第10話
血が、匂っていた。
気分が悪くなりそうなほど、濃厚な鉄の匂い。耳には断末魔や悲鳴の叫びがこびりついている。聞いているこちらが、気の狂いそうになるほどの絶叫だった。
しばらく黙って目を閉じていると、後ろから気配が近づく。
「殿、コモド殿がお見えになりました」
「ああ、通してくれ」
シズクに声を返して目を開く。ゆっくりと振り返ると、のしのしと四つ足を突くようにして歩み寄ってくるオオトカゲの姿があった。
目をぱちくりさせ、驚いたようにカイトを見つめる。
「……キミには、本当に驚かされるな」
「予想外だったか?」
「ああ、まさか捕らえた者を、わざわざ痛めつけるなんて」
血の匂いで、大体、察したらしい。カイトはただ頷き、奥を顎で示す。その牢の床は血に濡れていて――その真ん中に、転がっている五つの身体がある。
息はしているが、凄惨なありさまとなっている。目を、向けられないほどに。
「何か聞き出したい事情があったんだね? カイト」
コモドはさすがに察してくれたようだ。その捕虜を見ながら訊ねる。
カイトはもう一度頷き、淡々とした声で続ける。
「こいつらは、人さらいに来た。雇い主がいると思って聞き出した」
「結果は?」
「大分、大きな人さらいの組織に繋がっていた」
人間たちの国家は、純人類主義者で牛耳られていることは、アリスティアを通じてグレイから聞いていた。その彼らは、エルフたちを奴隷として売買していた。
その人身売買組織の、末端組織員ということが判明した。
「ここからすぐ北にある町、グランノールにいる組織員が魔物たちを拉致し、中央の奴隷市場に出荷しているらしい。それを聞き出せるだけ聞き出した」
「なるほど、そんな組織が……いろいろと、分かったのかい」
「ああ、十分に。だから、そいつらはもういい」
「……分かった。じゃあ、引き取らせてもらおう」
コモドは何も言わずにその五人の捕虜を見やって頷いた。カイトが地下牢から立ち去ろうとすると、コモドの声が背中に掛かる。
「キミは、次は何をしようというのかな?」
「――言うなら、人助け、かな」
カイトは力なく笑ってそう言うと、コモドは目を細めて軽く尻尾を振るだけだった。
「――ふぅ」
地下牢から出て、深呼吸をする――それでも、血の匂いは消えない気がした。
傍に控えるシズクを振り返り、労うように告げる。
「お疲れ――すまん、ほとんどシズクに手を汚させた」
「いえ、問題ありません。ですが、殿の方が……」
そっと気遣うような視線に、カイトは少しだけ苦笑いを浮かべた。
「ああ、少し気疲れが。でも、気にするな。今後のためにも、情報を搾り取ることは必要だったんだ。平和なうちに、しておかないと」
壁に寄りかかりながら、それに、とカイトは言葉を続ける。
「収穫があったな。組織の情報を、掴むことができた」
「人身売買組織、ですか」
「ああ、前々から小耳には挟んでいたんだ」
エステルは、奴隷として売られ、冒険者の一味となっていた。
また、ソフィーティアたちも冒険者たちに追われ、そこをヒカリが保護した。
だからこそ、そういう組織がいてもおかしくないとは思っていた。
その情報を、掴めた。根城も、流通路も。
「なら、攻められる前に叩く。それが、次の計画だ。アマトの初の任務になる」
「――ダンジョン外に出て、攻勢に打って出るのですね。殿」
シズクが爛、と目を輝かせた。ああ、とカイトは軽く頷く。
「物資も、人員も今はあるからな。明日、会議を開く。奇襲会議だ」
「了解しました。ヒカリさんに伝えておきます」
「ああ、頼んだ。今日は、以上だ。もう休んでくれ」
「はっ」
シズクはその場で頭を下げ、静かに去っていく。その後ろ姿を見つめてから、カイトも自分の部屋へと足を向ける。
(――早く、フィアとローラに会いたいな)
どうにも気分が晴れない。二人に会って、気晴らしがしたい。
そう思いながら部屋に入ると、そこにはすでにフィアが戻っていた。彼女はカイトを見るなりにこりと笑みを浮かべて頭を下げる。
「おかえりなさいませ。カイト様」
「ん、どっちが勝った?」
「残念ですが、負けてしまいましたので、ローラの番です」
フィアは少し残念そうに言いながら、ふと、カイトの姿を見やって首を傾げる。
「――少し、元気がないですか?」
「ああ、ちょっとだけ。気にするな」
「……そう、ですか。分かりました」
じっと彼女はカイトの目を見つめていたが、淡く微笑みを浮かべて頷くと、棚からタオルを取り出して手渡してくる。
「そういうときは、お風呂が一番です。お入りになって下さい」
珍しく強引に、フィアはカイトの背を押す。それに眉を寄せると、フィアは耳元で小さくささやいた。
「――血が匂います。ローラに気づかれないうちに」
「……ああ、ありがとう。フィア」
どうやら、気配りをさせてしまったらしい。カイトはフィアに礼を告げると、彼女は微笑んだまま首を振って言う。
「いえ、すぐにローラをお風呂場に向かわせますので。しっかり、可愛がってあげてください」
「ん、了解。ありがと」
やはり、相棒は頼りになる。気づいてくれて――それでいて、何も言わない。フィアの無言の気配りに感謝しながら言うと、彼女はくすりと笑って告げる。
「いいえ――でも、落ち着いたら話して下さいね」
「ああ、もちろんだ。相棒」
カイトはタオルを持って風呂場に行く。その背をフィアは目を細めて見守っていた。
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