第8話

 夷陵の戦い――それは、三国志で有名な戦いの一つだ。

 関羽を殺された怒りで、呉討伐の軍を上げた蜀軍。自慢の騎馬隊により、破竹の勢いで進軍。呉の防衛線はすぐに突破されてしまう。

 それに対し、呉の指揮官、陸遜はある奇計を立てる。

 騎馬隊の勢いを利用し、ひたすら突出させ、間延びした陣形を辺りから包囲して潰すという策略だ。折しも、夷道、夷陵の間には木々が生い茂り、火計にもってこいだった。

 その策に気づかず、蜀軍はその死地に突っ込み、あろうことか、木々に生い茂った場所に野営するという愚策さえ犯した。

 それを逃さず、陸遜は火計の指示を下す。

 放たれた火は、すぐさま陣営を焼き焦がし、灰と化した。そこで戦死した軍勢は、一説では八万を越えると言われる。


 火計が、最も効果的であった戦の一つである。


(――そのときの光景は、これよりもすごかった、ということか)

 ウィンドウで映し出されているのは、焼けて逃げ回る騎士たちである。

 その鎧甲冑は多少なり耐熱性能があれど、地獄の炎からその身を守ってくれない。隙間から這いこんでくる炎の舌が、身体を隅々まで焼き尽くしているはずだ。

 その光景に絶句していたローラが、震える声で言う。

「こ、れも……兄さまの、作戦……?」

「やりたくはなかったがな……」

 ウィンドウを手で振って消し去り、目を細めて小声で答える。その重苦しい空気の中、それを見守っていたコモドが不思議そうに訊ねる。

『けど、あんなに燃えるものかい? 爆発もしたし』

「爆発に関しては、実は火薬を作っていた」

 古い土からは、得てして硝石が生成される。それを抽出して、硝石をキキーモラに作らせていたのだ。ローラが、あ、と何かに気づいたように言う。

「じゃあ、洞窟の土を掘りだしていたのは……」

「キキーモラに硝石を作ってもらうためだよ……本当は、培養して安定供給を図る予定だったのだけど。ちょっと予定が狂ったね」

「培養、していたのですか?」

 フィアが疑問に思ったように訊ねる。うん、とカイトは頷いて告げる。

「トイレ、二つに分けていただろう? 小さい方と、大きい方。大きい方は、肥溜めにして、小さい方は尿の成分で培養していたんだ。できるのに一年はかかるけど」

 塩硝製法と呼ばれる、日本にも伝わる硝石の作り方だ。だが、ローラには寝耳に水の話だったのだろう、恐る恐る小声で続ける。

「えっと、そこで硝石っていうのができて……それで、私が取ってきた硫黄と、兄さまが作った木炭を組み合わせて……」

「黒色火薬という、火薬の出来上がりだよ。一番、原始的な火薬だけど」

「お、おしっこと硫黄と木炭で、火薬ができるの……っ」

 ローラはそれが衝撃的だったらしい、目を白黒させている。フィアは何故か満足げな顔でしきりに頷き、自慢げに言う。

「まあ、カイト様のことですからね。きっとそんなことだろうと思っていました。カイト様に作れないものは、きっとないのです」

「いや、さすがになんでもは作れないからな?」

 フィアの頭を撫でながら、カイトは思わず苦笑いをこぼした。

 これは、チリの塩硝丘で働く人に教えてもらったものだ。比較的簡単に作れて、驚いた記憶がある。その黒色火薬を、竹筒に詰めて地面に配置していた。

「その上で――土をかき混ぜて、泥炭を表に出しておいた」

『泥炭……?』

「そう、こういう涼しくて沼のような土壌だとできる――いわば、石油のなり損ねだよ」

 植物が微生物に分解されず、地面に圧力で濃縮されていったものが泥炭と言われる。これが何百年も経つと、化石燃料に変わっていくのだが――。

 この泥炭も、燃料として使われる、立派なものだ。

「発火点が低いから、着火しづらいが一度燃え盛れば、山火事の原因にもなる火力がある。その発火点まで持っていくのに、泥炭の中に枯れ草や木炭、そして合間に黒色火薬を入れた竹筒、あと松脂で作ったタールも混ぜた」

「え……あれ、ただの土壌開発じゃなかったんですね……」

「ああ、最初からそれを見越して、このジャングルの泥を利用していた」

「さすが、カイト様です」

 フィアは心酔したような目つきでじっと見つめてくる。その熱っぽい視線をくすぐったく思いながら、コモドに視線を移した。

 だが、コモドはその説明でもまだ納得していないらしい。

『火計はそれでいいとして……あの洞窟の毒ガスは? ポイントを使っていないんだろう? 一体、どうやって……』

「あれが一番簡単だよ。木炭入れた七輪を並べただけ」

『え、それだけ?』

「ついでに言うと、換気口を粘土で塞いだ。さて、密室の中で練炭が燃え盛れば、何が起きると思う? フィア」

 もはや、答えに等しい質問を投げかける。フィアは目を見開き、小さな声で言う。

「一酸化炭素中毒……!」

「うん、それが毒ガスの正体だ」

 一酸化炭素は、無味無臭だ。気づかれにくく、じわじわと身体の自由を奪っていく。警戒されるかと思ったが、意外に彼らは気づかずに入り――閉じ込められた。

 そうすれば、あとは、無数に置かれた七輪が大気中の酸素を奪っていく。

 洞窟の中は広々としているが、騎士たちがいる場所は傾斜をつけて、重たい空気が溜まりやすくなるように地面を掘ってあった。

 間に合うか、これも不安だったが……上手く行ったようだ。

(人事を尽くして……天命が、応えてくれたみたいだ)

 ありがとう、メイ姉。内心でつぶやきながら、指先を弾いてウィンドウを開く。

「これで百三十人は全滅――エステルたちも上手く、川岸の地下貯蔵庫に避難している。あとは、木々が鎮火すればいいが……」

 そう言いながら、ローラに気を使いながらウィンドウを確かめ――おっと、と小さくつぶやいて安堵の笑みを浮かべた。

「恵みの雨だ」

 その画面の中では――雨が降り注ぎ始めていた。

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