第3話

『侵入者を検知しました』


 その日の警報に応じ、主要な面々は五階層にある部屋に集まった。

 そこは新しく作った会議室。メンバーの増加に伴い、私室で行うのもどうかと思って、新しく作ったところだ。

 赤レンガで覆われ、中央にエルフたちが作った木の円卓が据えられている。

 それを囲むように、全員が席に着き、カイトの広げるウィンドウを注視した。

 そこに映るのは、大軍――というわけではない。

 むしろ、たった一人の冒険者だった。手負いなのか、よろよろと歩いている。

「――さて、念願の冒険者だが……少し、様子がおかしいな」

「はい、怪我をしています……仲間も、いないようですね」

 フィアもウィンドウを操作して確認を入れて頷く。ヒカリは少し困ったように眉を寄せた。

「どうしましょう。トロイ計画を実行しますか……?」

「……どうするかな」

 この一人の侵入者のために全員が集まったのは、その計画のためだ。

 冒険者の陣営に、密偵を送り込む計画。カイトとヒカリで『トロイ計画』と名付けていた。言うまでもなく、名前の由来はトロイの木馬だ。その人員であるフェイたちはヒカリによってすでに教育を終えている。

 彼女たちを、本来なら適当な冒険者に連れさせて街に送り込むはずだったのだが……。

「――なんだか、頼りなさそうだな……」

「今にも死にそうだしね」

「何なら、我々のポイントの足しにした方が建設的でしょうか」

 ローラとフィアの評価も辛辣だ。だが、席に着いたシエラとソフィーティアも真顔でうんうんと頷いている。エステルとヒカリは沈黙だ。

 エステルの方に視線を向けて、カイトは訊ねる。

「エステル、どう思う?」

「そう、ですね……」

 ウィンドウを眺め、彼女はぽつりとつぶやく。

「――悪い人ではなさそうですね。彼女を預けても心配なさそうです」

「確かに。そういう意味では人畜無害そうだが」

 よく言えば紳士的だ。そういう意味では、信頼がおけるのかもしれない。ヒカリに視線を向けると、彼女も小さく頷いて同意する。

「あまりこういうことも言うとどうかと思うけど、あの子たちもいい子だから、できればいい人に連れて行ってもらいたいです。そうなると、この人がいいかな、って」

「……そうか。なら、ひとまず、彼を助けるか。その上で――ソフィーティアの目で判断してもらう。直接接するのは、ソフィーティアだから」

「うん、それがいいと思います。それじゃ、ソフィ、助けてきてあげる?」

 その言葉にソフィーティアは頷き、腰を上げながら訊ねる。

「了解した。折角だから、フェイの誰かを連れていこうか」

「そうね。じゃあ、アリスティアを連れて行って」

「了解。しばらく待っていてくれ」

 ソフィーティアは身を翻す。ワープゲートを使ってすぐに移動してくれるはずだ。画面の中では、冒険者の若者は木に寄りかかって脱力している。

 失血が激しいのかもしれない。間に合うかは、彼の天運だろう。

「――彼がもし眼鏡に叶うようなら、アリスティアをつけるのか?」

「うん、その予定です。次にリリス、その次にシズク。それでいいですか? カイトさん」

「教育を担当したのは、ヒカリさんだ。そこは全て一任する。危険な任務を、しっかりこなしてくれればいいのだけど」

「一応、エステルさんに頼んで護身術も覚えさせています。二週間の付け焼刃ですけど」

 報告は受けていた。エステルは片手間に三人のフェイに格闘技を教えていたらしい。エステルに目で軽く笑いかけると、彼女は黙って頭を垂れる。その尻尾が軽く揺れていた。

 カイトはウィンドウに視線を戻す。そこでは、ソフィーティアとアリスティアが若者に駆け寄り、介抱を始めていた。

「ひとまず、彼次第だろう――ソフィーティアの判断次第では、手厳しい処置を下す。それは、全員、覚悟しておいてくれ」

 カイトはそう告げると、全員ははっきりと頷いてくれた。


 木にもたれかかったグレイ・ダイバーンは肩で息をつきながら、空を見上げた。

 憎たらしいほどの晴天。木漏れ日に目を細めながら、自分の腹に手を当てる――そこからは、とめどなく血があふれ出ていた。

 どくん、どくんと傷が心臓になったように熱く脈打ち、抑えた布の間からも血がしたたり落ちる。もう、身体に力が入らなかった。

(しくじったなあ……迂闊、だったか)

 グレイは人一倍、足が速かった。冒険者の間でもそこそこに健脚だと自負している。その逃げ足で、今までも魔物を振り切っていた。

 今回もそうだった。仲間たちを逃がすために囮になり、駆け回り続けた。頃合いを見て逃げようとした瞬間、倒木に足を取られたのだ。

 魔物はそれを逃さなかった。振り抜いた爪が腹を引き裂く。グレイはそれでもなんとかその場から逃げ出し――それでも、もう無理だった。

 力尽きて、ここで屍を晒そうとしている。

(いけない、もう、視界も……)

 ぼんやりとぼやけてきた視界。その中で見えてくるのは幻覚か、二人の笑顔だ。冒険者として一緒に戦ってくれた、仲間たちの笑顔。

「ミリアムは、逃げ切れたかな。ロイド、ちゃんとミリアムを幸せに……」

 小さく口にしながら、ふっと苦笑いを浮かべる。

 二人が、生き延びることができたのなら、本望――。

 そう思いながら、徐々に暗くなっていく視界。二人の笑顔も徐々に遠のき。

 だけど、人影が薄れない。まばたきをして、目を凝らす。

「そこ、に、誰か……」

「はい、もう大丈夫――ソフィさん、止血を」

「分かっている。脱水も出ているな。青年、気を確かに持て。アリスティア、彼の手をしっかり握っていろ」

 凛とした声が耳朶を打ち、誰かが自分の腹のあたりで屈み込む。瞬間、鈍い痛みが腹に走った。視界が暗くなる――それを引き留めたのは、小さな手だった。

 小さな、それでもしっかりした手が、グレイの手を掴んでいる。

「しっかり――もう、大丈夫ですから」

 安心づけるような優しい声と共に、手がしっかり握られる。その感覚に縋るように、グレイは滑り落ちそうになる意識を振り絞った。


 鈍い痛みで、ふと意識が蘇っていく。

 グレイは思わずうめき声を上げながら、目をしばたかせた。暗かった視界がだんだんとはっきりしてくる。

 周りを見渡すと、そこは部屋の中だった。見慣れない天井に壁。木造のあたたかな雰囲気が醸し出されている。寝かされていたベッドも、質素ながらに質のいいものだ。

 ゆっくりと身体を起こすと、腹の傷がずきりと痛んだ。

「まだ、動かない方がよかろう。腹の傷を縫ったばかりだ」

 凛とした声が響き渡る。その声に視線を上げると、開けた扉に寄りかかるように一人の女性が立っていた。すっきりとした顔立ちに、鋭い目つき――そして、何より特徴的なのは、尖った耳。それに思わず息を呑む。

「エルフ――」

「左様。エルフの、ソフィーティアという。其方を助けたのだから、礼くらいは欲しいな」

「あ――その、すみません。無礼を。ありがとうございます」

 グレイは慌てて頭を下げると、ソフィーティアは意外そうにまばたきした。

「意外に素直だな。私も、魔物の一種ではあるが」

 確かに、少しだけグレイは驚いた。だけど、抵抗はなかった。

 助けてもらうとき、二人の女性の姿をおぼろながらに覚えていたこともあるし、友人のミリアムは魔物と混血だった。少し理解もある。

 グレイはソフィーティアを見つめ返して頭を下げる。

「助けていただいた恩人なので……誰もが、純人類主義ではありません」

「純人類主義。そういう主義が、人間にはあるのか」

 ソフィーティアはその言葉を確かめるように繰り返す。グレイは少しだけ苦笑いを浮かべる。

「そう、ですね。今の王国の上層部はほとんどが純人類主義です。人間を尊び、魔物を忌避するような主義です」

「なるほど、合点がいった。故に、私たちは追い回されているのか」

 ソフィーティアはゆるやかな笑みを浮かべると、頭を垂れた。

「改めて。ソフィーティアという。この村のまとめ役をしている」

「エルフの村の、村長さんでしたか」

「……村長ではないな。長は、別にいる」

 ソフィーティアは軽く訂正しながら、視線をグレイに向ける。その視線の意味を察し、グレイはぎこちなく姿勢を正した。

「グレイ・ダイバーンと申します。この度は、助けていただいて感謝いたします」

「グレイ殿か。礼儀正しい人でよかった――この村は、誰にでも門戸を開いている。傷が癒えるまで、しばらく逗留しているがいい」

「感謝します――なんとお礼を言えばいいか」

「気にすることはない。まずは傷を癒すのに務めよ。といっても、その腹ではしばらく難儀するだろうから、世話できるものを置いておく」

 ソフィーティアは優しく目を細めながら言うと、廊下の方に手招きをした。それに応じて、おずおずと一人の少女が部屋の中に入ってきた。

「失礼――します」

 その彼女が入ってきたとき、春風が流れ込んできたのかと思った。

 ふわりとウェーブのかかった金の髪。少し大人しそうな顔立ちだが、つぶらな瞳は琥珀色に輝いている。小さい唇に控えめな笑みを浮かべ、彼女は頭を下げた。

「アリスティアといいます」

「あ、はい……グレイ、です。よろしくお願いします」

 思わず視線を奪われるくらいの美少女の登場に、少しだけ面食らってしまう。

(エルフの人たちは美男美女が多いと聞いていたけど、こんなに……?)

「グレイ殿、もしよろしければ、キミたち街のことを話してくれれば嬉しい。彼女は世間知らずでな」

「失礼ですね。ソフィさん」

「ふふ、すまん。何かあったら呼んでくれ」

 ソフィーティアはゆるやかに髪を揺らしながら立ち去っていく。その後で、グレイとアリスティアだけが取り残され――少しだけ、気まずい雰囲気が訪れた。

 グレイは軽く身動きすると、ぐぅ、と腹の音が音を立てる。

 それにアリスティアはくすりと笑みをこぼした。

「ふふ、お腹すきますよね。何か、食べ物を持ってきます」

「あ、ありがとうございます」

「お気になさらず。ゆっくり休んでいて下さい」

 目を細めて囁くアリスティアの笑顔は、今まで見た誰の笑顔よりも美しくて。

 グレイは、思わずそれに見とれてしまうのであった。

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