第9話
迷宮を攻略する手段として有効なものの一つは『右手法』と呼ばれるものだ。
右手にある壁に添って、ずっと進んでいく。そうすれば、どんなに遠回りであろうと、必ず出口に到達できる――という万能な攻略方法だ。
大体の迷路は、これで攻略をすることができる。
その考えに則った冷静な侵入者がいた。魔物を警戒しながら、迅速に移動していく。やがて、運が良かったのか、上に向かう階段を見つけた。
ほっと一息つき、彼はその階段を上ろうとして――がたん、と足場が崩れた。
悲鳴を上げるも、その声と共に奈落へと落ちていく。
それをエステルは見届け、小さくため息をこぼした。
(そんな単純な攻略法、対策を練っていないわけ、ないじゃないですか)
右手法は、大体の迷路を攻略できる――だが、その例外はある。
迷路の出入り口が、迷路の外周に位置している場合のみ、これで攻略できる。つまり、内側に出口がある場合は、その限りではないのだ。
もちろん、二階層の迷宮もそのような仕様だ。外周に位置しているのは、全てダミーであり、入り込めば落とし穴。全て、地下牢に叩き込まれる。
(その間抜けが、一人で――あと、四人)
その位置を確かめ、エステルは素早く動いた。キキーモラやトロールたちも彼女の指揮下で一糸乱れぬ動きで侵入者たちの行く手に回り込む。
一人の男は、用心深く後ろも警戒しながら進んでいく――その位置を確かめると、エステルはトロールの一人に後ろに回り込むように指示を出した。
気づかれないように、距離を取る。その中で、男はゆっくりと迷宮を進んで、角を曲がり――不意に、目を見開いた。
目の前に、誰か立っている。それに驚きながら、短刀を引き抜いた。
目の前の影も、短刀を引き抜いている。男がそれに飛び掛かろうと、一歩距離を詰め――その頭にがつんと棍棒が振り下ろされた。
前に気を取られた隙に、後ろからトロールが接近していたのだ。
エステルはそこに駆けつけると、一つ吐息をこぼす。
(――案外、こんな子供だましでも引っ掛かるのですね)
ちら、と男の見ていたものを見る。それは、単純な鏡だ。
薄暗い中、鏡に映った自分の姿を、敵だと勘違いしたのだろう。エステルはトロールに後始末を頼んでいると――不意に、どこからか絶叫が響き渡った。
男の絶叫。そちらの方へエステルは駆けていく。
そこに駆けつけると、そこでは男が足を押さえて身悶えしていた。その首筋に踵落としを加えて、その絶叫を止めながらエステルは微笑んで囁いた。
「お疲れ様です。キキたち。よく仕留めましたね」
その声に反応するように壁の一部――丁度、足元のところが動く。その隙間から、キキーモラが這い出してきて、にっこりと笑みを返した。
壁に見せかけた、隠しスペース。そこに隠れたキキーモラたちが足にめがけて槍を突き出したのだ。侵入者は、その小さな刺客たちに気づかず、罠に引っ掛かったようだ。
彼らを労い、軽くキキーモラたちの頭を撫でるエステル。その間に、また一つ、気配が消えるのを感じ取る。エステルは、そちらに急行する。
気配が消えたところには、一人の男が突っ伏していた。
その傍の壁を見やり、声を掛ける。
「ゴーレムも、お疲れ様です」
その壁からぬっと腕が突き出た。気にするな、とばかりに振られる腕。
それはゴーレムの腕だ。よく見ると、横の壁とは色合いが違う。彼はそれに気づかず接近し、ゴーレムに殴り倒されたらしい。
(これで四人――みんなが優秀で、私の出番がないです)
エステルは物憂げにため息をつき、小走りに最後の男の方へ移動する。最後の侵入者は、壁を背につけ、じりじりと移動していた。
臆病なのか、慎重なのか――ここまで警戒されると、罠にも引っ掛かりにくい。
(ただ……阿呆、なのでしょうか)
思わず呆れることに、その男はずっと同じところをぐるぐると回っているのだ。エステルはため息をこぼすと、キキーモラたちを呼んで指示を出す。
その指示を受けて、キキーモラたちは我先にと散っていく――やがて、迷宮の中で、ひそひそとした声や、笑い声が響いていく。
キキーモラたちが立てる物音だ。だが、それはさぞかし、不気味に聞こえることだろう。それを聞いて、侵入者は半泣きになり始めた。
(まあ、しばらくこれで精神的に追い詰めて、トロールに捕まえてもらいますか)
エステルは満足げに一つ頷き、その光景をじっと眺める。
かくして、迷宮の中では五人の男を犠牲なくして生け捕りすることに成功した。
「――ここまで罠に引っ掛かってくれると、作った甲斐があるものだな」
「結局、私たちの出番はなかったですけどね」
「本当。エステルが優秀過ぎて困るなあ」
カイトの私室。大きなベッドの上を、不満そうにごろごろと転がりまわる姉妹。それを見やりながら、カイトは苦笑いを浮かべてウィンドウ越しにエステルに告げる。
「お疲れ様。他に侵入者はないから、今は休んでくれ」
『了解、しました――捕まえたものは、地下牢に落としてあります』
「了解。ありがとうな」
交信を切り、手早くヒカリとソフィーティアにも報告を入れる。それで一息つくと――ふと、後ろから軽く何かがぶつかってきた。
ふにゅん、と柔らかい感触が背中に二つ――カイトは苦笑いを浮かべた。
「ローラ、体力が有り余っているのは分かっているけど」
「じゃあ、兄さまが相手してくれる?」
後ろから抱きつき、首に腕を回してくるローラは悪戯っぽく耳元で囁いてくる。その誘惑の声に、フィアがあっと声を上げる。
「ずるいですよ、ローラ! 私も……!」
「あはっ、早い者順だよ。姉さま」
「うう、可愛くない妹ですね……!」
「こらこら、二人とも喧嘩しない」
背に手を回し、ローラの頭を撫でながら、すり寄ってくるフィアを軽く手で制する。
「ええ、また私はお預けですか。カイト様」
「いや、そうじゃなくて。まだ、やることがあるから」
「やること?」
ローラは首を傾げながらも身を離してくれる。カイトは立ち上がり、軽く頷く。
「ん、ちょっと捕虜たちに尋問。聞きたいことがあるし」
「……私も、行きましょうか?」
「いや、一人で十分。その間に、そうだな」
振り返り、ベッドに女の子座りしている二人を見比べて、にやりと笑いかける。
「二人で勝負していてくれ。んで、勝った方が、今日の相手になってもらうかな」
「あ――なるほど、それは名案ですねっ!」
「よし、姉さま、負けないよっ!」
「ん、戻ってくる前にケリをつけてな」
軽くカイトはそう言い残して、自分の部屋を後にする。そのまま、地下牢の方を目指して歩きながら――そっと、声を発する。
「シズク、いるんだろう?」
「はっ、御身の傍に」
そっと影から現れるように、その美少女は姿を現した。小麦色の肌をした彼女は、今は黒に染め上げた着物に身を包んでいる。忍びのコスチュームだ。
エステルから学んだのか、足音の立たない歩き方を身につけている。日に日に、シズクは隠密らしく、技術を身につけていた。
「聞いていたな。これから、捕虜の尋問に行く」
「御意――何か、気になる点でもございますか」
「ん、少しだけな。あの連中は、明らかにエルフを攫いに来ていた。つまり、エルフがここにいると分かっていて来ているわけだ」
「……なるほど。確かに。つまり、どこからその情報を聞いたか、口を割らせる、と」
「それと、裏に雇い主がいるのなら、把握しておきたい」
「御意。仰せのままに」
シズクは小気味いい声と共に頭を下げて応じる。カイトは頷きながら足を急がせた。
雇い主がいるかどうかは分からない。だが、もしいた場合――。
あの人さらいどもをエサに、大きな魚が釣れることになる。その好機を逃せない。
だから、フィアやローラではなく――シズクを連れてきた。
(あまり――特に、ローラにはこれを、見せたくはないからな)
そう思いながら、軽く手首を鳴らし、ため息交じりに言う。
「気は乗らないが……手荒な、質問の時間を始めよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます