第9話

 ウィリアム・ベルザック――彼は〈紫電〉の異名を持つ勇者だ。

 彼が名を馳せたのは数年前の、第三次妖魔大戦。その最前線であった。

 傭兵として雇われ、戦場に立った彼が迎え撃ったのは、火竜が率いる魔物の軍勢だった。その波状攻撃に誰もが尻込みする。

 冒険者たちに、愛国心などはない。我先に逃げようと画策する冒険者たちの中で、彼だけは違った。彼は毅然として戦意を崩さず、それどころか周りの冒険者を励ました。

『一人が五つ斬れば、生きて帰れるのだ。皆、勇を振るえ』

 しかし、そのときの冒険者部隊の数は百人。それに対して、妖魔は千いるように見えた。それでは五百しか斬られないのではないか、そう指摘した冒険者に対し、彼はからりと笑って言う。

『残りの五百は、俺が斬る』

 はたして、彼は五百斬らずとも、前線で激しく勇戦した。それに冒険者は鼓舞され、全員が力を合わせて凌いでいく。

 そして、最後に彼が火竜を討つことで、その前線は完全なる勝利を収めた。

 勇猛果敢。また、人を従える器がある男――〈紫電〉のウィリアム。


(それがどんな人かと思ったが……)

 グレイは少し拍子抜けしたように、目の前の男を見つめる。その男は、目の前に並んだ料理をがつがつと貪るように平らげていた。

 その様子に、グレイはもちろん、酒場の客たちもぽかんとして見守るしかない。

 だが、その視線を気にすることなく、紫電の勇者は口の中に水を流し込んでから言う。

「――なるほど……人さらいの組織に、友人がさらわれた、と」

「え、ええ……そうなのですが」

「難儀なことよの。んぐっ」

 一言でそう素っ気なく言うと、さらに肉を口に頬張る――全く忙しない。

 この勇者が街に到着なり、グレイは直訴に向かった。だが、それに対して、ウィリアムはグレイの目を見るだけで鼻を鳴らし「まずは飯だ」と言葉を返したのである。

 そのまま、グレイたちに案内させて、酒場に向かい、今に至る。

 一応、話はして理解はしてくれたようだが――。

「まあ、聞いたところだと一銭の価値にもならない話ですね。断るべきだと思いますが」

 ふと、ウィリアムの後ろに控えている冒険者の一人がそう口を出す。その言葉にシズクが肩を震わせる――それを、アリスティアは肩に手を添えてその男を睨む。

 だが、グレイも同感だった――こちらで用意できるものは、何もない。

 せいぜい、端金程度だ。こちらは、彼の善意にすがるしかない。

 その言葉にウィリアムは食事を摂る手を止めない。彼の部下たちは苦笑いを浮かべ、荷物を持つ。

「んじゃ、ウィル、先に宿に入っている」

「んむ、俺の荷物も、頼む」

「おうよ、あまり遅くなるなよ」

 ウィリアムの仲間たちはあっさりした態度でいなくなってしまう。その素っ気ない態度に、ミリアムはやっぱりと言いたげにグレイを見る。

 だが、グレイは食い下がろうと口を開き――。


「んっ――よし、では参ろうか」


 ふと、拍子抜けするほど、軽くウィリアムはそう言い放った。口元を乱暴に拭い、腰を上げる。思わずぽかんとして、グレイは彼を見上げると、ウィリアムはにやりと笑う。

「さらわれた女の子を助けるのだろう? 力を貸してやる」

「え――よろ、しいのですか?」

「応とも。酔狂で、勇者を名乗っているわけではない。人助けもするとも――そんなに、必死に頼まれたら、猶更な」

 ウィリアムはぽん、とグレイの肩を叩き、ミリアム、アリスティア、シズクの顔を順繰りに見て、丁寧な口調でねぎらうようにいう。

「俺が来るまでずっと待っていたのだろう? その顔を見れば分かる」

 さすが〈勇者〉だった。器量もそうだが、この言葉を聞くだけでこう思ってしまう。

 この人となら、一緒に死地に行っても悪くないかもしれない――と。

「勇者、様……」

 シズクが感極まったように顔を伏せさせる。ウィリアムは、がははと豪快に笑う。

「仲間たちも、遅くならないうちに帰れ、と言っていたからな。早々に片付けるとしよう。その賊の根城は、分かっているのか?」

「にゃあ、大体、検討はついています」

 ミリアムはそう言いながら腰を上げる。その目は爛々と輝いている。

 それもそのはず、彼女自身もその『組織』に痛い目に遭っている。だからこそ、復讐する機会を狙って情報を集めていたのだ。

 グレイはミリアムに軽く頷くと、アリスティアに視線を向ける。

「――アリスは、シズクと一緒に家で待っていてくれ」

「分かり、ました……どうか、無理はしないで下さい」

 アリスティアは心配そうにそう答える。グレイは頷いてそれに応じると、ウィリアムはぱんと掌と拳を打ち合わせて、にやりとまた笑う。

「よし、派手にガサ入れといこうじゃねえか」


「――あそこ、ですにゃ」

 ミリアムが案内したのは、グランノールの外れにある川。その川に掛かっている橋の真下だった。そこには巧妙に草むらで隠蔽されているが――。

「小さな、洞穴があるな」

「ほう、さすが悪党。頭を使うな」

 冒険者三人は、その洞窟からほど近い、川岸の草むらに隠れていた。見つからないように身を潜め、ひそひそと言葉を交わし合う。

「連中は他にも拠点を持っておりますにゃ。ここの本拠に一旦、捕らえた女子を収集。その後、各地に発送しているらしく」

「なるほどな……胸糞が悪い限りだ。これなら思いっきりやれる」

 ウィリアムは口角を吊り上げながら、背中に差している大剣を掴む。それを制するように、ミリアムは肩に手を掛ける。

「まだです。騎士団に気取られないようにしないと」

「騎士団、だと?」

「んにゃ、あそこを」

 橋の反対側を指さすミリアム。その指の先には、一つの小屋がある。そこは、騎士団の詰所だ。丁度、騎士が出てきて背伸びをする。

 そのまま、ぐるりと見渡すと、また詰所に戻っていく――。

「連中が『組織』を守っています。そのせいで、手が出せませんでしたにゃ」

 悔しそうにミリアムが言う。ウィリアムは深くため息をこぼした。

「末端の騎士たちは、汚職まみれと聞いていたが……まさか、な」

「……すみません、こんなことに巻き込んで」

「いいや、これでも〈勇者〉だとも。常々、俺はこういうのが間違っていると思っていた。折角の機会だ、これを機に騎士団を叩き直そう――なに、また文句を言われれば、出奔してやればいい。宮仕えも、飽き飽きしてきたんだ」

 ウィリアムは軽口を叩きながら、どっかりと腰を下ろして空を睨む。空はすでに茜色、徐々に夜の帳が降りつつある。

 しばらく三人は黙っていたが、ふと、ウィリアムがグレイを見ていることに気づき、視線を返す。

「……何か?」

「ああいや、随分とあの子たちを好いているのだな、と思うてな」

「え、な、なにを……?」

 思わず口ごもると、ウィリアムは優しい目つきでグレイの肩を叩く。

「この件を引き受けた理由だがな、勇者であるのもそうだが……決め手は、グレイの目つきが気に入ったからでな」

「目つき、ですか?」

「俺に話しかけたとき、すごく必死な目をしていたものだから、驚いたものだ。お前のような目つきのものに、悪い奴はおらん――誇るといい、お前さんは勇者を動かした」

 ウィリアムはにやりと笑い、ミリアムが同意するように頷く。

「グレイは、本当に友達想いにゃ。特に、アリスは特別扱いしているみたいだけど」

「ほほう? なるほど、青春だな? 大好きな人のために一生懸命になれるとは」

「……からかわないで下さい」

 グレイは思わず視線を逸らしながら言うと、ウィリアムは押し殺した笑いを上げる。

「ふふっ、すまんな。こういう身分だと、若人と打ち解けて話すこともないのでな」

「言うてウィリアムさんも三十ぐらいでしょう?」

「三十でも、もうおっさんだがな……さて」

 ウィリアムがそう言いながら、不意に気迫を漲らせる。濃厚な気迫に、グレイとミリアムは口をつぐむ。空はいつの間にか、暗くなっている。

 もう、先が見通せない。だが、ウィリアムの周りだけは、不自然に明るい。

 ぱち、ぱちと何かが彼の身体の周りに迸っている。紫紺の、閃光――。

「そろそろ、始めるとしよう――お二人さんは、俺の後ろに。絶対に、前に出るなよ」

 そう言いながら、ウィリアムは大剣を引き抜き、不敵に笑った。


「悪党狩りを、始めよう」

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