第3話

「随分、お風呂でお楽しみ、だったようですね。ご主人様」

「……まあな」

 夕暮れ時、風呂から上がったカイトたちを出迎えたのは、半眼のエステルだった。メイド服姿の彼女は仕方なさそうに吐息をついてから首を傾げる。

「手が空きました、のでお伺いしました。お食事は、いかがですか?」

「ん……そうだな。一緒に摂ろうか」

「分かり、ました。では、エルフたちに手配を――」

「ああ、いや、いいよ。僕が作るから」

 出て行こうとするエステルを制し、フィアを見やる。カイトと同じく湯上りの彼女はほこほこと湯気を立てる髪を丁寧に拭いていた。

「フィア、食材は備蓄庫にあるよな?」

「はい、もちろんです……お手伝いしますか?」

「大丈夫。髪を乾かしていて。エステル、手伝いを」

「かしこまり、ました」

 カイトはエステルを連れたって、私室の横にある厨に向かう。隣でふりふりと揺れる尻尾を見つめながら、ふと思う。

(そう言えば、料理するのも、エステルと落ち着いて話すのも久しぶりだな)

 エステルは魔物を統率する兵長として、第二層で掛かり切りだった。今回も大仕掛けになるため、彼女と顔を合わせる機会がなかなかできなかった。

 カイトも忙しくしていたため、食事は基本、エルフたち頼み――。

「本当に、久しぶり、ですね。こんな一時は」

 同じことを考えていたのか、エステルはぽつりとそう言う。厨につくなり、彼女は貯蔵庫から野菜を取り出していた。カイトも竈に火を入れながら頷く。

「もう少し、ゆっくり話せる時間ができればよかったのだけど」

「……そこまで、我がままは、申しません」

「ってことは、少しは僕と話したいと思ってくれていたんだ」

 少しからかうように口にすると、エステルは軽く視線を逸らし――こくんと頷く。

「はい……ご主人様のお傍に、いたかったです」

 その言葉に、カイトは思わず笑みをこぼす。エステルは眉を寄せて、首を傾げた。

「おかしかった、ですか?」

「いや、嬉しかった――エステルから、その言葉が聞けて」

 エステルは、このダンジョンに来てから縁の下で頑張っていてくれた。

 ヒカリたちが来るまでは、カイトたちの採集や漁獲、身の回りの世話――物資が潤ってからは、迷宮の建造や魔物たちの統率。

 フィアやシズクに対する手合わせや体術の指導も行ってくれていた。

 カイトと一緒に仕事をすることは少なかったが、彼女が果たしてくれた役割は、このダンジョンにおいて誰よりも大きいと感じている。

「いろいろやってくれたけど……不平不満言わずに、ただ淡々とやってくれて。我がままとかあまり言ってくれなかったから、殊更にね」

「働くのは、当然です――私は、ご主人様の元で、働いているのですから」

 エステルはそう言いながら、ぴこぴこと狼耳を揺らし、取り出した芋を手際よく剥いていく。カイトはその横で貯蔵庫から壺を取り出す。

 蓋を開けると、つんと来る発酵臭。それに、ぴくりとエステルは耳を動かした。

「……すごい、匂いです」

「前、魚醤を食べただろう? それ」

 最初の頃、魚の内臓を取って発酵させていた。それに塩を加えて風味を整えたものだ。

 それを使い、以前、エステルに魚醤を使った天津飯を食べさせてあげたことがあった。彼女はそれを美味しそうに食べていたので、今日も味付けで使うつもりだった。

 だが、匂いに敏感な戦狼には、少しつらかったようだ。へにゃり、と耳が垂れる。

「美味しい、ですけど、匂いはきついです……」

「少し我慢してな。すぐしまうから」

 魚醤の味は濃いので、少しだけで十分だ。急いで取り分けると、魚醤の壺にはしっかり密閉して貯蔵庫に戻す。

 エステルは元気を失ったように狼耳を垂らしていたが、手は的確に動かしていく。

「芋は、薄切りで、いいですか?」

「ああ、それで。葉物も軽くちぎっておいてくれ」

「了解、しました」

 カイトは棚から大きな鉄鍋を取り出す。シエラに作ってもらった、特注の中華鍋だ。それに油をたっぷり引いて温める。

 十分に温まってから、エステルから切り分けた芋を受け取り、中へ放り込んだ。

 高温の中華鍋に放り込まれ、油が勢いよく爆ぜる音がする。油が跳ねないように中をかき混ぜていると、エステルは心地よさそうに耳を立てていた。

「油の音……いつ、聞いても美味しそう、です」

「ん、実際、美味しいからな」

 そう言いながら、軽く芋に焼き目が入ったのを見ると、刻んだ干し肉を加えていく。肉も焼ける匂いも加わっていき、鍋の量も増えていく。

 それを煽って炒めていくのを、エステルは葉物をちぎりながらじっと見つめている。

「お上手、ですね。こんなに量があるのに、こぼれない」

「慣れとコツだよな。あと、こぼすことをびびらない」

 そう言いながら、調味料で味をつけていく。魚醤、岩塩、香草――。

 少ない香辛料でも、味は調えられる。だんだん完成に近づくにつれて、香りが高まっていく。最後に、エステルが用意した葉物を加え、軽く煽りながら火から降ろす。

「あとは余熱で火を通すだけ……簡単な、肉野菜炒めだな」

「簡単、ではないと思いますが……」

「もう、何品か作るか。折角、今日はエステルも一緒だし」

 カイトはエステルに笑みを向けると、彼女は目を細めてこくりと頷く。

 そして、控えめな口調で小さく囁いた。

「――ありがとうごさいます。ご主人様」

「うん? 今さら改まって何だ?」

「いえ――今だから、申し上げたいのです……もしかしたら、ご主人様のごはんを食べられるのが、最後になるかもしれませんので」

 その言葉に、カイトの手が一瞬止まる。だが、すぐに彼は動いて貯蔵庫から卵を取り出しながら吐息をつく。

「……そう、だな。犠牲は、覚悟しないといけない」

 勇者はそれだけの相手であることを、ローラと共に確かめたのだ。

 誰も死なせたくはない。だが、そんな考えが通じるほど、甘い相手ではないのだ。カイトはそれを想いながら、卵を器に割り入れる。

「特に、エステルの役目は、大きいからな」

 卵の黄身を箸の先で割る。まるで血のようにそれは真ん中からどろりとこぼれ出る。なんとなく嫌な感じがして、視線を逸らしながら卵をかき混ぜた。

「はい、冒険者は三人を仕留める。最低でも、足止めしなければ、なりません」

 強襲してくる冒険者は〈紫電〉の勇者を含めて、六人。

 そのうち、フィア、ローラ、ヘカテが一人ずつを担当する。とすれば、二階層の迷宮で、残る三人を少なくとも足止めしなければならない。

 そのための作戦は、ヒカリと共に立案した。だが、その作戦の指揮を前線で執るのは、エステルなのだ。何なら、最大の重責と捉えることができる。

「予め申し上げます――私は、命を惜しもうとは思いません」

 エステルの声を聞きながら、卵をかき混ぜる。わざと音を立て、その声から耳を逸らす。それでも、彼女の声ははっきりと聞こえてくる。

「全力で冒険者たちに向かいます。この身命を賭して」

「……僕の言いたいことは、分かる?」

「命を捨てるな、ですか」

 さすがに付き合いが長いからこそ、分かっている。エステルはすんなりと答える。

「存じ上げて、います。いつも、ご主人様が繰り返し仰いますから」

「なら――」

「ですが、私も譲れないのです……たとえ、ご主人様の命令でも」

 視線を上げると、エステルは尻尾を揺らしながらゆるやかに微笑んでいた。

 初めて見る、はっきりとした彼女の笑顔。火傷を帯びた顔に、はっと息を呑むほどの雰囲気を漂わせて彼女は目を細める。

「大好きなご主人様……私を助けて思いやって下さったカイト様だからこそ、私はこのダンジョンに全てを捧げたいのです。フィア様と、ローラ様、お二人のためにも」

「……エス、テル……」

「……すみません。決戦前に、これだけは申し上げたくて」

 少し照れくさそうに視線を逸らす。先ほどの笑顔はなくなり、いつも通りの真面目な顔つきに戻る。それに我に返り、カイトは吐息をこぼす。

 いつの間にか止まっていた手を動かし、卵をかき混ぜる。

 ぐるぐると黄味と白身が一体になる。それを見ながら、カイトは言葉を返す。

「――分かった。エステルの覚悟、受け止めた」

「ありがとう、ございます。ご主人様」

「その代わり、約束しろ。死ぬな、とは言わない。けど、生きることをあきらめないと」

「もちろん、です。ご主人様のごはんは、美味しいですから」

 エステルの声に口角を緩め、カイトは振り返って笑いかける。

「なら、とびきり美味しいご飯を作ってやる。また、食いたいと思えるように」

 その言葉にエステルは目を見開くと、嬉しそうに笑みをこぼした。

 彼女の見せてくれた笑みは、火傷の跡が気にならなくなるほど、綺麗な笑顔だった。


 その後、腕によりを掛けて作った食卓を囲み、四人で和気藹々と夜の食事を摂った。

 図らずして、初期のメンバーだけの穏やかな食卓。

 数か月前のことではあるが、それでも懐かしみながら話に花を咲かせた。

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