第12話
ダンジョンから離れた場所にある峡谷――ランクルス峡谷。
そこを移動する、一団があった。金属製の檻に車輪がつけられた、いわゆる檻車を四頭の馬が力強く引いていく。
その日の夜は、曇っていた。
がたごとと揺れる檻車の中、その少女は膝を抱えて鉄格子の隙間から外を眺める。久々に見た外は真っ暗闇に包まれている。
(どこかに、月はないかしら……)
隙間からぼんやりと眺めるが、やがて少女はあきらめたように俯く。
その檻車は鉄格子に覆われ、頭上の鉄の屋根で密閉。どうあがこうが空は見上げられない。もちろん、逃げ出すこともできない。
ただ、檻の中でじっとすることしかできない。
他の子たちも、もうあきらめているのか騒ぐことすらしない。大人しく檻の中で揺られるがまま、何も感じさせない表情でぼんやりとしている。
希望もなければ、絶望もない――何も、期待していない顔だ。
少女も同じように俯く。長いこと、血を飲んでいないせいか、肌はかさついてしまい、喉の渇きが絶えない。弱り切ってしまい、人間相手にも勝てないだろう。
尖った耳を力なく垂れ下げ、身体を覆うボロ布を寄せ集めて、なけなしの暖を取る……すごく、惨めな気分だ。
そうしながら、ぼんやりとし続け――異変に気付くのに、少しだけ遅れた。
外が、騒がしい。檻車の勢いが、わずかに早くなった気がする。
視線を上げ、耳を少しだけそばだてる――。
「エルフだッ! 追え! 捕まえろ!」
「逃げるぞ、急げ、急げッ!」
(――エルフ? こんな、人の通る道に?)
少女はこほ、と咳をしながら鉄格子に歩み寄り、前の方が見えないか覗いてみる。わずかに見えたのは――駆け去る、金髪の女性。
どうやら、本当にエルフらしい。足の速い彼女に追いつこうと、男たちが躍起になっている。欲に目がくらんだ男たちは、必死に馬を駆り立てる。
だが、檻車は重さで速度が出ない。馬も限界だ。
結果的に、護衛と檻車の距離が徐々に開いていく――まさか、と少女は笑う。
(誰かが、助けに来た? いや、そんなはずない、ただの偶然よね……)
気配を察知するが――正直、辺りには何もいない。逃げるエルフがたった一人だけだ。時折、眠っている獣や妖精らしい、微々たる気配があるだけだ。
作為も何もない、ただ、エルフが逃げ延びているだけ。
それでも現れたエルフの正体を見極めたくて、目を細める。格子の隙間から見えるエルフに男たちが徐々に近づいている。
振り切ろうとしたのか、ぐんと足を速めていくエルフ。
だが、それでも馬の脚には適わない。そのまま、距離が縮まっていき――。
不意に、甲高い嘶きが夜闇に響き渡った。
馬が一斉に棹立ちになる。それに対応できず、男たちの半数が馬から振り落とされる。檻車も慌てて急停車――その揺れに、運ばれていた子たちが顔を上げる。
辺りにあふれる混乱。毒づく男たちの気配――何か、障害物があったのだろうか。
何が起こっているか、さっぱり分からない。その中で、低い声がはっきりと聞こえた。
「構え――撃て」
瞬間、頭上から何かが爆ぜるような轟音が響き渡った。静寂の中で耳が痛くなるほどの破裂音。反射的に、身を低くする中、至る所から悲鳴が上がった。
続いて、がんがん、と屋根を叩く、鈍い音が無数に響き渡る。落石の気配だ。
立て続けの出来事。何が何だか分からない。ただ、少女は漠然と理解する。
それはきっと――天の助けだ。
「構え――撃て」
二度目の破裂音。それと共に、ばたばたと人が倒れていく気配。
断末魔の悲鳴も、次第に一つ一つ消えていく。やがて――再び静寂が訪れた。捕らわれた少女たちはようやく我に返ったのか、不安げに辺りを見渡す。
その檻車の外から、足音が聞こえる。ゆっくりと、その足音が近づき――。
鉄格子越しに、その青年が目に入った。
「――あな、たは……」
「救世主。キミたちを、助けに来た」
彼は端的に言いながら、鍵を取り出して錠を開ける。そのまま、鉄格子を大きく開け放った。少女は目を見開き、よろよろと立ち上がる。その鉄格子から出る。
瞬間、雲の切れ間から、月光が差し込んできた。
その眩しい月明かりの中で、その青年を見つめる。
人の好さそうな笑みを浮かべた、一人の青年――彼は、安心づけるように優しい声色で告げた。
「僕は、カイト――ダンジョンマスターだ」
釣り野伏せ――それは、島津義久により考案、実践されたと言われている戦法の一つだ。伏兵を埋伏した後、囮の部隊が進軍して敵と接敵する。そのまま、敗走を装い、後退。
それに釣られた敵軍の追撃をあしらいながら、上手く敵を伏兵のいる場所に引き込み、一気呵成に襲い掛かって殲滅させる作戦である。これにより重要な会戦で、島津は勝利を収め、九州に覇を唱えることができたのだ。
この作戦の肝は、囮部隊だ。敗走を装い、上手く逃げなければならない。
伏兵に気づかれてもいけない、逃げすぎてもいけない。絶妙なさじ加減が必要になる。
それを、今回、ソフィーティアは完ぺきにこなした。
泡を食って逃げる素振りは堂に入っていたし、それを真に受けて敵はまんまと追いすがっていった。そして、仕掛けていた罠である逆茂木に馬は足止めされ――。
その頭上に、伏せていたキキーモラに一斉射撃を指示したのである。
「これが――銃の威力なんだね」
「……なるほど、銃の何がいいかと思ったが……これは、脅威だな」
そう言いながら、ローラとソフィーティアがカイトの元に戻ってくる。同時に、シズクがキキーモラたちを連れて木の上から降りてきた。
そのキキーモラに握られている銃を見て、ソフィーティアは眉を寄せる。
「弓の方が音もしない。軽い。威力も十分にあると思っていたが……」
「ああ、銃にも利点がある。そのうちの一つは、誰にでも使える、という点だ」
何せ、引き金を引けば発砲できる。物覚えが良ければ、赤ん坊でも撃てる銃だ。
これを装備すれば、あまりに小さすぎて探知できないキキーモラたちだけでも、十分な戦力を有することができる。
(戦国の農民は、三間半槍に火縄銃を装備しただけで、十分な脅威だったからな)
それこそ、徒党を組んで容赦なく落ち武者を狩るくらいの実力を持っていたのだ。
ただし、キキーモラの場合は身体が軽すぎるので、三人で一丁の銃を使わせた。反動で吹き飛ばないようにするための措置だったが――これは、意外な利点を生んだ。
「三人で協力することで、掃除、弾込めがスムーズにできるとはな」
「はっ、連射精度もまずまずです。犠牲はなし、です。殿」
シズクは恭しく報告しながら銃片手に告げる。カイトは軽く頷き、開け放った鉄格子を見やる。
「シズク、中の子たちの無事を確認してくれ。ソフィーティアは空いた馬の整理。ローラは生きている連中を縛り上げてくれ。キキーモラはその手伝い」
仕事をてきぱきと割り振ると、少女たちは頷いて各々の仕事に取り掛かる。それを見て、ふぅ、とカイトは檻車の縁に腰を下ろした。
遅れて出てくる冷汗――今回も危なかったが、上手く行った。
(こいつらが、兜をしていなかったのが、一番の勝因か……)
まさか、頭上から鉛玉が撃ち掛かってくるとは、想像していなかったのだろう。無防備な頭に撃ち落とせたのが大きかった。落石を織り交ぜ、二階の射撃だけでほとんど無力化。
それをどうにか防ぎ切った猛者も、ローラとソフィーティアで狩れた。
もし、狙いが逸れていたら。もしくは、連射の速度が遅ければ――相手に、立て直す隙を与えてしまっていただろう。
正直、際どいところだったが、キキーモラの器用さに救われた形だった。
「殿、中の子たちは無事です。まだ、にわかには信じられないようですが」
シズクが檻の中から声を掛けてくれる。カイトは頷き返し、腰を上げた。
「このまま、みんなを村まで運ぼう。そこで手当てをする。すぐに、ここを引き払う――」
「兄さま、危ないッ!」
カイトの声を遮る、劈く叫び。彼は振り返って目を見開く。伏せた一人の男が弓矢を構えてこちらを狙っていた。それに対し、こちらは無防備。
(まずい、殺られる……っ!)
瞬間、男が放った矢が真っ直ぐにカイトの胸に向かって飛び――。
その前に、ふっと人影が飛び込んできた。
どすっ、と重たく湿った音。飛び散った生暖かい血が頬に飛び散った。
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