第7話

 人間の街に魔物たちを諜報員として送り込む計画――トロイ計画は、順調に進んでいた。

 アリスティアは、グレイと共に北にある町であるグランノールに潜り込んだ。魔物ではない伝書鳩を使うことで、無事に到着したことを知らせてくれた。

 その頃、もう一人の諜報員、リリスは立ち寄った二人の女性冒険者と共に旅立った。グレイと同じ街へと発ち、その数日後にはまた伝書鳩で無事を知らせてくれた。

 二人の少女は懸命に情報を拡散しているらしい。今のところ、音信が途絶えることもなく、怪しまれることもないようだ。

 それらの情報をヒカリが精査する一方、カイトは一人の少女を呼び出していた。


「すまない、作業中に呼び出してしまったかな。シズク」

「いえ、主の命とあらば」

 四階層――ダンジョンにおける、ボスが待ち受けるはずの部屋。

 そこは現在、広々とした空間になっていた。キキーモラたちが少しずつ、地面をレンガで舗装していってくれているが、まだ三分の一も埋まっていない。

 未だ、手付かずの広い空間で、一人の少女が目の前で跪いていた。

 シズク――フェイの一人であり、本来ならアリスティアたちと同様に街へ送り込まれるはずだった。

「顔を上げて構わない。少し、話をしよう」

「はっ」

 かしこまった口調と共に、シズクは顔を上げる――その澄んだ目つきが真っ直ぐにカイトに向けられる。

 健康的な小麦色な肌。その目は蒼く澄み渡っている。他のフェイと同様に、はっとするほど顔が整っている美少女だが、黒髪であることもあって、どこか真面目な印象を受ける。

 カイトは地面に腰を下ろすと、シズクはさっと正座をして向き合う。

「……崩してくれても構わないぞ?」

「いえ、主のご面前であれば」

 きっぱりと告げるシズク。その目は真っ直ぐに向けられ、どこか熱を感じる。

 敵意ではない。フィアやローラの親愛とも違うのだが……。

(どちらかというと、憧れ? いやまさか……)

 カイトは一旦思考を打ち切り、一つ咳払いする。

「補佐のヒカリから連絡を受けている。街への潜入が、あまり乗り気ではないと聞いたが」

「ご命令とあらば、遂行する所存ですが――」

「正直な気持ちを聞きたい。街に行きたいか、行きたくないか」

 シズクの答えを手で遮りながら、カイトははっきりとした口調でシズクの目を見つめ返す。一瞬、怯んだようにシズクは瞬きをする。わずかな沈黙の後に、彼女は答える。

「――行きたくない、と、考えます」

「それは、人間が好きではないから」

「はっ……いえ、人間が決して嫌いというわけではないのです。ただ」

 シズクはわずかに口ごもり、言うべきかどうか、悩むように視線を彷徨わせる。カイトは座したまま、彼女を見つめて言葉を待つ。

 やがて、彼女は重苦しい吐息と共に、視線を上げた。

「主は、私たちが召喚されるまで、どこにいるかご存じですか」

「――いや、そういえば聞いたことがないな」

「はっきり申し上げますと、この世界とは違う、異世界です」

「……ふむ?」

 何気に大事なことを聞いている気がする。カイトは頷いて先を促す。

「我々は創造神により作られ、召喚を受けるまではその領域で暮らします。なので、我々の間に混血、という概念は存在しません。純種の魔物ばかりです」

「……ふむ、ふむ」

「召喚を受けても、仮に満足が行かなければ、契約を結ぶ前ならば返還することができます――このあたりは、主もご存じのはずですが」

「ああ、最初のランダム召喚とかだな」

 三分の一のコストで召喚できる代わりに、ランダムになってしまう、あれだ。シズクは頷いてそれを認めて言葉を続ける。

「私も、何度か召喚を受けたことがあります。ただ、私はこの通りの肌をしているので、あまり魅力的に映らないようです。何度も送り返されました――いえ、それ自体は構わないのです。主が気に入らないのなら、それは仕方のないこと」

 そういうシズクはきっぱりと割り切っているような表情だ。だが、何かを思い出したように、ふと嫌そうな顔をして続ける。

「ただ――そのときに、見られる視線が、嫌だったのです」

「……視線。ああ……なるほど」

 ふと、フィアの言っていたことを思い出す。

 フェイという種族は、完全な人間に擬態する。それも若さと美貌を兼ね揃えた姿に、だ。だが、それ以外に取り柄はない。

 つまり、それをわざわざ召喚するということは、どういうことか。

 愛玩用に呼び出す、ということなのだ。どんな視線で見られて来たかは――想像も、したくない。カイトは手を挙げて制し、頷いた。

「了解。全部、納得した。そういう理由なら、仕方ないな」

「……我がままで、非常に申し訳ないです」

「いいや――そういうことなら、僕の召喚に応じなくてもよかったのに」

 カイトは苦笑いを浮かべて訊ねる。

 最初、召喚したときにカイトは軽く面談をして採用するかどうかを決める。そのときに、彼女たちの意見も聞くのだ。

 その待遇をできるだけ、反映できるようにしている。

 ゴーレムの場合は、日の当たらないところを住処として提供しており、キキーモラの場合は、毎日、卵や果実などを与えるようにしているのだ。

(だから、男に召喚されるのが嫌なら、断ってくれても――)

 その言葉に、シズクは淡い笑みを浮かべて首を振った。

「いえ――主、カイト様に選んでいただけて、嬉しゅうございます」

「え、そうなの?」

「はい、主は私の容姿を見ることなく、言葉を交わして選んで下さりました。そして、今もまた、言葉を交わして理解を深めようとして下さっている」

 シズクは胸の手を当て、熱が込めた瞳でカイトをじっと見つめる。真っ直ぐすぎるほどの視線で、彼女は頬を染めて微笑んだ。

「その臣下になれたことを光栄に思います。殿」

「殿、か。面映ゆいな、それは……」

「――お気に召しませんか?」

「いや、悪くない」

 カイトは口角を吊り上げると、シズクもまた嬉しそうに笑みをこぼした。

「じゃあ、シズクはダンジョンで働けるのが一番かな」

「願わくば、殿の傍でお働きとうございます」

 身を乗り出し、熱意を込めた言葉に、カイトは心に決めて口を開いた。

「なら、その気持ちに応えよう。僕の傍で、片腕として働いてもらいたい」

「――え、ほ、本当でございますか!」

 食いつくようにシズクが目を輝かせる。カイトは頷いて言葉を続けた。

「アリスティア、リリスを諜報員として町に送り込む計画――これを、トロイ計画というのだが、これを初動とした諜報戦略を考えている」

「諜報戦略――」

「ああ、その組織の統括をシズクに担当してもらいたい。密偵たちが集めてきた情報を集めて報告する役割だ。危険な場所への潜入、場合によっては戦闘もあり得る。だが、僕の耳となり、目となる、大事な役目だ」

「やります」

 即答だった。シズクは感極まったように瞳を潤ませ、ぐっと身を乗り出して言う。

「まさに、私が求めていた仕事でございます。是非、私めに」

「危険は、承知か」

「もちろん、百も承知です」

「訓練ももちろん行う。厳しいぞ」

「這ってでも、食らいつきます」

「――いい答えだ」

 カイトは口角を吊り上げながら腰を上げ、シズクに視線を向ける。

「シズク、キミに諜報組織の組頭としての任を与える。組織の名は――」

 わずかに考え込み、手を差し伸べながらはっきりと告げる。

「アマト、と呼ぶことにする」

「任、謹んで承ります。殿」

 その手をそっと取り、シズクは確固たる視線で頷いてくれる。ぶれない真っ直ぐな視線を見つめ、カイトは手を引っ張り上げる。

 立ち上がったシズクの目を見つめ返し、さて、と声を掛ける。

「さぁ、最初の任務だ――シズク」

「はっ、何なりと」

「僕を、打ち負かしてみせろ」

「……は?」

 カイトは背を向けて歩き、距離を取る。十歩ほどの距離を取ると、羽織っていた上着を脱ぎ、適当に放り投げる。そうして振り返って構えを取った。

 いつもの、徒手格闘の構え。それに、シズクはわずかに困惑を見せる。

「その、つまり――殿と戦え、と」

「僕相手に、一本取れなければ、諜報員は務まらないぞ」

「で、ですが……」

「命令だ。シズク。手加減は、いらない」

 カイトがはっきりと命じると、シズクの目が据わる。彼女は息を吸い込むと、腰を低く構えた。その構えに、気迫が漲る。

「では――胸をお借りいたします。殿ッ!」

 鋭い覇気と共に、シズクが地を蹴る。その突進を向かい撃つように、カイトも地を蹴る。そして、二人の影が交錯した。

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