第12話
「あ、カイトさん、特訓終わった?」
「あ、ああ……」
「秘密の特訓を、しっかりしてきました」
洞窟のたたら場に戻ると、そこにはヒカリが出迎えてくれた。シエラとソフィーティアがせっせと作業している。
顔色がすっかりよくなったフィアはにこにことたたら場を見渡し――ふと、眉を吊り上げる。そこに、金髪の少女の姿がいない。
カイトもそれに気づき、ヒカリに視線を向けた。
「ローラはどこに?」
「あ、うん、その件だけど……カイトさんも、見ていない?」
「ん、いや、見ていないが……」
何となく嫌な予感がする。見ると、気まずそうにシエラが視線を逸らしている。その頬には紅葉型の手形。ソフィーティアは苦笑いを浮かべながら、ふいごを動かす。
その二人を見やりながら、ヒカリは少しだけ困ったように眉を寄せて答えた。
「それが――シエラと口喧嘩して出て行っちゃって……」
ローラは木の上で膝を抱え、どんよりとため息をついていた。
吹き渡る風が、責めるように髪をくしゃくしゃにしていく。その風の中で、憂鬱な面持ちをした彼女は、髪の毛を押さえて眼下を見つめる。
日が暮れて徐々に薄暗くなりつつある森――まるで、自分の心の中のよう。
冷たい風が、どこまでも吹き渡っている。その中で、またローラはため息をこぼした。
「やっちゃったなあ……」
心に募るのは、激しい後悔だ。怒りに任せて、持ち場を投げ出してしまったこと。
ローラは深呼吸をしながら、気分を落ち着けつつ、ふと思い返す。
それは少し前のこと――夕暮れ時のたたら場。
カイトと交代でヒカリが手伝いに来てくれ、黙々と作業を続ける時間が続く。居心地は悪いが、ローラはぐっと我慢しながらふいごを動かしていた。
(あと、もう少しで姉さまが交代に来るし……我慢、我慢)
言い聞かせながら、ふいごを動かす。そうしていると、不意に洞窟の入り口から澄んだ声が響き渡った。
「やぁ、ヒカリ様、シエラ、それにローラ殿も。差し入れを持ってきたぞ」
顔を上げると、そこに現れたのはエルフの女性だった。屈託のない笑顔と共に、傍らに抱えた果物の籠を見せる。ヒカリは顔を綻ばせて頷く。
「ありがとう。ソフィ。気が利くね」
「なんの。これくらいしか手伝いもできないからな。シエラ、木炭は足りているか?」
「ん、十分。カイトが、どんどん、作ってくれる」
「うむ、必要ならいつでも言ってくれ。エステルさんも手伝ってくれる故な」
どうやら、エルフ村の開拓も順調のようだ。エステルもキキーモラたちを指揮してそれを手伝っているらしい。ダンジョンづくりも順調のようだ。
ソフィーティアがローラに一つ果実を手渡しながら訊ねる。
「ローラ殿、大変ではないか? 少しくらいなら交代するが」
「大丈夫――これは、私が兄さまから預かった仕事だから」
「む、それなら取り上げるわけにもいかんな」
彼女は納得したように頷く。ローラは果実をかじりながらふいごを動かしていると、不意にシエラの冷たい声が響いた。
「嫌なら、やらなくても、いい」
かちんと来る。それでも、落ち着いてローラは声を返した。
「生憎だけど、兄さまから預かった仕事だから」
「ふ、ん……ただ、甘えている、くせに……」
ぼそり、としたつぶやきは、どこか心の中に突き刺さる。落ち着け、とローラは自分に言い聞かせながらふいごを動かす。
その間に、ヒカリが取りなすようにシエラに声を掛けていた。
「シエラ、それくらいに……ここでもめ事を起こしてもよくないよ」
「正直なことを、言っただけ。火竜の、くせに……主に、媚びて……」
「――取り消せ」
その言葉は、我慢ならなかった。気づけば、ローラはそう唸っていた。
肚の底で、燃え盛るような怒りが込み上げてくる――身体から力があふれだしそうになるほどの、激しい怒り。それを込めてシエラを睨む。
シエラは、ちら、とローラに視線を向けると、ふっ、と鼻を鳴らした。
「怒るのが、図星、の証拠……カイトも、これでは浮かばれない……」
「――ッ」
怒りの沸点が、振り切れそうになった。ローラが口を開く。肚の底で燃え上がる怒りがそのまま熱になって噴き出しそうになり――。
「ローラ殿!」
「シエラ!」
二つの音が、同時に響き渡った。ソフィーティアが背後からローラを羽交い絞めにする音――そして。
ヒカリが、シエラの頬を平手で打った音。
ローラは思わず我に返り――ふと、自分が今、しでかしそうになったことに気づく。
(今、私――ドラゴンブレスを……)
仲間たちを、傷つけようとしてしまった。気に食わない、というだけで。
『ただ、甘えている、くせに』
『火竜の、くせに……主に、媚びて……』
『カイトも、これでは浮かばれない……』
シエラの声が呪いのように頭の中に木霊する。これでは、彼女の言葉を否定できない。
思わずローラはその場で脱力すると、それをソフィーティアが支えながら慌てて目を覗き込んでくる。
「だ、大丈夫か、ローラ殿。気をしっかり……!」
「ご、めんなさい……ソフィーティアさん、あと、よろしく……」
ソフィーティアの言葉は耳に入らなかった。
ただ、この場にいることがつらくて苦しくて――ローラは逃げるように踵を返す。引き留めるような声が響き渡ったが、それに構うことがなく、ローラは翼を生やすと宙へ逃げて行った。
風が吹き渡る。その音に現実に引き戻されたローラは重苦しく吐息をついた。
(なにを……馬鹿な、ことを……)
シエラの挑発に乗ったことも、それに激高して火を噴きそうになったことも。
そして、何より――自分の役の立たなさに、腹が立った。
(だって……役に立っていないのは、事実だから)
最初の頃は良かった。カイトが自分たちのことを大事にしてくれるのが分かって、それを支えようと思って頑張り続けた。
何より自分が集めた食料を、カイトが美味しそうに食べてくれるのが、ローラにとっては嬉しかった。卵も、硫黄も、カイトのために一生懸命集めた。
他にもいろいろ勉強して役に立とうと思っていたのに――。
(エルフたちに、全部、役目を取られちゃったし……)
むしろ、ソフィーティアたちの方が、役に立つのだ。
果実を中心に、安定した供給を続けながら、籠や土器も手際よく作ってしまう。もはや、ローラの存在意義が分からなくなりつつある――。
そのことをシエラの言葉で、突きつけられた気がしたのだ。
ローラは身を縮めながら膝を抱きかかえる。冷たい風が身体の熱を奪っていく。身震いをして、自嘲するように苦笑いを浮かべた。
(この風が、私を溶かしてしまえばいいのに――)
熱ごと自分を攫ってくれたら、どんなに嬉しいか。そんなことを考えながら、じっと膝を抱え込み、目を閉じ――。
「ローラ」
不意に、声が響き渡った。もはや聞き馴染んだ優しい声。
だけど、にわかに信じられず、慌ててローラは足元を覗き込む。ローラが腰かけていた枝の下――そこには、人影があった。
もう薄暗い闇の中でも見間違えない。愛しい、主人の姿。
カイトが、そこに立っていた。
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