第3話
「へくしっ」
カイトは思わずくしゃみをこぼしながら、空を見上げる。晴れ渡る青空、川辺にどこか吹き渡る風が涼しく感じる。もしかしたら、少し風邪気味かもしれない。
(……まあ、なんだかんだで働き詰めだからな)
そう思いつつも、働くことを止められないのがカイトだ。
むしろ、手を止めると何か考え込みそうになってしまう。それを振り払うために、カイトは忙しなく手を動かした。川岸の空き地――そこで、枯れ木を鉈で切り分け、それを丁寧に並べていく。
横に寝かせるのではなく、垂直に立たせ、根本を地面に埋めて自立させる。
そうやってみっちりと隙間なく木を並べていき、ある程度、完成したところでその周りを泥で覆っていく。空気穴だけ残し、泥のドームの中に木々を包み込む。
そして、その空気穴から火を入れ、そのドームの中に火を巡らせる。あとは、十分炎が回ったところで空気穴を塞げばいい。
その作業をせっせと続けながら、片手間にウィンドウを開き、作業を確認する。
そこでは、増員されたキキーモラたち、十五体が懸命に働いていた。
石で作った鍬で、洞窟の床の土をこそぎ取り、それを運び出してくれている。
雨の当たらないところで、その土は保管され、別のキキーモラたちが引き受ける。
他のキキーモラは、ジャングルの通路の泥を掘り返したり、縄を編んだりと励んでくれている。お手伝いが得意な妖精だけあり、働き者で助かる。
前回の襲撃から、二週間。徐々に、開拓は進んでいる。
(だけど、まだ足りない……この規模だと、勝てるか五分……)
「人事は、まだ尽くせていないか……」
焦りを抑えるように一呼吸し、鉈で枯れ木を割る。だが、乱れた心のせいか、勢い余って薪が砕けてしまう。ため息をこぼすと、ふと、頭上から羽ばたく音が聞こえて振り返る。
「兄さま! 卵できるだけ回収してきたよー!」
ブレザー姿のローラがはばたきながら舞い降りてくる――そのスカートがひらひらと揺れるのを真下から見て、なんとなく視線を逸らしながら言う。
「あ、ああ……ありがと。ローラ」
「ううん、いつもの日課だから気にしないで」
何も気づいていないのか、平然とした顔でひらりと着地。その手に持つ籠をぶら下げながら、ローラはあどけない表情で笑みをこぼし、歩み寄ってくる。
心なしか、頭を突き出すような姿勢に、カイトは笑みをこぼす。
「全く、甘えん坊め」
軽くその頭を撫でる。丁寧に髪を梳いてやると、嬉しそうに彼女は表情を緩ませた。
「えへへ……ありがと、兄さま」
「ん、じゃあ、卵はそこに置いてくれ。これのついでに、燻製にするから」
「これ……っていうのは、この泥の塊?」
「ああ、この中で今、炭ができている」
今、中で火がくすぶっているはずのドームを手で示す。その隣にも、いくつか泥のドームが並んでいる。同時並行で、どんどん進めているのだ。
そのうちの一つ、昨日、火を入れて放置していたドームに歩み寄る。
「で、中の空気を使い切り、燃え尽きた奴を開けると――」
鉈を振り上げ、峰でそれを砕く。ぼろり、と乾いて崩れた泥のドーム。それが剝がれると、中にはびっちりと黒い木炭が詰まっている。
その様子を見て、ローラは目を丸くした。
「木を詰め込んで、密閉して、燃やすだけで――こんなに木炭に」
「つまるところ、空気が入らないようにして燃やせばいいからな」
もちろん、全部が木炭になり切っているわけではない。だが、不完全なものはそれだけ選んで、またドームの中に詰め込んで燃やせばいい。
「大量生産ができる、効率のいいやり方だ」
「へぇ……こんなの、どこで学んだのだか」
呆れたような声と共に、ローラがちら、とカイトの顔色を窺う。彼は視線を返しながら、ただ肩を竦めた。
「旅の経験だよ。木炭は役に立つ。それに――燻製のやり方も、学んだ」
そう言いながら、手で空き地の片隅を示す。そこには、片手間に作った、日干しレンガを積み重ねた窯がある。ロの字形に組まれたそのレンガの窯を見て、ローラは感心したように頷く。
「すごいね。兄さま。これなら、燻製ができるんだね」
「ああ、炭作るついでにやっておくよ」
「あ、うん……でも、兄さま、少し働き過ぎじゃない?」
卵の籠を渡しながら、ローラは気遣うような視線を向けてくる。フィアのそっくりの目つきに笑い返して首を振る。
「大丈夫だ――ここで、止まっていられないしな」
「そうかもしれないけど……兄さま、眠れている?」
ローラの心配そうな目つきに、カイトはわずかに目を細めて苦笑いする。
もしかしたら、添い寝しているだけあって、眠りが浅いことに気づいているのかもしれない。さっきから、どこか気遣うような視線だ。
(――心配、させているかな)
カイトは敢えて明るく笑みを浮かべながら、ローラの頭を撫でる。
「大丈夫だ。この仕事はそこまでハードじゃない。それに、心配してくれる誰かさんがいるからな。その人のおかげで、元気になるよ」
「もう、兄さまは調子がいいんだから」
ローラは少し照れたように頬を染め、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「じゃあ、私を見たら元気になる?」
「ん、まあ、ローラは可愛いからな」
頭を撫で続けると、彼女はえへへ、と緩んだ笑みを浮かべながら、小悪魔のように囁く。
「で、パンツ覗いたんでしょ? 元気出た?」
「いや、履いていないものをどうやって覗けと――」
そう言いかけて――失言に気づく。ローラは楽しそうに笑みをこぼして首を傾げる。
「口は災いの元だね。兄さま。こんな失言するなんて、疲れているんじゃない?」
「……そうかもしれないな……けど、はしたないぞ、ローラ」
「だって、下着破れちゃったし。この前の奇襲で」
「言えば、ポイントで足すのに」
「別にいいよ。姉さまもいらない、って言っているし」
「だからって、履かないのはどうかと思うけどな……」
(フィアが葉っぱを下着代わりにしているのも、どうかと思うが――)
ただ、気持ちはよく分かる――下着は、一か月も使っていればすぐに破れてしまうのだ。カイトも今、下着は一切履いていない。
最初は居心地が悪かったが、悲しいかな、すぐに慣れてしまうのだ。
「――恥ずかしくないのか? ローラは」
カイトが訊ねると、ローラはわずかに首を傾げて、曖昧な笑みを浮かべた。
「だって、ここには姉さまやエステル、キキーモラしかいないし……まあ、兄さまに見られるのは少し恥ずかしいけど、兄さまだったらいいかな、って」
「う……それは、反応に困るというか」
「あ、あはは……そうだね。私も何を言っているんだか……」
言っていて恥ずかしくなったのか、ローラは顔を赤らめながらせっせと卵を燻製器に入れる。カイトが薪を入れると、ローラは手早く火種を作ってくれた。
「あ、ああ、ありがと。ローラ」
「う、うん、こういう火の仕事は任せて、兄さまは休んでいてよ」
「お、おう……すまんな」
二人ともなんとなく、ぎこちない。視線が、合わせられなかった。
まだ顔が赤いローラは視線を逸らしつつ、軽く翼をはためかせて炉の中に風を送る。その間にカイトは言葉に甘えて切り株に腰かける。
穏やかなひと時。薪の爆ぜる音が、心地よく耳に響く。
「そういえば兄さま、こんなに卵を取っていいの? 乱獲にならない?」
ふと、その声に視線を向けると、ローラは火の加減を見ながら首を傾げていた。きょとんとした顔つきにカイトは頷いた。
今回、ローラには渡り鳥に気兼ねすることなく、目についた卵を全て取って来い、と告げていた。これも人事を尽くす上で、肝心なことだった。
「今回の防衛でかなり状況が変わる可能性があるからな。そうしたら、いずれにせよ、渡り鳥は居つかなくなるから」
「そんな規模での防衛作戦、考えているの?」
「まあ、想定する敵が、大軍だからな」
だからこそ、大規模な改修を急いでいる。キキーモラには洞窟やジャングルの徹底した開拓、その一方で僕たちは食料や武器を作って蓄えておく。
(あと、もう一つ決定打があれば心強いのだが……)
そんなことを考えながら、じっと炎を見つめていると、ふとローラはブラザーのポケットをごそごそと探る。
「そういえばね、兄さま、前、温泉の話してくれたじゃない」
「ああ、そうだな。そういえば、あのときの風呂、ありがと」
「どういたしまして――それでね、いろいろと洞窟の上の岩山を探っていたら、こんな黄色い粉を見つけたんだ。なんか、温泉っぽいから採ってきたのだけど」
そう言いながら、彼女はポケットから布を取り出す。
ぼろぼろだが、可憐なレースの布――その正体を努めて考えないようにして、その布に包まれた粉を見やり――目を見開く。
「これ……硫黄じゃないか」
「あ、やっぱりいいものだった? 拾ってきて正解?」
「ああ、できればもっと持ってきて欲しいくらい」
硫黄は温泉特有の成分で――これを加工すれば、硫酸なども作れる、便利なものだ。これがあれば、火つけも楽になる。
ローラはえへへ、と緩んだ笑みを浮かべると、こくんと頷いた。
「結構、あったから隙を見てたくさん持ってくるよ」
「洞窟で保管しておいてくれ。それをまた、加工するから」
「了解! じゃあ行ってくるけど……兄さま、無理しないでね」
「ん、分かっているよ。行ってらっしゃい」
ローラがはばたいて宙に舞い上がる。それを見上げて見守り――少しだけ、思考を巡らせた。
「さすがに……下着くらいは、与えるべきか?」
さすがに何も履かないまま、ひらひらと頭上を舞われるのは、落ち着かなかった。
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