第3話

「フィアルマ殿、少しよろしいか」

 その声が聞こえたのは、フィアがエステルの手合わせを一段落させたときだった。フィアは汗を軽く拭い、声の方向を向いて目を見開く。

 そこにはくすんだ金髪のエルフ――ソフィーティアが立っていた。

 いつから見ていたのか、椅子や飲み物まで持ち込んでいる。エステルは息を整えながら、穏やかに頭を垂れる。

「ご機嫌、よう、ソフィーティア様」

「ん、エステル殿もお疲れ様だ」

「恐れ入り、ます。しかし、何故、こちらに?」

「カイト殿のオーダーだ。フィアルマ殿のコーチをして欲しいと言われて」

「カイト様が……? それは、恐縮ですが……」

 フィアは軽く礼をしながら、頭上の方に視線をやる。なんとなく、カイトが見ている気がしたのだ。見つめ返すように見上げながら、首を傾げる。

(何故、敢えてソフィーティアさんに?)

 このダンジョンで、技術で洗練されているのは、ヘカテを除けば、カイトとエステルである。二人と稽古している方が、明らかに効率がいいはずなのに。

 その内心の疑問に応えたのは、エステルだった。

「――恐らく、ご主人、様は、半魔の戦い方を、教えようとされています」

「半魔……」

「そう、ダンジョンで戦うときの常套戦術だ。特に、フィアルマ殿のような、力のある魔物はダンジョンを破壊しないようにしなければならない」

 ソフィーティアは凛とした声で言いながら、羽織っていたマントを脱いで椅子に掛ける。そのまま、彼女は軽く全身に力を込める。

 それだけで、目の前のエルフの身体が一気に変質していく。

 色白かった肌は、苔むすように緑色が広がっていく。指先はしなやかに細くなり、その目つきはまるでトカゲの目のように、瞳孔が縦に割れた。

 その姿に思わず、フィアは目を見開く。

「エルフも、変化できるのですね……!」

「元々、植物の妖精が人と交わり、このような種族になった存在だ。特に、私は純血に近いからな……植物に、似た形になる」

 ブロンドの髪は黄金色の麦のような色に変化していく。その半人半魔の状態になったエルフは妖しく微笑みを浮かべ、腰に手を当てる。

「私とて、伊達に冒険者相手に戦っていないからな」

「……ちなみに、完全に変化するとどうなるのですか?」

「そうだな……平たく言えば、樹木の獣になる」

「樹木の、獣?」

「ああ、あまり見せたくはないな。エルフという種族は、その見た目を好まず、人と交わることで人に近づこうとした種族だから……私の本気を、出すときが来ないことを願うよ」

 ソフィーティアは苦笑いを浮かべて告げる。その姿に、ごくりと唾を呑んだ。

 見た目ももちろんだが、明らかにまとっている覇気も違う。洗練された身体だ。ソフィーティアは歩み寄りながら、途中に落ちていたレンガを拾い上げる。

「この身体の総出力は、魔物になった私たちよりも劣るのは当たり前だ。だが、瞬間的な出力に関しては――私たち本来の力に匹敵する。それどころか、己の身体の使い方次第では――」

 彼女はそう言いながらレンガを宙に放り投げる。放物線を描き、そのレンガはソフィーティアの頭上へと落ちていく。それを彼女は天突くように指先で迎え撃ち。

「こうすることも、可能だ」

 瞬間、弾けるようにレンガが砕け散った。

 指先に触れた瞬間、そこを中心に破壊が広がり――砂と化して風の中に溶ける。もちろん、レンガの真下にいたソフィーティアは無傷だ。

 その動きにフィアは目を見開き、エステルは腕を組みながらつぶやく。

「魔物本来の力を、指先の一点に集中――それを一瞬で放出し、衝撃波を生み出した」

「ご明察。エステル殿も、できるのでは?」

「……残念ですが、私は混血なの、で難しいです」

 彼女はへにゃりと狼の耳を垂れさせながら小さく言う。付け加えるように、その耳と尻尾を動かしながら言う。

「敢えて言う、のならば、今が半人半魔です」

「なるほど……全く、カイト殿の深謀遠慮には恐れ入る」

 ソフィーティアは感心したように頷く。フィアは同意するように頷き返した。

 エステルが教えきれないことがある、と直感的に察して、彼はそういう気配りをしたに違いない。そして、今回の勝負では間違いなく、それが生きる。

 もし、これに気づけていなければ、フィアは間違いなく、ヘカテに惨敗していた。

(さすがです――カイト様。私も、それに応えられるようにせねば)

 フィアは心に刻みながらソフィーティアを見る。半魔の彼女は目を細めて頷く。

「早速、教えるが、私が教えられるのは半人半魔の身体の使い方のみだ」

「それだけでも、ありがたいです。そこからは、私が掴み取ります」

「いい心意気だ。幸い、エルフの身体の特徴は、打たれ強さにある――サンドバッグなら、任せて欲しい」

「……まずは、拳を届けるところから、学ばないといけませんがね」

 ソフィーティアとフィアは笑みを交わし合う。それを見て、エステルは微笑ましく目を細めながら、尻尾を軽く揺らしていた。


「――うん、フィアも理解してくれたようだな」

 それを見届けたカイトはウィンドウを消す。その横でヘカテは、はむはむ、とカイトの腕を甘噛みしている。牙は立てず、どこか甘えるような噛み方だ。

 そうしながらヘカテはじっとカイトの横顔を見ている。思わず、カイトは首を傾げた。

「どうかしたか? ヘカテ」

「……貴方、なんであのエルフに指導を頼んだの?」

「そりゃ……なんとなく?」

「何となくって」

「そうとしか言えないさ。多分、必要になると思った」

 そもそも、これまでは襲撃者たちに実力を発揮せずに終わっていた。いや、そういう戦術しか執ることができなかったのだ。

 悟らせず、じわじわと真綿で首を絞め、気づけば逃れられない状況にする。

 そうでなければ、数や実力の差を覆せなかった。

(だが、今回の勝負は違う――正面勝負だ)

 グラウンドも対等。一対一のタイマン。奇襲は、通用しない。

 つまり、フィアたち魔物の本来の力が試される。

「魔物たちの中で、最も経験を積んでいるのはソフィーティア、だからな。念のためだ」

「なるほどね、貴方、思っている以上に優秀なのね」

「優秀なものか。ただ、人一倍、臆病なだけだよ」

 その言葉にヘカテは腕から口を離し、小さく微笑みを浮かべた。

「その臆病さは、何にも代えられない美徳よ。その心を、忘れないようにしなさい」

 どこか包み込むような、慈愛に満ちた微笑み。

 それにカイトは少しだけ狼狽え――ごまかすように鼻で笑う。

「そりゃどうも。さすが、三百年生きているお婆ちゃんは言うことが違うか」

「……貴方、言っていいことと悪いことがあるわよ」

 ぴくり、とヘカテのこめかみが動く。そのまま、彼女はカイトの腕に掴む力を込めた――嫌な予感が、する。

 ヘカテはにっこりと笑みを浮かべる。犬歯を剥き出しにした、愛らしい笑み。だけど、目が一切笑っていない。そのまま、彼女はカイトの腕に口を近づけ。

 がぶり、と勢いよく噛みついた。


 直後、カイトの情けない悲鳴が部屋に響き渡ったのは、言うまでもない。

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