第13話

「てあああああああああああ!」

 迫真の気迫と魔力を込め、フィアは雄叫びと共にヘカテの腕を担いだ。

 それを支点にし、腰の捻りを加えてその身体を地面に叩きつける。ヘカテは己の力の勢いで地面に激突――轟音が、空間を揺るがせた。

 あまりの衝撃に、ぐらぐらと地面が揺れ、天井から砂が落ちてくる。

 舞い上がった土煙の中から抜け出すように、フィアは後ろに跳び退く。

 十分な距離を取りながら、竜の吐息の準備を整える――油断は、絶対にしない。

 その体勢で見守っていると、やがて土煙は晴れる。

 その中から、よろよろと銀髪の少女が姿を現す。血を口から滴らせており、その胸を手で押さえている――満身創痍の状態。

 当たり前だ。彼女の攻撃の力を丸々に利用した、一本背負い。

 彼女は攻撃に一点集中していた。防御に力を回せるはずもない。その無防備な身体に、自分の本気の一撃を丸々食らったのだ。

 もう、戦うことは難しい――だが、その瞳から戦意は消えていない。

「――ヘカテ、それ以上は無茶だぞ。重心がぐらぐらだ」

 心配したカイトが背後から口を挟む。だが、ヘカテは笑って首を振る。

「いいえ、まだいける。最後の一発くらいは。止めないでよ」

「なら、私も立ちはだかるまでですが」

 じわじわと、遠距離で倒してしまえばいい。フィアはぐっと身体を低くする。それを目にしたヘカテは両腕を持ち上げる。

 手首と手首を重ね合わせ、まるで花のような形を作って突き出す。

 その掌の間に、徐々に紅い閃光が集中し始める。

「私だって、遠距離の攻撃手段を、持っているわ。時間がかかるけど、高火力の決め技――そうね、必殺技よ」

「……そう、ですか。それが、貴方の最後の技」

「ええ、そうよ……受けて、くれるかしら?」

 ヘカテは目を細めて口角を吊り上げる。フィアは冷静に深呼吸しながら言う。

「ええ、いいでしょう……最後の一撃です」

(大丈夫……どんな威力の弾でも構わない。これを避けて、仕留めれば勝ち……!)

 ぐっと手足に力を込め、一瞬で横に跳び退く準備をする。それを見て取ったのか、ヘカテは両腕に力を込めながら、ふっと笑みをこぼした。

 そして、囁くような声で、告げる。


「フィアルマ、貴方が避ければ、カイトとローラに当たるわよ」


 その言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。

 直後、ヘカテは両手を大きく突き出す。掌の紅い閃光が真っ直ぐにフィアめがけて解き放たれる。それを目にし、フィアは一瞬たりとも迷わなかった。

 両腕を交差させる。その腕に全力の魔力を込めて足を踏ん張る。

 そのまま、全身の力を込めた瞬間――激しい衝撃が全身を襲った。

 腕がもげるかと思うほど、衝撃波が身体を揺さぶる。閃光に視界は潰された。全身がびりびりと痺れ、焼かれているような激痛が迸る。

 膝を突きたくなる。両腕を下ろしたい。だけど、それでも――。

(絶対に、退かない――ッ!)

 カイトの顔を思い浮かべ、なけなしの魔力をさらに振り絞る。

 全力を越えた全力を全身に込め、フィアは眦を裂かん勢いで絶叫した。

「あああああああああああああああ!」

 やがて、不意に衝撃波が、収まった。

 ふらつきそうになる足を踏ん張り、息を整える。視線を上げ、目を凝らす。視界が霞んでよく見えない。だけど、目の前には近づいてくる影がある。

 ヘカテ。その銀髪の少女を見据えながら、フィアは両腕を上げようとする。

 だけど、動かない。千切れてしまったように、感覚がない。

(しまった……これだと、負け……)

 それでも、最後まであきらめまいと、全力で目の前を睨みつける。

 目の前に立ったヘカテは、血を口から滴らせながら目を細め――。


「貴方の勝ちよ。フィアルマ」


 その一言と共に、彼女はその場で膝を折った。

「――え……」

 にわかに信じられず、瞬きをする。やがて、その実感が湧いてくると――ふっと、足から力が抜けた。踏ん張りが利かず、そのまま倒れそうになり。

 そっと、後ろから誰かが抱き留めてくれた。

 ふわりと香る、慣れ親しんだ彼の香り。力強い腕。誰かは、すぐに分かった。

「カイト、様……」

「よくやった。フィア……本当に……本当に」

 彼の顔が視界に映った。彼の顔が泣きそうなくらいに歪んで笑っている。フィアは力なくそれに笑い返すと、ぽつ、と頬に何かが当たった。

 心地いいくらい冷たい水滴。それが、次々と落ちてくる。

「え……カイト様、なんで、泣いて……」

「気にするな……びっくりしたんだからな、お前ら……っ」

「ああ、うん、今のは二人とも悪いかなぁ、姉さまとヘカテ、両方とも」

 ふと、ローラが察したような声と共にカイトの傍に現れる。ハンカチで軽くその頬を拭うと、ため息交じりにフィアに告げる。

「お姉さまの、大バカ」

「え……なんで、なじられるんですか、私が……」

「兄さまに、心配を掛けさせたから……ヘカテ、大丈夫?」

「さ、すがに私も大丈夫じゃないわ……血を、血を飲ませて……」

「後でね。ヘカテはお説教」

 そう言いながら、ローラがヘカテに歩み寄り、介抱しているが目に映る。カイトの腕が丁寧にフィアを抱き上げ、地面に寝かせてくれる。

 次第に落ち着いてきて、視界がはっきりしてくる。フィアは恐る恐る両腕を見た。

「う……こ、れは……」

 両腕は、まるで紫電に焼かれたかと思うくらい、黒焦げになっていた。

 焼け焦げてしまって、感覚がない。火竜の鱗ですら、ヘカテの一撃を防ぎきれなかったのだ。思い出したように、両腕に激痛が走る。

「う、くっ……」

「待っていろ、フィア。今――」

 カイトはそう言いながら、虚空に手を伸ばす。そこにあるウィンドウを指先で使った。それと共に、腕の痛みが徐々に和らいでいく。

 見れば、淡い光が宿っている。ポイントで、腕が再生しているのだ。

「治るまでしばらく時間が掛かる。ヘカテも、肋骨治しておくぞ」

「お願い……それと、血を……」

「ダメ。ヘカテはじっとしている」

「うう……ケチぃ……」

 ため息をカイトはこぼし、まだ少し充血している瞳で優しくフィアの頬を撫でる。

「守ってくれて、ありがとう。フィア。だけど、そうする必要はなかったんだ」

「え……でも、そうしたら、カイト様に直撃して……」

「姉さま、直撃しないんだよ……私たち、コアで契約を結んだ魔物たちは、故意、過失問わずに、マスターを害することはできないの」

 はぁ、とローラはため息をこぼし、姉の顔を残念そうに見下ろしてくる。

 その言葉に、ぴたり、と思わず思考が止まった。

「――え、それ、本当に……?」

「ええ、そうよ。だから、貴方はてっきり避けるか、もしくは逸らすくらいを想定していたの。そこへ二の矢を叩き込む予定だったのだけど」

 ヘカテのやれやれと言わんばかりの声が響き渡る。

 フィアは固まったまま――やがて動き出した思考で、思う。

(もしかして――私の、全力の努力は……骨折り損?)

「結果、姉さまは消し炭になりかけて、兄さまはそれを心配してボロ泣き……もう、兄さまが家族想いなのを知っているでしょ。姉さまは。それと、私も信頼してよ。私が兄さまのガードについている意味がないじゃない」

 くどくどとローラは説教しながら、カイトのこぼした涙をハンカチで拭く。それにフィアは申し訳なさが急激に込み上げてきた。

「そ、その……大変、申し訳なく……つっ!」

「ああ、まだ動くな。フィア。今日は絶対に安静。それと――ヘカテは血だったか?」

 カイトが少し視界から外れる。ヘカテの傍へ行ったらしい。少し寂しく思っていると、その耳に二人のやり取りが聞こえる。

「ええ、お願い……」

「あげるけど、少しだけだ。さすがに本気を出し過ぎ。もう少し、ヘカテはやりようがあったんじゃないか?」

「……だって、想像以上に、フィアルマが強かったんだもの」

 拗ねたような声が隣から。ヘカテも横に寝かされたらしい。フィアがそちらに視線を向けると、横になったヘカテが笑みを向けてくる。

「――強かったわ。フィアルマ。つい、私が本気になるくらい」

「え……あれで、まだ本気じゃなかったんですか?」

「最後の方は、八割本気よ。あの光線は、六割本気」

「……全力の光線を食らっていたら、本当に消し炭になっていたわけですか」

 それには少しだけぞっとした。死ぬのは怖くないが、カイトに会えなくなったかもしれないと思うと――さすがに、肝が冷える。

 ヘカテは仕方なさそうに笑い、手を伸ばしてフィアの頬に手を添える。

「でも、貴方の本気がよく伝わってきたわ。きっと、貴方は同じ状況に陥ったら、また同じことをするでしょうね」

「それは……当たり前です」

「そう。だけど、それが大事なの。ボスは、マスターを守る最後の砦。その砦としての役割を、貴方は全力で示した――」

 ヘカテはそこで言葉を切ると、目を細めて囁いた。

「貴方こそ、ここのボスに相応しいわ」

 その言葉に、じんわりと胸が熱くなってくる。思わず瞬きをすると、カイトがその額に載せて微笑みかける。

「――フィア、お疲れ様。今はゆっくり休んでくれ」

「……はい」

 身に余るほどの達成感を噛みしめながら、フィアは目を閉じる。その頭を彼は優しく撫で続けていてくれた。

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