第12話

 そして、二人が会議している間でも、時間は刻一刻と過ぎ――。

 その日が、ついにやってきた。


「さて――始めましょうか。フィアルマ」

「はい、そうですね。ヘカテさん」

 丁度、ヘカテがやってきて一か月後――四階層のボス部屋には、二人の少女が対峙していた。二人ともブルマに着替え、身軽な姿で向き合っている。

 ついに、決戦の時だ――カイトはローラと共にその傍に立つと、二人を見比べる。

「二人とも、準備はいいな?」

「はい、カイト様。いつでも」

「私も、もちろん。あ、折角なら戦う前に血を飲ませてくれても――」

「さすがに、それは不公平だろう?」

「むぅ、ケチね。カイトは」

 さらりとヘカテは銀髪を払い、自然体のまま優雅に微笑む。

「なら、このまま戦いましょう。別に、不都合はないわ」

「――では、胸を借りるつもりで、挑みます」

 フィアは低い声でそう告げると、ゆっくりと拳を持ち上げる。カイトと同じ徒手格闘の構え。それはすっかり板についた構え。

 それどころか、カイトからも感じるほど、ぴりりとした気迫を感じる。

 迂闊には踏み込めない。その構えに、へぇ、と小さくヘカテは言葉を漏らした。

「大分、腕を上げたわね。それに――気合が、入っているわね」

「カイト様の御前です。恥ずかしい戦いぶりは、できません」

「そうね。それには賛成。私も、手は抜けないかしら」

 ヘカテはそう言いながら口角を吊り上げる――直後、轟、と気迫が放たれる。

(う……っ!)

 思わず、カイトが後ずさるほど、圧力となって押し寄せてきた気迫。それだけで地面が微振動し、かたかたと小石が音を鳴らす。

 わずかに力を出しただけで、これだけ――さすが、ヴァンパイアというべきか。

「兄さま、こっちに」

 後ろでずっと控えていたローラはカイトの前に庇うように進み出た。ブルマ姿の彼女は、身体を変化させて翼を生やすと、彼を包み込むように保護した。

「二人が危害を加えることは絶対にないけど、衝撃波で軽い怪我するかもしれないから、あまり顔を出さないでね」

「それだと、よく見えないけど」

「あはっ、それはごめんなさい。羽の合間から見ていて」

 カイトとローラはそう言い合いながら、一番壁際まで動く。ヘカテはくすりと笑みをこぼし、カイトに流し目を送った。

「いい機会だわ。私たちの本来の戦いを、教えてあげる。人間なんかの小細工に負けない、私たちの本来の力を――いつでも来なさい。フィアルマ」

 ヘカテは毅然とした声で告げる。その夜の女王というべき風格に、フィアはごくりと唾を呑み込んだが、すぐに息を吸い込んで目を見開いた。

 瞬間、めきめきと音を立てて、彼女の四肢に鱗が生えていく。

 手は厚みが増し、指先が太く長く伸びていく。見る間に鉤爪となったそれを構え、フィアはぐっと爪先に力を込める。

 一瞬の静寂。二人の気迫がぶつかり合う中、カイトは唾を呑み込み――。

 その微かな音が合図となったように、フィアは地を蹴って飛び出した。


 最初から、手加減をするつもりはなかった。

 フィアは踏み込みと同時に、手刀を突き出した。風切る音と共に放たれた鉤爪を、ヘカテは一歩下がりながら、両手を持ち上げる。

 瞬間、激突――大岩すら破壊する一撃に、凄まじい轟音が響き渡る。

 それを両手で受けたヘカテは、無傷。わずかに、口角を吊り上げる。

「――なかなかの、一撃ね」

 ヘカテの気迫が一気に膨れ上がる。それと共に、彼女の身から赤い霧が噴き出た。不気味に深紅の瞳を光らせ、彼女は両腕に力を込める。

 弾かれたようにフィアは鉤爪を振り払い、後ろに下がる。

 だがすでに、ヘカテは一歩踏み込んで間合いを詰めていた。踏み込みと同時に、掬い上げるような拳が放たれる。

 傍目は勢いのない、ただのジャブ――だが、フィアは反射的に両腕で身を守る。

 その腕に拳が命中する。直後、爆発に似た衝撃が身体を襲った。為す術もなく、フィアは背後に弾き飛ばされる。

 何とか中空で体勢を立て直して着地――荒く息をつく。

 その腕の防いだ部分は、鱗が砕け散り、じんじんと痺れていた。冷汗を滲ませながら、フィアは視線を上げると、ヘカテは余裕の笑みを見せていた。

「さすがの防御力ね。フィアルマ」

「そういう貴方こそ、火竜の鱗をぶち抜くとは」

 お互いに間合いを保ちながら、言葉を交わし合う。だが、明らかにフィアは不利を悟っていた。フットワークを刻みながら、内心で苦々しく思う。

(やはり、半魔の身体の使い方は、あちらに利がある……!)


「――熟練度の差かな。これは」

「やっぱり、そこは埋められないか」

 観戦するカイトとローラは冷静にそのお互いの動きを見ていた。最初の交錯だけで、二人の実力差はありありと分かっていた。

 ローラは翼でカイトを守りながら、軽く解説を加えてくれる。

「半魔の戦いだと重要なのは、魔力の使い方。できるだけ、一点に魔力を集中させればさせるほど、高火力になる。どれだけ、一瞬にブーストできるかが鍵だね」

 だから、先ほどヘカテの軽いジャブでも、フィアは弾き飛ばされてしまった。

 それは防御にも応用できる。ぶつかった瞬間に、魔力を集中させれば攻撃を防げる。そうやってヘカテは最初のフィアの鉤爪を受け止めたのだ。

 攻撃、防御、すでにフィアよりもヘカテが上回っている。

 それがありありと分かり、思わずカイトは唾を呑み込む。

(やはり――ヘカテには、叶わないのか?)

「ふふっ、兄さま、心配しないで。まだ、これは単なる小手調べだからね」

 ローラはくすくすと笑いながらカイトを見やる。彼は視線を返して首を傾げた。

「……そう、なのか?」

「だって考えてみてよ。魔物がわざわざ体術で戦う必要はないんだよ」

「なるほどな。ということは……」

「これからが本番。二人が種族の武器を使って戦うの。ほら、見て。姉さまを」

 ローラの声に促され、カイトはフィアを見やる。彼女は軽く爪先でフットワークを刻みながら、身体を前傾にしていく――そして、大きく息を吸い込み。

 その口から、眩い閃光と共に、業火が噴き出した。


 肚の底から噴き出した業火――ドラゴンブレス。

 地面を鉤爪で掴み、しっかりと身体を支えながら一気に目の前を焼き払う。火竜の必殺技の一つだ。凄まじいほどの火力に、ヘカテの姿は呑まれ――。

 その炎の中から、人影が駆け抜けた。

 ヘカテは赤い霧に身を包みながら、疾風のように駆け抜ける。

(さすが大妖、ヴァンパイア。しっかりと防ぐ――でもッ!)

 ドラゴンブレスの勢いを強め、鉤爪で地面を突き放す。その勢いで後ろに飛びずさると、地を蹴って側面に回り込む。それと同時に、小刻みに吐息を噴き出す。

 その口から放たれるのは青白い炎の塊。それらが、一直線に次々とヘカテに襲い掛かる。

「くっ、やるわねッ!」

 ヘカテは舌打ちしながら拳でそれを迎え撃つ。次々に鬼火を撃ち落とし、それらに対処していく。巧みに身体を動かし、真正面からの鬼火を迎え撃ち――。

 その彼女の横合いから、爆発の衝撃が襲った。

「な――ッ!」

 ヘカテは目を見開いて体勢を立て直す。そこへさらに襲い来る鬼火の群れ。たまらず、彼女は後ろへと引き下がっていき――目を見開く。

 その鬼火はカーブを描き、曲線と直線で迫ってきていたのだ。

(鬼火は、私の得意技ですよ……っ!)

 何せ、ダンジョンの初めの頃からよく使っていた。カイトの期待に鍛えられるよう、自主訓練も積んでいたので、鬼火の熟練度だけは高い。

 今や十の鬼火を放ちながら、それぞれを思い通りに動かすことも可能だ。

 フィアはほくそ笑みながら、短く息を吐き出し続ける。それと共に吐き出された鬼火はぐるぐるとヘカテの周りを取り囲むように円軌道を続ける。

 そして、フィアが念を込めると同時に、それが一気に殺到し――。


 直後、それが全て弾き飛ばされた。


 ヘカテが放った赤い霧が全てを払いのけたのだ。そのまま、血の霧は渦を巻いてヘカテを守る。彼女は不敵な笑みを浮かべ、爛々と目を光らせる。

「期待以上だわ。フィアルマッ!」

 その言葉と共に、地面を蹴ってヘカテが肉迫してくる。それを防ぐように、フィアは竜の息吹を放った。業火の奔流が目の前を閃光で埋め尽くす。

 だが、ヘカテはそれを防ぐことなく、むしろ、その中へと突っ込んでいく。

 彼女の周囲に漂う赤い霧が、炎熱を遮る分厚いバリアとなっている。ヴァンパイアを前にして、生半可なドラゴンブレスは無力――だが、それを承知とばかりに、フィアは牙を剥きながら、横に跳ねるように駆け出した。

(何も、相手の土俵に付き合わなくてもいいのだから……!)

 前傾姿勢。半ば這うようにして、地面を蹴って駆ける。

 本能に浸み込んだ、四足獣の動きだ。俊敏に地を蹴り、その場を離脱していく。その動きに、ヘカテはついていけない。

 視界を、息吹の閃光で奪われているのだ。その間に、彼女はすでに距離を稼いでいる。息を大きく吸い込み、そのまま、次々と鬼火を放った。

 遠距離からの一方的な攻撃。だが、これでいい。

 正々堂々と戦う必要はないのだ。魔物は、魔物らしく。

 どんな手段を選んででも、勝ちにこだわっていくのだ。主のために。

 一瞬だけ、カイトの方を見る。それだけで、彼と視線が合った。

 わずかに嬉しさが込み上げてくる。こうして不意に視線を投げても目が合う。それは、彼がずっと見守ってくれているからだ。

 ならば、その期待に応えなければ――いや、絶対に応えてみせる。

(私は――カイト様のことを、愛しているのだからッ!)

 胸に込み上げてきた熱量のまま、鬼火を次々に放っていく。その圧力に、ヘカテは徐々に捌き切れなくなってきた。

 魔力を集中した拳で相殺していたが、それでは防ぎきれず、徐々に後ろへと引き下がっていく。苛立ったようにヘカテは表情を歪めると、全身に力を込める。

「小癪、なああああ!」

 轟、と凄まじい勢いで魔力の奔流が吹き荒れる。小細工など通じないとばかりに、凄まじい勢いの魔力。それで鬼火を振り払うと、一気にヘカテは加速した。

 地面を砕く勢いで蹴り飛ばし、フィアへと駆ける。

 フィアは後ろに跳ねるように後ずさる――だが、その空間ごと踏破する勢いでヘカテは駆ける。その勢いのまま、ヘカテは拳を振り抜く。


 その一瞬を、フィアは待っていた。


(制御しきれないほどの、魔力の突進――)

 それは捨て身の攻撃。咄嗟に対応が取れなくなる。

 そんな迂闊な攻撃を繰り出せばどうなるか――彼から嫌というほど教わっていた。

 首を傾け、その拳を避ける。目を見開いたヘカテの腕を掴むと、素早く足を払った。膝のバネを利用しながら、腕を引っ張り、彼女の矮躯を担ぐ。

 それは、フィアの身体に染み付いた動作。

 何回も、カイトに投げ飛ばされた。何回も、カイトに教え込まされた。

 彼から見て盗み、身を以て受け継いだ柔道の技――。


 一本背負い。

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