第八章 VS 勇者
第1話
その日のグランノールは、わずかに緊張感が張り詰めていた。
騎士団の宿舎から出た男たちが粛々と街の中央を歩いていく。その様子を町人たちはじっと見つめていた。拍手や喝采もない、ただ、その彼らの出陣を見送る。
やがて、その街の門に差し掛かると、そこには待っている三人の人影があった。
先頭にいた偉丈夫はふっと笑みをこぼすと、そこで立ち止まる。
「見送りに来てくれたのか、グレイ、ミリアム、アリスティア」
「ええまぁ。これだけお世話になってしまいましたし」
そこで待っていた青年、グレイは申し訳ない口調と共に笑いかける。それに応じるように、偉丈夫――勇者の後ろに立つ仲間が苦笑いを浮かべる。
「全くだぜ、とんだタダ働きだ」
「まあ、でもウィル様がそういうことするのは、今に始まったことではないですし」
「それに、今回は騎士団に一泡吹かせた。それだけで満足さね」
勇者の仲間たちが口々にそう言う。その仲間の声を聞きながら、ウィリアムは豪快な笑みを顔に浮かべて告げる。
「ということだから、気にするな。あの子たちも救えて嬉しかったからよ」
「それならいいのですが……」
「そういえば、あのシズクの友達は――あの中にいたのか?」
「ええ、本人に聞いたら会えたとひどく喜んでいましたよ。一緒に、村に戻りました――お礼を言っていて下さいと、本人から言伝されています」
「そりゃ良かった。踏ん張った甲斐があるぜ」
ウィリアムは嬉しそうに目を細める。ミリアムもうんうんと頷いた。
「それで――これから、ダンジョンですかにゃ?」
「ああ、これも仕事でな。騎士団にケンカを吹っ掛けた分は、ちゃんと仕事しねえと」
「律儀ですにゃあ」
「ま、そうじゃないと勇者もやっていけんのよ」
困ったように額を叩き、目を細めるウィリアム。そのまま、彼は荷物を担ぎ直すと、二人を見比べて笑いかける。
「だからまあ……二人とも達者でな。また会えるかわからんし」
「僕たちはともかく、勇者様がやられるとは思えませんが……」
「いんや、いつも油断はしねえのが俺のやり方だ。それに――ちと、嫌な予感がする」
彼は顎を撫でながら言い、その後ろの仲間たちは神妙な顔つきになる。
「騎士団が百人や三百人、丸々姿を消した、というのも気になるし……まあ、負けるつもりも毛頭ねえが」
「そう、ですね……ご武運を、祈っております」
「おう、精々、祈っていてくれ。んじゃあな」
ウィリアムは気負いもせず、ひらりと手を振って歩き出す。仲間たちも軽く手を振ってその後に続き――グレイとミリアム、アリスティアはその背を見送っていた。
その姿を見つめ、アリスティアは気取られないように深呼吸をする。
(ウィリアムさんには悪いけど……これも、仕事です)
グレイに気づかれないように、そっとアリスティアは視線を横へ流し、頭上へ。そこには、すでに待機している一人の少女がいた。
リリス。同じ、諜報員の仲間。彼女は一つ頷くと、伝書鳩を解き放った。
それは真っ直ぐにダンジョンへと飛んでいく。それを見届け、一つ吐息をつく。
カイトは言うまでもなく、心優しい守り手だ。魔物たちを守り、みんなも彼を慕っている。だが――勇者も勇者とて、悪いわけではないのだ。
その二人が衝突する。そのことに内心、複雑な想いを抱いていると、グレイが振り返って眉を寄せる。
「――大丈夫か? アリス」
「あ、大丈夫です。少し、お腹が空いたな、とは思いますけど」
「ん、じゃあ、みんなで飯に行くか」
「賛成にゃ!」
三人で笑い合いながら、街の方に足を向ける。アリスティアはちらりと勇者が去っていった方を見てから、グレイの横に並ぶ。
なんとなく、そのグレイの手を握ると、彼は少し目を見開いたがすぐに握り返してくれた。
その遠く離れた森の中の梢――そこに立つ、黒衣の少女は腕を伸ばす。
その腕に翼をはためかせた鳩がゆるやかに留まる。少女は掌に載せたエサをついばませてから、それを解き放つ。
伝書鳩は地にある村の鳩小屋へ真っ直ぐに戻る。それを見届けてから、少女は黒衣を翻して音もなく地面に降り立った。
そこには、マント姿の一人の青年が立っている。
「ついに、来たか? シズク」
「はい、殿。この通り」
シズクはその手にある手紙を差し出す。細長いそれを彼はさっと開いて目を通す。そこに書かれたのは、勇者がグランノールを発った旨。
鳩がここまで来るのには半日かかる。ということを踏まえれば――。
「――明日だな」
「はい」
二人は頷き合う。その顔には緊迫感が張り詰めている。彼は懐から竹簡を取り出すと、そこにメモをされている項目に目を通す。
「銃の量産、ダンジョンの工事、仕掛け共々、何とか間に合った」
「はい、時間稼ぎも、上手く行きました」
「あとは――天命を待つのみか」
シズクを見つめ返し、ダンジョンマスター、カイトは真剣な顔つきで告げた。
「明日が、決戦の日だ」
決戦前日は、粛々として作業が進んだ。
ソフィーティアと共に、村人たちへの状況説明と、当日の避難指示。
ヒカリと共に、迷宮内の確認。仕掛けのチェック。
エルフたちは収穫物をできるだけ保存し、五階層の保存庫に収納していく。キキーモラやトロールたちも総出でそれを手伝っていく。
全て予定通りに、カイトは指示をこなしていく。
そして、後をそれぞれの担当に任せ、昼には地下の階層に戻り――。
「まあ、やっぱり二人とも落ち着かないよな」
四階層。そこでは、案の定というべきか、フィアとローラが半魔の状態で手合わせをしていた。休息を取るように言っていたが、落ち着かなかったらしい。
激しく地面や壁を揺らしながら、二人は激突し合う。
それを見つめていたヘカテは、欠伸と共に目を擦る。
「二人とも、英雄クラスの相手と戦うのは初めてだし、無理はないわよ。まあ、もう少し運動させてあげればいいんじゃないかしら?」
「ヘカテは落ち着いているな、頼りになるよ」
カイトはヘカテの隣に腰を下ろす。彼女は銀髪を揺らして軽く頷く。
「前のダンジョンで、何度かね。それに、遭遇することもあったし」
「……英雄クラスの相手と?」
いわゆる英雄クラスはB級以上の賞金首。つまり、騎士団隊長以上の実力者たちを相手にしたことがある、ということになる。
ヘカテはこともなげに頷き、軽く自分の手を見る。
「一対一なら怖くないわよ。あいつらの本領は、連携したときにあるのだから」
彼女は少し顔を曇らせ、その手を天井の光水晶に透かして見る。
「連携した人間ほど、手ごわい者はないわ。仲間を何人も失ったから」
「そう、なのか……」
「ええ、貴方には言うまでもないけど、油断しないことね。それと――上に立つ人として、覚悟することよ」
「ああ……そうだな」
何を覚悟するかは分かっている。犠牲を出してしまうことだ。今一度、その覚悟を決めていると、ヘカテは優しく目つきを緩めて微笑みを浮かべる。
「大丈夫。いざとなれば、私が何とかしてあげるわ」
「そりゃ心強い。さすが、三百歳の――」
「それ以上言ったら噛むわよ」
「――そりゃ失礼。まあ、でも少し血は摂っておけ」
カイトはそう言いながら自分の右腕を差し出すと、ヘカテは目を丸くする。
「あら、貴方からくれるなんて珍しい」
「どうせ、僕は最奥で待機だ。多少、貧血になっても問題はないし、それに」
それについて考えたくもないが、はっきりと口にする。
「いつ死んでも、悔いはないようにしたいからな」
「……ふふっ、私も死ぬつもりもないし、貴方も死なせるつもりはないけどね」
彼女は嬉しそうに目を細め、その右腕に口を近づける。それに口をつける前に、ちら、と上目遣いで彼女はカイトを見つめた。
「貴方のそのリアリストなところ、割と好きよ」
「……そりゃどうも」
ぶっきらぼうな返答に、彼女は目を細めて笑いながら、その腕を抱きしめる。寄り添うようにしながら、彼女は二の腕に牙を突き立てる。
牙が優しく肌に突き刺っていく。その感触も最近は心地よく思えてきた。
寄り添うヘカテの温もりを味わいながら、カイトはゆったりとフィアとローラの手合わせを眺めていた。
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