第13話

「――え」

 思わず目を見開いた。そこに飛び込んできたのは、ボロ布をまとった小さな少女だった。その胸に突き立った矢――それを見た瞬間、ぐらりと少女の身体が揺れる。

「お、おい!」

「く……っ!」

 男は素早く二の矢をつがえようとするが、その間にローラが駆けつけ、頭を蹴って気絶させる。そのまま、彼女は慌ててカイトへ駆け寄る。

「兄さま、ごめん、大丈夫!?」

「ああ、でもこの子が……!」

 カイトを庇った子は、捕らわれていた子の一人だった。線が細い身体を、豪速の矢が貫いていた。血まみれになった彼女を抱き留め、カイトは唇を噛む。

 矢は胸を貫通している。下手に抜けば、出血死してしまう。

 だが、このままだと――。

「どうにか、できないか……! ローラ!」

「う……ここが、ダンジョンならポイントでできるんだけど……!」

「なら、急いで戻って――!」

 そう言いかけた瞬間、少女のその手が弱々しくカイトの腕に触れる。視線を向けると、彼女は必死にカイトの腕を引き寄せようとする。

(何か、伝えたいことでもある、のか……?)

 少女に任せて腕を動かす。彼女はカイトの腕を口元へ持っていく。そして、息を吸い込むように口を大きく開き――。

 その腕に、噛みついた。

「――ッ!」

 鋭く走る痛み。ローラは慌てて少女に手を伸ばす。

「に、兄さま!」

「い、いや……大丈夫だ。それより……」

 カイトは少女に視線を落とす。すでに、それに気づいていた。

 腕は噛みつかれた割には、痛くはない。彼女の喉が小さく動き、それに反応するように少しずつだが、彼女の顔色に血色が戻っているのだ。

(まさか、彼女は――かの有名な大妖?)

 とにかく、とカイトは彼女が血を吸いやすいように身体を抱え直す。そのまま、彼女の胸に突き立った矢を確かめる。

 こうなってくると、貫通しているのは逆に都合がいい。

 反対側から突き出た鏃を折って捨てながら声を掛ける。

「よし――このまま、矢を抜くぞ。行けそうか?」

 訊ねながら視線を合わせると、彼女ははっきりと見つめ返して頷いてくれた。よし、とカイトは微笑みかけると、その突き立った矢を掴む。

 そのまま、力を込めて矢を引き抜いていく。彼女はぎゅっと目をつぶり、腕を噛みしめる。震える身体を抱きしめながら、カイトはしっかりと確実に矢を引き抜く。

 その矢を放り捨てると、その胸の傷跡を確かめる。ローラもそれを覗き込み、息を呑んだ。

「傷が……塞がってきている……?」

「ああ、そうだろうな」

 もうすでに、彼女の正体は、察しがついていた。

 少女はひとしきり血を飲み終えると、そっと口を離す。その剥き出しの牙を輝かせながら、彼女は口元を拭って笑う。

「ええ、お察しの通りよ」

 それは、見た目に似つかわしくないほど、大人びた声だった。妖艶な笑みと共に、少女は目を細めて告げる。

「私はヴァンパイアの一族――助けてくれて、感謝するわ。カイト」


「――もはや驚き過ぎて、言葉も出ないよ。カイト」

「そりゃどうも、コモド」

 人身売買組織の荷車を襲い、捕らわれた子たちを奪還したカイトたちは、すぐさま檻車を曳いてダンジョンに戻っていた。

 ソフィーティアたちエルフが、彼女たちのケアをする一方で、倒した男たちの下取りをコモドに頼んで来てもらっていた。

 コモドは尻尾を揺らし、目をぱちくりさせて地下牢に閉じ込められた男たちを見る。

「わざわざ、打って出て捕らえていく、とは……いや、前例がないわけではないけど」

「まあ、考えることは同じだよ。誰でも」

「でも、こんな大規模に拉致した例は、見たことないよ……生死問わずで、二十七人か。随分と大物だ。しかも、賞金首が多い」

「ああ、ポイントはサービスしてくれよ? コモド」

「うん、それなりにね。ポイント、そろそろ厳しかったんじゃないかな」

「……さすがに、鋭いな」

 10万近くあったポイントだが、ダンジョンの層を広げて改修するのに使い込んでいたのだ。シズクたちの人員を増やし、残りは1万を切っていた。

 だが、それを感じさせないように振舞い、残高を理解しているフィアもそれに合わせてくれた。本当に、相棒には何から何まで頭が上がらない。

「――うん、そうだね。装備の下取りも含めて、67000ポイントとしよう。表にある馬や檻車はどうするかい?」

「一応、手元に残しておく。もしかしたら、また下取りお願いするかも」

「了解したよ。カイト……ちなみに、またその『組織』は襲うつもりかい?」

 コモドはそう言いながら、ゆるやかに首を傾げる。カイトは少し考え込み、首を振る。

「いや、やらない。もし、やるとしてもあと一回だ」

「賢明だね。彼らもバカじゃない。運び屋が丸々姿を消せば、不審に思うはずだ」

「そう。その動揺を突いて、内側から切り崩していく」

「……また、面白いことをやらかしそうだね?」

 くすり、とコモドは笑みをこぼした。目をくりくりとさせて、上の方を向いて続ける。

「上も見たが、村も立派に形になってきた。本当に、魔物たちの町ができてしまいそうだよ。そうなったら、私も移り住んでもいいかもね」

「ああ、歓迎する。もしよければ、他にいる野良の魔物がいれば、声を掛けてくれ」

「そうだね。コミュニティを作れそうな魔物がいれば、紹介するよ」

 コモドはそう言って、また楽しそうに尻尾を振ってくれた。


 下取りが終わり、コモドを見送ってから五階層に戻ると、そこではフィアが出迎えてくれた。いつもの優しい笑顔――だが、その目には少し困った色がある。

「おかえりなさい。カイト様」

「ああ、ただいま。何かあったか? フィア」

「それが……部屋に、勝手に上がり込んでいる子がいて……」

「それは珍しいな」

 ダンジョンの子たちは、基本的に素直で従順だ。ローラは悪戯好きだが、失礼なことは絶対にしない。となると、そうではない上に、フィアが対応に困る相手。

 消去法的に、誰かは想像がついた。

 フィアを連れて部屋に戻ると――そこには、ボロ布姿のまま、ごろんと寝転がる一人の少女がいた。ぱたぱたと足をばたつかせて、気怠そうな表情をしている。

 湯を浴びたのか、その銀髪はつややかになっている。顔つきは本当に幼く、一言で言ってしまえば、幼女――だが、その血のような深い紅眼を細め、顔つきに似つかわしくない、大人びた微笑みを見せる。

「カイト、おかえりなさい。待っていたわよ」

「へいへい……随分、図々しい小娘だな」

「小娘じゃないわ。貴方より三百年は長生きしているもの」

「とはいえ、勝手に人の部屋に上がり込んでくる礼儀知らずに払う礼儀はないが?」

「いいわよ。礼儀なんて。私は力を使い切っているし」

 幼女は憂鬱そうな顔で銀髪を払い、小さくため息をついた。そのまま、億劫そうに両手を突き出してくる。

「……ん」

「……なんだ?」

「抱っこ。血を吸わせて」

「血は吸わせてやるが、抱っこは却下。相棒が拗ねる」

 そうでなくても、少し前から殺気立っているのを感じている。カイトは傍に行き、横に腰を下ろすと、腕を差し出しながら訊ねる。

「それで? 名前くらいは名乗ってくれるよな? ヴァンパイア」

「……厳密にはヴァンパイアではないけど。はむ」

 幼女はカイトの腕にそっと優しく牙を突き立てる。痛みなくすっと肌が裂かれ、血が吸い出される感覚がある。ひとしきり血を飲んでから彼女は言葉を続ける。

「私はノスフェラトゥの一族であるのは確か。ただし、混血よ」

「ノスフェラトゥ……」

「不死者、という意味です。ヴァンパイアの純血の一族ですね」

 フィアは警戒するように幼女を睨みつけて言葉を重ねる。

「そんな貴方が、何故、捕まっていたのですか」

「力を使い切った、と言ったでしょう。よく分からないけど、この前、私が眠っているねぐらに、騎士の群れが突っ込んできたのよ。それを皆殺しにするのに大分時間がかかって」

「……騎士の、群れ?」

「ええ、三百人くらいね。そのせいで力を使い切って彷徨っていたところを、エルフと勘違いして捕らわれたのよ。実際、私はヴァンパイアとエルフのハーフだけど……迂闊で、まさに恥辱の極みだったわ」

 少し悔しそうに唇を噛みながら、カイトの血をまた呑もうとして――さすがに、カイトは腕を上げてお預けにした。

「んで、名前は? 聞かせてくれるだろう?」

「ヘカテよ……ケチね、これだけしか血を飲ませてくれないなんて」

「仕方ないだろう……ヘカテと僕はまだ契約をしていないのに」

「これだけ血を交えた仲なのに?」

「それでも」

 ダンジョンコアで召喚した魔物たちとは自動的に、カイトを主人とした契約が履行される。基本的にそうなれば、裏切ることはできない。

 ただ、ヒカリたちやヘカテたち、外部から来た人間は別だ。

 ダンジョンコアの前で新しく契約関係を結ばなくてはならない。

 ヘカテは唇をへの字にし、恨めしそうにカイトを見る。だが、すぐに仕方なさそうにため息をこぼす。

「分かったわ。契約しましょう――それなら、好きなだけ血をくれるでしょう?」

「死なない範囲でならな」

「契約すれば、貴方を殺せなくなるわよ。故意でも過失でもね」

 ヘカテはそう言いながら、ぴょんとベッドから飛び降りる。長い銀髪を揺らしながら振り返り、ああ、それと、と言葉を付け加える。

「私を配下にする以上、それなりの待遇を要求するわ」

「……まあ、できるだけは応えるけど、何?」

「ああ、そんなに難しいことはない。妥当な線だろう」

 ヘカテはええ、と幼げな顔つきに威厳ありげな表情を浮かべてそれを告げた。


「その娘の代わりに、私をこのダンジョンのボスにして」

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