第8話

 カイトとシズクの謀議が重ねられてから一週間後――。


 そこから離れた場所にあるグランノールは、ある噂でもちきりになっていた。

 それは当然、〈勇者〉のこと。〈紫電〉がついにこの街に来るということで、人々は盛んにそのことについて話していた。

 冒険者、グレイ・ダイバーンもまた、その噂話を耳にしていた。


(勇者ねぇ……おかげで、冒険者のみんなは商売あがったり、みたいだけど)

 閑散としてしまった、ある建物――そこは、通称、ギルドと呼ばれる組織の建物だ。

 どこの街でも基本的にあるそこでは、周囲の狩場の案内を行い、またそこで狩ってきた獲物の下取りも行ってくれる。

 ちなみに、民間や騎士団から依頼を受注し、それを冒険者に依頼することもあるが、これに関して、グレイはあまり関わらない。

 だが、レートは日々、変化しているのでチェックは欠かせない。

 そのため、必然的にいつも冒険者の出入りが多いその建物は、どこかがらんとしている。グレイはその建物の中をぐるりと見渡す。

 ふと、そこに見知った顔がいるのを見つけ、声を掛ける。

「お、ミリアム」

「ん、ああ、グレイ、おはおは」

 そのフードを被ったパーカー姿の少女は、眠たげな目つきで笑い返す――冒険者仲間のミリアムだ。

 パーカーのフードを被っているのは、彼女が魔物との混血だから。ほんのわずかに入っているだけなのだが、その頭に猫耳が生えているせいで、敬遠されるのだ。

 そのパーカーの手を突っ込みながら、ミリアムはグレイの傍に歩み寄る。

「あれ? 今日、アリスちゃんはー?」

「ん、なんか友達とお茶だって」

「そっか、で、グレイは一人寂しくレート表を見に来た、と」

「そういうことだ……今日は、やっぱり人が少ないな」

「まあねえ……件の〈勇者〉が来るからにゃあ」

 彼女はやれやれと首を振り、ため息をこぼす。

「私たちはあまり関係ないけど『ダンジョン狩り』連中は大打撃だから」

「ん、まあ、この街の冒険者はそいつらばっかりだしな」

 冒険者の稼ぎ方は二種類。

 一つは、手が入らない森で希少素材を採集したり、その森にいる魔獣を狩ってその素材を売り払う。主にグレイがやっていることだが、稼ぎは少ない。

 もう一方が『ダンジョン狩り』――ダンジョンを探し出し、そこにいる魔獣を狩って売り払う。ダンジョンに住む魔物は、純血種が多いため、その素材は高く売れる。

 ダンジョンの浅いところで魔物を狩り、それで生計を得る者もいるくらいだ。

 グランノールは、ダンジョンの発生率が高いため、そういう冒険者たちが常駐しているのだが、〈勇者〉が来るという話に、彼らは徐々にここを後にしていた。

「〈勇者〉は、ダンジョンを潰してしまう、天災だから」

「治安維持には、大事だと思うけどね。魔獣があふれたら、元も子もないし」

 グレイとミリアムはやるせなくため息をこぼす。そのまま、なんとなく連れ立って二人はギルドを後にした。そのまま、ぶらぶらと歩きながらミリアムは訊ねる。

「ねぇ、グレイ、折角だし今日は一緒に採集に出ないかにゃ?」

「ん、いいけど……そういえば、ロイドは?」

 いつも、ミリアムと一緒に行動する冒険者の姿がない。ロイドは、ミリアムに好意を示していて行動を共にしていたが――。

 だが、彼女はやれやれと肩を竦めて、小さく吐息をつく。

「例のエルフ村。女でもできたんじゃないかにゃ?」

「……ううむ」

 グレイが紹介したエルフ村。そこにロイドはひっきりなしに出入りしていた。結構、お金もつぎ込んでいるらしい。いろんな陶器を買って帰っていた。

 ロイドは、エルフの子に心移りしたのだろうか?

「ま、あいつは放っておいて久々に二人きりでデートだにゃあ」

 彼女は眠たげな眼を細め、屈託のない笑みを浮かべる。その頬が若干、赤く染まっていてどきっとしてしまう。グレイは咳払いをして首を振る。

「いや、この後、アリスと合流する予定だから――」

「うにゃあ、残念……と、噂をすれば」

 ミリアムが目を細めると、前から歩いてくる少女に気づく。誰かを連れたって歩いており、アリスティアはすぐにグレイに気づいて手を振る。

「グレイ、ミリアムさんも。丁度良かったです」

「ん、どうした? アリス」

「実は、グレイに相談がありまして……」

 アリスは控えめな声でそう言いながら早足で傍に寄ってくる。そのまま、彼女は隣にいたその少女を手で示す。東方風の、黒い着物に身を包んだ少女だ。

 浅黒い肌の少女。彼女は伏し目がちになりつつ、ぺこりと頭を下げる。

「私の友人で、シズクと言います。よくお茶を一緒に飲むのですが」

「ああ、そうなんだ……えっと、グレイと言います。こっちは仲間のミリアム」

 グレイは自己紹介をすると、彼女はびくりと肩を震わせ、アリスの背に隠れてしまう。アリスティアは苦笑いをこぼして答える。

「すみません、彼女は人見知りで」

「ああ、大丈夫……それで、相談って?」

 そう聞きながら、ふと気づく。シズクの目元がひどく腫れている。まるで、泣き腫らしたように。アリスティアは彼女を心配そうに見つめながら言う。

「実は、シズクのご友人が、人さらいに遭ってしまったようで……」


 アリスティアと泣きじゃくるシズクから話を聞くと――。

 シズクの友人は、近くの村に暮らしている村娘で、二人は森に入って薬草を摘んでいた。二人は別々で作業をしていたが、ふと、そこに悲鳴が響き渡る。

 シズクは慌てて友人の元に駆けつけると、そこには何人もの男が友人の少女を抑え込んでいる姿だった。縄で乱暴に縛られ、引っ立てられていく友人。

 恐怖でただ見ているしかできなかったシズクは、我に返ってこの街に戻って助けを求めたという。


「私っ、ベルが捕まっているのに、見ていることしか、できなくて……っ!」

「うん、大丈夫よ。シズク……怖かったよね……」

 場所を変え、グレイの下宿。アリスティアと相部屋の広々した部屋でその話を聞いていた。シズクは嗚咽を漏らす中、グレイは腕を組んで眉を寄せる。

「ちなみに、騎士団には……」

「言ったそうですが、門前払いだそうです」

「……まさか、おい」

 グレイは相席するミリアムを見やる。彼女は無表情で聞いていたが、その目つきは剣呑だ。彼女はグレイを見つめ返して頷く。

「うん、多分、あいつら――『組織』だと思う」

 人身売買組織――この街では、もはや『組織』の一単語で通じる存在だ。

 エルフやドワーフなど、ヒト型の魔物を捕らえては高額で売買する、悪趣味な集団。法に触れている存在だが、騎士団と癒着しているため、見て見ぬふりをされているのだ。

 アリスティアはシズクの背中をさすりながら言葉を続ける。

「どうも、シズクのご友人は、混血らしくて……」

「魔物と勘違いされたか……厄介だな」

 グレイは舌打ち交じりに腕を組む。ミリアムも眉を寄せていた。

 魔物に囚われて捕まった少女。相手は違法な集団――だが、性質が悪いことに、騎士団と癒着している。

「……助け、られませんか? グレイ」

「お願いします……っ、グレイさん、どうか、ベルを……っ!」

 アリスティアとシズクの懇願に、グレイは困って眉を寄せ、ミリアムに助け舟を求める。彼女は深くため息をこぼして言う。

「助けたいけど……難しいにゃあ。相手は犯罪者集団。荒事に精通している上に、人数が多い。直接乗り込んで助けるのは、無理。その上、騎士団に守られているから、こっちが逆に悪人にされかねないにゃあ……」

 元気のない声でそう言うと、彼女は申し訳なさそうに項垂れる。その声にシズクはがっくりと肩を落とす。アリスティアはその彼女を見つめると、グレイに視線を向ける。

 縋りつくような視線で、じっと見つめてくる――。

 その瞳に駆り立てられ、必死に思考を巡らせる。どうにか、助けられないか――。

「――あ」

「んにゃ?」

 思わずグレイは小さく声を上げると、ミリアムが半眼を向けてくる。グレイはためらいながら、ミリアムに言葉をかける。

「もしかしたら――〈勇者〉なら、どうにかできるかも」

「あ……〈紫電〉……そうにゃあ……」

 ミリアムは思考を巡らせ始める。それにアリスティアは身を乗り出した。

「それってつまり――!」

「うにゃ。あの〈紫電〉は人権派と聞くし、もしかしたら、話を聞いてくれるかもしれないにゃ。それに、彼は騎士団の上の人間だから、騎士団を敵に回す心配がない……!」

 ミリアムはそう言うと、がばり、と勢いよく椅子から立ち上がった。グレイも追って立ち上がり、シズクを振り返る。

 彼女は泣き腫らした目を揺らしながら、困惑したように首を傾げる。

「でも……勇者様が、力になってくれるでしょうか……?」

「ダメもとで、行ってみよう。予定なら、今日来るはずだ」

「門前で待てば、捕まえられるかもしれないにゃ! 急ぐよ! グレイ!」

 ぱたぱたとミリアムが部屋を飛び出す。グレイもその背を追い、急いで部屋を出て行った。


 出て行った、慌ただしい二人。それをアリスティアはシズクと共に追いかけながら、思わずため息をこぼし、ちらりと隣の少女を見る。

「大した役者ですね。シズク」

「それほどでもないけど……協力、ありがと。アリス」

 先ほどまで取り乱していたのが嘘のように、彼女は平坦な顔をしている。密偵の表情の彼女を見つめ、やれやれとアリスティアは肩を竦める。

「まぁ、マスターの命令ですから従ったまでです。本当なら、グレイさんを騙すのはあまり、気分がよくないので」

「確かに。彼は気持ちいいまでの好漢。殿には劣るけど」

 二人は建物から出る。すでに、グレイとミリアムは道を大急ぎで走っている。置いていかれないよう、二人も追いかけながら小声で会話を続ける。

「それで? なんで、グレイさんと勇者を接触させる意味が?」

「私が直接、勇者と接触して泣きつけば不審がられる可能性があった。だから、グレイというワンクッション置くことで、信頼づけることができる」

「まあ、グレイさんなら必死に勇者へ頼み込んでくれると思いますけど……」

 アリスティアは首を傾げる。カイトは、何を考えているのだろうか。

(救援を頼み、勇者をおびき出して、奇襲する――いや、そんな稚拙な罠を考える人ではありませんよね……?)

 どういう策略かは、分からない。それを見て、シズクは小さく笑う。

「アリスには教えない、バレるといけないし」

「……まあ、いいですけど」

「ただ、これだけは約束する――グレイは、絶対に怪我させない」

「それを聞いて、少し安心しました」

 アリスティアとシズクは笑みを交わし合う。そのまま、グレイたちの後を追いかけ、グランノールの門まで駆けて行った。

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