
「貴方たち相手でも、遅れは取ることはありません……っ!」
リーグは巨大な盾を構え、クレアは魔力を漲らせて杖を振り上げる。
その気配に、火竜とヴァンパイアもすぐに構えを取った。
四者の視線が交錯する。その張り詰めた空気の中、じり、とリーグが爪先に力を込め。
直後、全員が動き出し、戦いの火蓋が切って落とされた。
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