第10話

 正直、勇者という存在を誤解していたのかもしれない。

 彼はふと、そう思った。そう思えるほどの光景が、目の前に広がっていた。


「おおおおおッ!」

 紫電が、迸った。そう思うほどの威力の一撃が吹き抜ける。

 彼が刃を走らせるために空が震え、地面がひび割れる。その衝撃と共に――敵が、消し飛んだ。雷撃が当たった瞬間、賊は消し飛ぶのである。

 その光景に言葉を失いながら、グレイとミリアムは背中合わせで身を守り合う。

「一体、どれだけの出力があれば、あんな……」

「想像も、つかないにゃあ……」

 そう言う二人の目の前では同時に四人の敵を相手取り、ウィリアムが果敢に立ち向かう。その刃の餌食になり、一人が蒸発する――その間に、三人の男が踏み込む。

 突き出された刃を、ウィリアムは避けない。そのまま、身体で受け――。

 瞬間、ばちっ、と弾けるような音と共に、三人が吹き飛んだ。

 その光景に、目を見開くグレイとミリアム。

「こ、れは……」

「電撃で、防御した?」

 吹き飛ばされた男たちは、びくびくと身を震わせ、泡を吹いている――明らかに、雷撃を受けたせいだ。ウィリアムは不敵に笑って大剣を担ぐ。

「小悪党共、そんなものか?」

「くそっ、化け物か!」

「俺たちを敵に回して、生きていられるとでも――がッ!」

「まあ、思っているが?」

 声を発していた男たちが一瞬で消し飛ぶ。黒い砂になって消し飛んだ男たちを見ながら、ウィリアムは悠々と笑った。そして、二人を振り返って言う。

「今のうちに、二人はガサ入れをしておいてくれ。こいつらの流通ルートを抑えれば、一網打尽にできるかもしれん」

「は、はい……!」

「分かりましたにゃ……!」

 グレイとミリアムは慌てて洞窟の中の部屋を探っていく。そうしながら、ずんずんと進んでいく、頼もしい勇者の背中を見やる。

 彼が刃を振るうたびに、敵は消し飛び、蒸発していく。それに叶う相手はいない。

(さすが、ダンジョン潰し……彼一人いれば、騎士団二百人、いや、五百人以上の戦力がある――)

 もはや、盗賊たちが叶う相手ではない。全てが吹き飛んでいった。


 その近くの森――そこには、数人の男が必死に駆けていた。

 誰もが息も絶え絶え。勇者という暴力を前に、秘密の通路でこっそり逃げを打った、『組織』のメンバーである。息を乱しながら、彼らはそれでも駆ける。

「くそ、何なんだ、あの化け物……っ!」

「騎士共に根回しして、しばいてやらねえとな……!」

 徐々に余裕が出てきたのか、彼らは会話をこぼしながら己を鼓舞する。

 そうでないと、あの惨劇が忘れられそうになかった。

 仲間が、次々と消し炭になっていく、あの惨劇を――。

「と、にかく、はやく――他の、仲間たちに、知らせねえとな……っ!」

「ああ、そうだ、急いで――」

「はい、そうは上手く問屋は卸さないかな」

 ふと、場違いなほど明るい声が響き渡る。それに目を見開いた瞬間、上から何かが降ってきた。それに気づいた瞬間、男たちの首筋に衝撃が迸り、次々に倒れる。

 五人もの男を、たちまち沈めたそのブレザー姿の少女は頭上を顧みて声を放つ。

「兄さま、仕留めておいたよ」

「ああ、ありがとう。連れて帰ってコモドに引き取ってもらうか」

 頭上から答えたのは、木の枝に腰かけるマント姿の青年――カイトだ。彼は足をぶらぶらさせながら、双眼鏡を覗き込んでいる。

 ローラは生やした翼を一打ちし、彼の隣に舞い戻りながら目を細める。

 その位置からは、橋が見える。その、洞窟の入り口も。

 中の様子は、肉眼では覗けない。だが――。

「どうかな。魔導鏡の様子は」

「ああ、ばっちり見える。なかなかに壮絶な戦いぶりだな」

 カイトは口角を吊り上げながらそう言うと、その手の双眼鏡をローラに手渡す。彼女はその双眼鏡を覗き込んだ。

 この双眼鏡――魔導鏡は透視の術式が刻まれている。透視対策がされていない限り、どこでも覗き放題だ。

 ピントを合わせると、はっきりと洞窟の中が見える――そこでは、勇者が大暴れしていた。紫電をまとった大男が大剣を振り回している。それだけで、男たちは為す術もなく倒されていく。男たちが言っていた通り、まさに化け物のようだ。

 迸る紫電に、目がちかちかしてくる。ローラはまばたきをしながら、魔導鏡をカイトに返した。

「なるほどね――あれが〈紫電〉の由来だね……手ごわそう」

「手ごわい、ってもんじゃないぞ。紫電で身体を常に守っている。生半可な武器では刃が通らない――けど、それが確かめられただけでも重畳」

 彼はふっと笑みをこぼしながら、魔導鏡を下ろした。

「わざわざ、ローラに頼んで偵察に来た甲斐があったものだよ」

「それはよかったけど……何か、対策見つかったの?」

 見る限り、その勇者はとんでもない猛者、というか、暴力の象徴に見えた。

 為す術もなく吹き飛んでいく人間たち。それの一切の抵抗を許さない〈紫電〉――それと敵対すると思うだけで、ローラは落ち着かない。

 と、その頭にぽんと大きな手が載せられる。振り返ると、カイトが優しい目つきでローラを見つめ、励ますように笑みを浮かべた。

「大丈夫だ。何とかなる」

 いつも聞いているその言葉。それだけで、一筋の光が差し込んだように、すっと不安の闇が晴れていく。頭を撫でてくれる手が、心地いい。

 思わずリラックスしながら、ローラはへにゃりと笑みをこぼした。

「兄さまにそう言われると、安心しちゃうなあ」

「それは良かった」

「いつも、何とかしているのは兄さま、なのにね」

「フィアやローラも頑張ってくれるじゃないか」

「私たちなんて、お手伝い程度にしかできないから」

 だけど、今回は、と内心で意気込む。着々と、実力を身につけているのが分かっている。飛行の持続力も上がり、こうやってカイトと共に長く飛べるようになった。

(今度こそ、カイトの役に立てる……!)

 その気迫を察したのか、彼は軽く肩を叩いて笑う。

「頼りにしているぞ。ローラ」

「ん……! 彼らが攻めてくるのは、もうすぐだからね……!」

「――いや、多分、そうはならないさ」

 カイトはふと意味ありげに呟く。彼は双眼鏡で洞窟を再度覗きながら笑う。

「シズクは、上手くやってくれたようだな」

「……え? どういうこと?」

「あの賊共の拠点の分かりやすいところに、資料を置いておいた。例の『組織』の本拠地だ。この辺にある奴、全部、ありったけ」

 そういえば、シズクは頻繁に伝書鳩のやり取りをしつつ、出入りを繰り返していた。それは恐らく『組織』の拠点をさまざまに探っていたのだろう。

 だが、そこを襲うことなく、ただ情報を横流しにした――。

「さて〈紫電〉は地下牢に辿り着いた、だが、そこにはシズクの友人はいない。当然だな、彼女は架空の人物だから」

 そう言いながら、手渡しされた魔導鏡を覗き込む。そこでは、閉じ込められていた少女たちを解放しつつあるウィリアムが困惑したように首を傾げている。

 そこに、ミリアムが駆け寄り、何かの資料を見せて話していた。

 内容は、容易に想像がつく。もしかしたら、別の場所に――と。

「ちなみに、ダミーを混ぜて五個。多くはないが、時間は食うはずだ」

 肩を竦めてカイトは告げる。その言葉に、思わずローラは感心してしまう。

 きっと〈勇者〉はそのまま、五つの拠点を制圧しにかかる。シズクと約束した手前、それは成し遂げるはずだ。だが、それはいくら彼が強いといっても時間が掛かる。

 三日――いや、事後処理まで含めれば、一週間はかかるかもしれない。

「二つの虎が食い競うことにはならなかったが……せめて、片方には囮になってもらうよ。他人の血を吸った分、精々、いい囮になってくれ」

 彼はどこか冷たい表情でその洞窟を一瞥して言う。

 その表情には、隠し切れないほどの怒りが見え隠れしていて――その剣呑さが滲んだ表情を見ていると、なんだか胸がどきどきした。

 普段の優しい彼とは違い、獰猛な彼には別の魅力がある。

(ああ……兄さまのこと、本当に大好きだな……)

 頬が火照るのを隠そうとせず、ローラはカイトの肩に寄りかかって甘える。彼は少し驚いたように目を見開いたが、やがて優しい笑みを浮かべ、その肩を抱いてくれた。

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