第六章 トロイ計画

第1話

「エルフ村の動きは、上々でしたよ。カイトさん。冒険者も疑うことなく、去っていきました。幾ばくか、資金も手に入れられたのでお渡ししますね」

 翌日、カイトとヒカリはそれぞれ部下を連れて三階層で話し合っていた。

 ヒカリは机の上に数枚の銀貨と銅貨を軽く積み重ねる。その傍にいるソフィーティアは軽く腕を組みながら頷いた。

「冒険者もとても謙虚な方であった。急な雨に、休めたのを素直に喜んでいたよ」

「それはよかった。この噂が広がってくれることを祈るが」

「私としては、悪人が来ないことを祈るがね」

 ソフィーティアは肩を竦めながら苦笑いを浮かべ、視線を頭上に向ける。

「上では、シエラとフィア殿がたたら場で最終工程を行っている。鉄の鋳出しは最終工程。あとはそれを鍛えていくのみらしい」

「そうか。それは僥倖。もうすぐ、試作品ができるかな」

「何が出来上がるかは知らないが、シエラは機嫌が良さそうだったぞ」

「ん、それはよかった」

 頷きながら、ちら、とローラを見やる。彼女は少しだけ複雑そうな表情をしている。その内心を察したのか、ヒカリが微笑みながら言う。

「ローラさん、あまり気に病まなくてもいいです。シエラにはちゃんと叱っておきましたので……まあ、すぐには無理でしょうけど」

「いえ……お心遣いありがとうございます。ヒカリさん」

 軽く頭を垂れたローラに、ヒカリは目を細めると、カイトに視線を向ける。

「カイトさん、昨日はシエラが申し訳ないことを」

「いや、こちらの監督不行届でもあるので、お気にするな。それよりも今後のことを話し合おう」

 カイトはそう言いながらエルフ茶を口にする。ソフィーティアは腕を組んで眉を寄せる。

「今後のこと、と言っても……カイト殿、基本的にダンジョンマスターとしては『待ち』の一手しか使えんのだぞ? ローラ殿、地下階層のダンジョンはどうなっているのだ?」

「えっと、第二層はほとんどが迷宮化しています。なので、そろそろ第三層の着手に映る予定になっています。第三層は、魔物の巣を構築する予定ですね」

「だから、そろそろヒカリさんには、第五層に移ってもらおうと思う。居住区画の整備も済んでいたし」

 それは、カイトとフィア、ローラでこつこつ進めていたことだ。

 広い五階層の一角をレンガで仕切り、三人だけの住まいを作っていた。その一部を拡張し、ヒカリたちの部屋も作っていたのである。

(ヒカリたちは信頼できると判断できたし、もう第五層に引き入れても大丈夫だろう)

 その判断にヒカリは頷いて同意を示し、首を傾げて訊ねる。

「ちなみに、第四層はどうするのですか?」

「そこは要するにボス部屋だな。使うことはまずないと思うが、大規模戦闘に耐えうるような仕様にしたいと思っている」

「分かりました。もし、戦闘になったら、シエラをそこに送り込めばよろしいですね?」

「ま、そういうことになるかな……あまり、戦わせたくないけど」

「まあ、兄さまはそういう人だよね」

 カイトのこぼした言葉をローラはため息交じりに同意する。ソフィーティアは不思議そうに首を傾げて訊ねる。

「なら、どうやって今まで撃退してきたのだ? コモド殿から聞くに、いつも生け捕りにしてきたそうだが」

「罠でじわじわ消耗させて、美味しいところを一気に仕留めるだけ」

「ああ、なるほど――カイト殿らしい」

「それはどういう意味だ? ソフィーティア」

 思わず半眼になって訊ねると、ソフィーティアはくすりと笑って目を細める。

「悪く言えば、臆病者、よく言えば慎重者だな」

「それは、最高の誉め言葉だ」

「そうだろうな。だから、カイト殿の真意も踏まえているぞ。言わないが」

「――え? ソフィーティア、どういうこと?」

 ヒカリがきょとんとする。ソフィーティアは忍び笑いを浮かべながら、カイトに近づいて肩を組んでくる。エルフの綺麗な顔で片目を閉じながら言う。

「二人だけの秘密だ。そうだろう? カイト殿」

「――悪ふざけは止してくれ。ローラが拗ねる」

 現に、彼女はむすっと頬を膨らませている。ソフィーティアはくすくすと笑いながら、そっと耳元に口を寄せて告げる。

「――私たちを、盾にしているくせに」

(……さすがに、気づくか)

 ソフィーティアは、エルフ村の二重の目的に気づいていたらしい。

 一つはもちろん、村や町としての役割。人々を招き寄せる。彼らがいる限り、騎士団たちも迂闊に軍隊を動員して攻めにくくなる。

 その一方で――もう一つの役割は、万が一の盾だ。

「万一、攻め込まれれば、一番初めにぶつかるのは私たちだ。それを把握していないわけはあるまい?」

「それを察して、敢えて乗るんだな」

 二人は声を潜めて言葉を交わす。ソフィーティアは共犯めいた表情で頷く。

「ヒカリ様を守ってくれるようだし、緊急の脱出路も用意している。なら、文句もないさ。それに――」

「それに?」

「カイト殿が信頼におけて、仲間想いなのは十分分かっているからな」

 そう告げると、彼女は身体を離して片目を閉じる。

「これからもよろしく頼むぞ。カイト殿」

 その無邪気な笑みに、少しだけカイトは苦笑いを浮かべる。ヒカリはよく分からない顔をしていたが、一つ頷いて笑う。

「ソフィーティアは、カイトさんが気に入ったみたいだね」

「ああ、ローラ殿があれだけ好いているのも分かるくらいにはな」

 そう言われたローラは不機嫌なのを隠していない。むっとした顔のまま、じっと傍で控えている。カイトは目を細めながら答える。

「まあ、後で彼女の機嫌は取るとして――話を戻そう。これからの方針で、ヒカリさんと――よければ、ソフィーティアの意見も聞きたい」

「ええ、大丈夫ですよ」

「うむ、構わないが。それで方針は?」

「密偵を行いたい。冒険者や、騎士団の」

 その言葉に、ヒカリとソフィーティアは顔を見合わせた。ヒカリは顎に人差し指を当てて、首を傾げる。

「確かに、効果的だと思います。彼を知り己を知れば百戦殆うからず、というし」

「孫子の兵法だな」

「うん。だけど、どうやって……?」

「ああ、魔術師は魔物かどうかを精査できる上に、勘のいい冒険者も気づいてしまはずだ。小型の魔物を送り込む手段はあるが、あまりお勧めはできない――」

「いや、堂々と人間に擬態して入ってもらう――フェイに」

 その単語に、ソフィーティアははっと息を呑み、やがて不敵な笑みを浮かべる。

「やはり、カイト殿は賢い。フェイをそういう方向に使うか」

「ソフィーティア、フェイって?」

「女の形を取る精霊だ。他に取り柄がないものの、美貌を誇る人間に完全に擬態することができることから、ダンジョンマスターたちからは愛玩用として召喚されることが多い。だが、カイト殿はその完全な擬態を逆手に取り、密偵として抜擢しようというのだ」

「そういうことだ。できるだけ、この世界の人間の文化に精通させる。できれば、他の冒険者に紛れ込ませて、街に送り込めればいい。そうして、徐々にこの村の噂を広げていく」

「フェイはどれも絶世の美女の姿を取る。そういう意味で、男に取り入りやすいな」

 ソフィーティアはうんうんと納得したように頷く。ヒカリはそれを見やり、少し考え込んだ後に発言する。

「……危険じゃないかな。そのフェイの子はもちろんのこと、このエルフ村の情報も一気に拡散されることになる。そうなれば、もしかしたら盗賊たちに……」

「そうなれば、僕たちの出番だ。地下迷宮にでも引き込んで、捕らえてしまえばいい。そもそも、この状況が一番危険なんだ。小康状態の、今が」

「――収入源が、乏しいからか」

 ソフィーティアの鋭い指摘に、カイトは頷いて同意する。

「今、攻めてくる冒険者もいない状態が、一番危うい。情報を流した結果、何か来るかは分からないけど、このまま、何も来ない状況が危ないんだ。何の備えもしないまま、騎士団の大軍を迎えることにもつながる」

 その言葉にヒカリは頷くと、静かな声と共に頷いた。

「――そこまで考えているのなら、私から意見はないです。フィアさんとローラさん、エステルさんも同意されているのですよね?」

「ああ、説得するのに時間が掛かったけど」

 思わず半眼でローラを見やると、彼女は恥ずかしそうに視線を伏した。ソフィーティアはにやりと笑みを浮かべる。

「モテモテは辛いな。色男」

「そりゃどうも。じゃあ、その同意をいただいたところで――ヒカリさんに頼みたいことが」

「なんでしょうか? できることなら、なんでも」

「召喚したフェイたちに、軽い教育を施してもらると助かるんだ」

 その言葉に、ヒカリは眉を寄せながら首を傾げる。

「いいですが……何故、私に? フィアさんやローラさんでも……」

「できるだけ、人間に所作を近づけたいんだ」

 カイトはそう言いながらも内心で少しだけ苦笑いを浮かべる。

(フィアやローラはどうも羞恥心が薄いからな……下着をはかずに部屋の中でごろごろするし)

 正直、目に毒で教育に相応しくないと思っているのだ。

「ヒカリさんは、手が空いていると思ったのだが――いけそうか?」

「あ、もちろん、それは。謹んで引き受けます。カイトさん」

 ヒカリはにっこりと笑みを浮かべて頷いてくれる。それにカイトは頷き返すと、ゆっくりと腰を上げてローラを振り返る。

「召喚に入る。ローラ、共をしてくれ」

「……ん、分かった」

 ローラはそれでも複雑そうな表情をする。そんないじらしい彼女を愛おしく思いながら、その部屋を後にした。

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