第5話

「ふふっ、外の世界にはいろんな人がいるんですね」

「ああ、みんな親切は限らないけど、いい人たちばかりだ」

 グレイがエルフの村に逗留して二週間が経とうとしていた。その腹は徐々に癒え、出歩くこともできるようになっていた。

 アリスティアは献身的にグレイをサポートし、コミュニケーションを楽しみながら、リハビリ代わりの散歩にも手伝ってくれた。その先々で、村のいろいろなものを見せてくれた。

「この村もすごいな。あの、登り窯か。すごいものがあるんだな。エルフの人たちの技術と手先の器用さには驚いたよ。アリス」

「たたら場もすごかったでしょう? グレイ」

「ああ、剣もすっかり研ぎ直してくれて――シエラさんには、感謝しないと」

 ベッド脇に立てかけられている剣を見やる。それは新品同様に磨かれていた。腕のいい鍛冶職人でないと、こうはならない。

 それを見つめ、グレイは自分の腹に触れた。アリスティアはそれを見てわずかに寂しそうに瞳を揺らす。

「――もう、治りましたものね」

「ん……そろそろ発とうと思う。アリス」

 愛称で呼べるほど親しくなった少女、アリスティア。彼女もまた、グレイを呼び捨てるほど親しみを見せてくれた。彼女と別れることに、少しの寂しさを覚える。それでも、グレイは固く決意していた。

(友も心配しているはずだ。すぐに、戻らないと……)

 その目つきを見て、アリスティアはこくんと頷いて、気丈に微笑んでくれる。

「分かりました。寂しいですが……いつ、発たれますか」

「……明後日、かな」

 明日にでも発てる。だが、彼女の寂しそうな笑顔を見ると、少しだけ決意が揺らいでしまった。中途半端な日程をごまかすように、グレイは続ける。

「ソフィーティアさんやシエラさんにも、お礼を言いたいし。それに、アリスとももう少し話をしていたいから」

 その言葉にアリスは目を見開き――頬を染めて、はい、と小さく笑う。

 その嬉しそうな笑顔に、グレイは胸が高鳴った。


 翌日、グレイの送別会ということで、村全体でエルフたちが宴を催した。

 傷が癒えてから、グレイは積極的にエルフの仕事を手伝っていた。それもあって、彼らは思惑を抜きにして、グレイが去ることを惜しんだ。

 シエラも少しだけ顔を出し、彼を一瞥して砥石を手渡してくれた。

 何も口にしなかったが、餞別としてくれたようだった。

 アリスティアとも時間を惜しんで、夜まで言葉を交わし合った。


 そして、その翌日――。


「さて、行くとしようか。グレイ殿」

 朝早くに朝食を終え、荷物をまとめて外に出ると、そこではソフィーティアが待っていた。弓を片手に、髪を一本に束ねた旅装スタイル。

 屈託のない笑顔に、グレイは少しだけ面食らう。

「えっと……?」

「森の外まで、送るつもりだ。また、魔物に追い回されたくはないだろう?」

「そこまで、お世話になるには……」

「気にするな。アリスティアの面倒を見てくれたからな」

 村を束ねるエルフは切れ長の目をさらに細めて囁く。その表情に誘われるように、グレイは気になっていたことを口にした。

「あの、アリスなんですけど……あの子って、もしかして」

「ああ、人間だよ。森に捨てられた子供を、私たちが育て上げた」

「そ、れで……」

 アリスティアは外の世界について無知だった。話せば話すほど、目をきらきらさせて食い入るように見つめてきたものだ。その笑顔を思い出しながら、グレイは頷く。

「お役に立てたのなら、嬉しいです」

「私も一緒にいて楽しかったよ。見送りは、ささやかな礼代わりだ」

「それだけでも心強いです。足は速いつもりですが、道は分からなくて」

「また迷って、腹を斬られたらたまらんだろうからな」

 ソフィーティアはくすくすと笑いながら、弓で肩を叩いて目を細める。

「それと――あと二つだけ、グレイに頼みたいことがあるんだ。街に戻ってからのことで」

「何かあるのですか?」

「ああ、この村のことを、少しずつ広めて欲しい。できれば、純人類主義ではない人たちに」

 その言葉に、少しだけグレイは拍子抜けした。

「――正直、この村のことは口にしない方がいいと思っていました。平穏な暮らしを、邪魔してはいけないかな、と」

「ふふ、それも悪くはない。だが、私には夢がある――みんなが人目を気にせず、堂々と生きられる村を作りたいと。そのために、徐々に交易をしていって、規模を広げたいんだ」

 ソフィーティアは屈託のない口調で、夢見るような眼差しを向けてくる。

 その情熱に触れ、少しだけグレイも考えてみる。

(魔物が肩身を狭めず、人間と共存できるような村――)

 そうすれば、ミリアムのような子たちも、街の中で堂々と生きられるようになるのではないだろうか。彼女たちは、魔物の血が混じっているせいで、時折、冷たい目で見られるのだ。

 そう考えると――悪くはない。首を軽く縦に振った。

「分かりました。では、信頼できる人間に少しずつ広めてみます」

「キミの名前を聞いたら、この村人たちは歓迎するぞ」

「はは……なんだか、面映ゆいですね……それで、もう一つは?」

「ああ――街で、彼女の面倒を見て欲しい」

 その声と共に、ふわり、と春風が訪れた。隣に視線を移して、目を見開く。

 さらりと流れる、ウェーブの掛かった金髪は見覚えのあるものだった。そこに立っていた、琥珀色の瞳の少女は、照れくさそうに笑みを浮かべる。

「よろしく、お願いします。グレイ」

「え――アリス、どうして?」

「社会勉強だ。グレイは信頼できると分かったし、それにアリスもグレイのことが満更ではなく――」

「そ、ソフィさん!」

「はは、すまん――そういうことだ。頼まれてくれるか?」

 ソフィーティアの冗談めかした口調で、だけど、真剣な眼差しで見つめてくる。それに見つめられ、グレイはごくりと唾を呑み込み、頷く。

「わ、かりました――僕の、命を代えてでも」

「ああ、頼もしいよ。グレイ。それじゃあ、二人とも行こうか。門出だ」

 ソフィーティアは笑みを浮かべて歩き出す。グレイとアリスティアは視線を交わし合うと、笑みを交換した。

「これからよろしく。アリス」

「はい、お願いします。グレイ」

 三人は連れたって、森の外へと歩き出していく。その彼らを祝福するように、晴れ渡った空から日差しが降り注いでいた。


「――行きましたね」

 その地下――第五層では、カイトたちがそれを見届けていた。ベッドの上で、カイトはフィアと一緒のウィンドウを眺めて頷く。

「ソフィーティアは役者だな。嘘と真実を織り交ぜて上手く、グレイを信頼させた」

「アリスティアが人間なんて真っ赤な嘘ですからね。よく、森の中の捨て子なんて嘘、思いつきましたね……」

「だが、リアルだな。信頼してもおかしくはない」

 カイトがウィンドウを閉じて背伸びをする。その傍で、フィアは水差しを手に取りながら、ゆるやかに首を傾げる。

「アリスティアは、上手くやってくれるでしょうか」

「グレイも、アリスティアも上手くやってくれるさ」

「随分、確信がおありなのですね」

「一応な。三日前に、ローラを連れてアリスティアと少し話したんだ」

「へぇ、最終確認でもしたんですか?」

 フィアが差し出した木のコップを受け取って、カイトは軽く頷く。

「それと、本人の意向を確かめにな。もし、人間の街に行くなら、危険も伴う。それについて不安がないか、とか」

「相変わらず、カイト様は過保護ですね」

「ま、それくらいが丁度いいだろう――で、まあ、軽く雑談も挟んだが」

 ふと、そのときのアリスティアの表情を思い出す。

 グレイのことを訊ねたときの彼女の顔は、とても生き生きしてすごく楽しそうだった。初めて会ったとき、少し大人しめの子だったので心配していたが――。

 優しい青年と、大人しめの少女――その組み合わせを思い浮かべ、口角を緩める。

「意外と、二人の相性もいいみたいだ。きっと、楽しく街でやっていけるさ」

「なるほど、ではトロイ計画の第一段階は、大丈夫みたいですね」

 フィアは楽しそうに笑い、そして、遠慮がちにそっとカイトの腕を引く。視線を向けると、彼女は上目遣いで何かを期待するように囁く。

「それで――今日はこの後、お暇でしたよね?」

「ああ、そうだけど」

 全く、とカイトは少し苦笑いを浮かべて、そっとその髪を撫でる。

「相変わらずだな、フィアは。いいけど、少し手合わせしてからにしよう。お互い、実力を高めてから、楽しむことを楽しむとしよう」

「ふふ、楽しみは後にとっておくわけですね。かしこまりました。着替えてきます」

 フィアは嬉しそうに笑って立ち上がり、軽い足取りで立ち去っていく。それを見送ってから、カイトは視線を頭上に向ける。

(二人の、無事を祈っているぞ。グレイ、アリスティア……)

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