第七章 ライバルは吸血鬼

第1話

 ノスフェラトゥ――それは、夜の大王。

 漆黒の夜に羽ばたき、昼の世界に生きる者の生き血を糧にして生きる存在だ。昼の世界で最強と呼ばれるのはドラゴンであるが、彼らも一目置くほどの存在である。

 その特徴は、その名が示す通り、不死。

 心臓を銀弾で貫かれる、あるいは、脳を完全に破壊しない限りは、完全な不死だ。

 その血族のことを、ヴァンパイア、あるいは、ダンピールと呼ばれる。

 つまり、ヘカテは夜の覇者に近い存在である。その実力は計り知れない、そんな存在がボスになろうと提案してきているのだ。

 そのヘカテの思いがけない提案に、カイトは微かに目を見開き――。


「あ、じゃあいいや」


 はっきりと首を振った。は、とヘカテは足を止め、目を丸くする。

 カイトは目を細めてベッドに腰かける。そのまま、フィアを手招きした。困惑しながらも、彼女は傍に寄ってくれる。

 カイトはその身体を抱き上げ、膝の上に載せて告げる。

「ウチのボスはフィアで固定だ。それを変えるつもりは、一切ない」

「……正気かしら。貴方」

 ヘカテはその血のような目を細め、唸るように言葉を放つ。

「そこの娘の弱点を、分かっていて言っているの?」

「弱点?」

「……分かっていないなら教えてあげるわ。それは、経験値不足よ」

 ヘカテの容赦のない指摘に、フィアは顔を伏せて黙り込む。だが、カイトは軽く眉を寄せてとぼけた声で訊ね返す。

「どういうことだ?」

「どういうことも、こういうこともない――その子は、まだ召喚して半年も経っていない、幼竜だと言っているの。それでC級以上の賞金首。いわゆる〈英雄〉クラスの冒険者を相手にして、その子では太刀打ちできないわよ」

 ヘカテは肩を竦めながら言い、じろり、と焼けるような瞳でフィアを睨む。

「私のレベルは160――私の方が圧倒的に強い。それなら、私をボスにし、その子を前線に出して戦わせるのが賢明よ。その方が、その子の経験にもなる」

 その言葉に、フィアは何も言葉を返さない――それが、事実だと認めているのだ。カイトはその言葉に耳を傾けていたが、やがて静かに口を開く。

「理由としては、不十分だな」

「……何ですって?」

 ヘカテが剣呑に目を細める。カイトはフィアの身体を抱きしめながら、言葉を返す。

「確かに、フィアルマは実力がまだ伴わないかもしれない。だからこそ、積極的な鍛練を積ませている。それは事実だ――けど、フィアをボスの座から下ろす理由にはならない」

「カイト、様……」

 安心づけるようにフィアの頭を撫で、さらに言葉を重ねる。

「襲撃があれば、フィアであろうと前線に向かわせて戦う。ボスであっても、経験は積める」

「な……! そうしたら、カイト、貴方が手薄に……!」

「それでも構わない。最初から、そのリスクは呑んでいる」

 カイトは堂々とした口調ではっきり告げ、フィアの手を握りしめる。彼女の身体の震えは、いつの間にか止まり、その手をしっかり握り返してくれる。

 そのまま、彼女はきっと視線を上げ、決然とした口調で言う。

「私も――負けるつもりは、ありませんから……」

「……な……貴方たち、バカなの……?」

「ああ、バカかもな。でも――それでも何とかなる」

「はい、何とかしてきました」

 カイトとフィアで視線を交わし合い、微笑み合う。それにヘカテは頭を押さえて深く吐息をつき、首を振る。

「――貴方たちがそれでいいなら、別にいいけど……私は、知らないわよ」

「ああ、ヘカテもわざわざ提案してくれてありがとう……ただ、一つ、こちらから謝らなければならないことがある」

「……何かしら。カイト」

 ヘカテが胡乱な視線を向けてくる。それを見つめ返し、カイトは目を細める。

「ボスにはできない。だけど、それでも配下になってもらう必要がある」

「あら……虫が良すぎない?」

「自分でもそう思うさ。だから、ごめん」

 カイトは苦笑いを浮かべて肩を竦める。ヘカテは扉に寄りかかるようにして、殺気を込めた視線で見つめ返してくる。

「私を手放したくない。そんな理由なら――失望するわよ」

「残念だが、そんな理由でもない……ただ、保安上の理由だ」

 警戒するフィアを制し、膝の上から退いてもらう。そうして、カイトは立ち上がると指先を宙に走らせた。ウィンドウを、呼び出す。

 そこに現れたのは、キキーモラやエルフたちだ。

 それを見て、微かにヘカテは眉を寄せる。

「――この子たちが、どうしたの」

「このまとめ役のソフィーティア……さっきの救援に力を貸してくれた、エルフから忠告されているんだ――昼の住人と、夜の住人は仲があまりよくない、と」

 その理由は恐らく検討がつく。彼女たちヴァンパイアは昼の住人たちの生き血を啜る。ある意味では、昼の住人たちを食い物にしているのだ。

 そして、さらに聞き出した情報によれば――。

「キミは、一定以上、血を送り込んだ相手を傀儡にすることができる」

 その言葉に、ヘカテはすっと目を細める。血の瞳が愉快そうに閃き、口角を吊り上げる。

「それを聞いていて、カイトは血を提供したのかしら?」

「ああ、せめてもの信頼の証として、な」

「それで、服従を強要するとは笑わせるわね」

「別に強要するつもりはないさ……そうしないなら、出て行ってもらう」

 カイトとヘカテの視線が激しくぶつかり合う。殺気と気迫がせめぎ合い、傍のフィアは入り込むことができずに、固唾を飲んで見守っている。

 その視線を合わせたまま、カイトは腰に手をやって言葉を続ける。

「このダンジョンで不和を招かないように。それに、実力者のヘカテが暴走すれば、ダンジョンコアも無事ではすまない――そのために、キミには服従を求める。もし、それに同意しないのならば、このダンジョンを速やかに退去せよ。そうでなければ」

「……そうでなければ?」

「これが、答えだよ」

 抜き放ったのは、拳銃――その銃口が、真っ直ぐにヘカテの額を狙う。

 ぴくり、と彼女の表情が歪んだ。それの気配を、感じ取ったのだろう。

「ああ――分かると思うが、この銃弾は銀弾だ。不死者とはいえ、無事ではすまないぞ」

「――よく、そんなものを」

「たまたま、冒険者の一人が持っていてね」

 言わずと知れた、エステルの元主人の小道具だ。撃鉄に指をかけ、ゆっくりと起こす。そのまま、カイトは苦々しい口調で言葉を続ける。

「こういう形に、持っていきたくはなかった。すまない」

 その苦い口調に、感じるところがあったのだろうか。ヘカテは殺気を緩め、その銃口をじっと見つめる。やがて、深いため息をついて両手を挙げた。

「分かったわ。正直、カイト、貴方のことは気に入っている。だから、こういう敵対は望まないわ。ここは、折れてあげる」

「――すまない。ヘカテ」

「ただし、カイトにも多少は妥協してもらうわよ」

 ヘカテはそう言いながら、ぴっと指を一本立てる。

「一か月よ」

「――どういうことだ?」

「それの猶予をあげる、ということ。その後に、フィアルマと私――どちらが、ボスの座に相応しいかどうか、勝負して決めましょう」

「……それは」

 わずかにためらう。もし、フィアが負けることになれば、それ即ち、フィアがボスの座から降りるということになる。

 それに逡巡していると、澄んだ声がそれに応えた。

「いいでしょう。ヘカテさん。その賭けに乗ります」

「……いいのか、フィア」

「はい、もちろんです……これは常々、私が感じていた課題でもありますから」

 フィアはそっと胸に手を当てて、カイトを振り返って告げる。その目つきに、はっきりとした意思が宿っている。

「思えば、この座は私の実力で手にしたものではありません。カイト様との付き合いの長さやその気持ちに甘えてしまっていると感じています」

「……フィア」

「ですから、ここではっきりさせたい。私がこのダンジョンのボスとして相応しいかどうか。それを証明する相手として、ヘカテさんは良い好敵手です」

 フィアは燃えるような真紅の瞳をヘカテに向ける。

 ヘカテは鮮血のような深紅の瞳でフィアを見つめ返す。

 二人の視線が行き交う。見えない、何かの意地がぶつかり合うように。

「ここで勝てて――私は、初めて〈はずれボス〉ではなくなる気がするのです」

「……分かった。なら、何も言わない」

 覚悟のほどが、よく伝わってきた。今までのないほどの気迫に、カイトは頷く。

「フィア、ヘカテ。一か月後に二人の実力を試す。その結果、相応しいと認めた方に、ここのダンジョンのボスを任せることにする――それで、いいな」

「ええ、いいわ。上等よ。フィアルマ。掛かってきなさい」

「よろしくお願いします。ヘカテさん。負けるつもりは、ありません」

 二人の少女が煮えたぎるほど熱い視線をぶつけ合わせる。その二人の視線に、カイトはただ見守ることしか、できそうになかった。

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