第2話

 体中が、濡れている。その不快感に目を覚まし、カイトは身を起こす。

 びっしょりと身体が汗に濡れていた。ローラがカイトの隣ですやすやと寝ているところを見ると、うなされはしなかったようだが、それでもひどい寝汗だ。

 袖で汗を拭い、ひっそりと息をこぼすと、ふと澄んだ声が響き渡った。

「また、悪夢で、ございますか」

 それに視線を上げると、エステルが囲炉裏の前でしゃがんでいた。メイド服姿で、せっせと七輪に炭を入れている。

 それだけで、部屋が徐々に暖かくなっていく。カイトはため息と共に頷く。

「ああ……二人には、内緒だぞ」

「心配を、かけたくないのですね」

 エステルは無表情のままつぶやき、カイトを見つめて目を細める。

「――騎士団を、やはり恐れていますか」

「……というより、この平穏が崩されるのが、な」

 吐息をこぼし、額を拭う。ローラを起こさないよう、慎重に寝床から降りると、エステルはまた白湯を出してカイトに差し出す。

「気を落ち着けて、下さい。また、二人に気づかれます」

「……悪いな、エステル」

「い、え。いつものことです」

 エステルは火傷を負った顔をぴくりとも動かさない。だが、その目つきは真っ直ぐに彼の目を見つめ、様子を伺ってきている。

(……そう、だよな……最近は、よく夢を見る)

 あの家族の死を見る悪夢もあれば、メイをはじめとした家族の思い出を見ることがあった。懐かしい夢だが、そのたびに胸がぽっかり空いたような虚しさを覚え。

 最後には必ず思い出してしまう。彼らの死に顔を――。

「ご主人様。お湯を、お召しください」

 強めの口調で我に返る。エステルは真っ直ぐな視線できっぱりと言う。

「考え込んでは、なりません。お湯を、どうぞ」

「……悪い、助かる」

「いつもの、ことです」

「そう、だな」

 この応酬にも、慣れてしまった。それくらいに、カイトの最近の夢見の悪さは深刻だった。おかげで、早朝に目覚めてしまう。

 深くため息をこぼし、白湯を口にする。香草を混ぜたのか、ほのかに優しい味がする。それを飲み、気分を落ち着ける傍でエステルは七輪を傍に置いてくれる。

 寝汗で冷えた身体が、徐々に温まっていく。その七輪を見て、ふと思う。

「そういえば、聞いた話だと、この洞窟内は換気が行き届いているみたいだけど」

 洞窟内で七輪を焚くことに難色を示したカイトに、フィアが笑って解説するには、ダンジョン内では換気が行き届いている、ということだったのだ。

 だが、洞窟内には、当然だが、窓なんてものはない。

「……どこに、換気口があるんだ?」

「足元と、天井のあたりに、換気口が、ございます。ですので、そこをこまめに掃除しないと、換気が行き届かなくなります」

「……それは、ぞっとするな」

「あまり、床には物を置かないように、してください」

 エステルは目で笑って言いながら、カイトの顔を覗き込んでくる。

「――少し、楽になりましたか」

「ああ、おかげさまで」

 軽い雑談に思考が巡るくらいには、気分が楽になってきた。カイトは湯を飲み干して立ち上がると、ぐっと伸びをする。

「――作業を、始めているよ。あとで、食事を持ってきてくれるか」

「それは、よろしいですが……まだ、お休みになられた方が……」

「折角、早起きしたんだ。大丈夫、身体を動かすような仕事はしない」

 木炭づくり程度なら、身体を動かさずにできるだろう。カイトはそう思いながら軽く言うと、エステルはじっとカイトの目を見つめ、やがてあきらめたように吐息をつく。

「――かしこまりました。くれぐれも、ご無理はなさらないで下さい」

「分かった。フィアとローラに、よろしく言っといてくれ」

 カイトはひらひらと手を振り、洞窟の通路を歩いていく。歩く先からは朝の冷えた、澄み渡る空気が入り込んでくる。

 それを吸い込み、カイトは気合を入れ直す。

(――今度こそ、失ったりはしない……!)


「ご主人様は、また悪夢を見られたそうです」

 カイトがいない食卓。洞窟の囲炉裏を囲み、三人の少女は鍋を突きながら話していた。そのエステルの言葉に、フィアは吐息をこぼしながら煮魚に箸を伸ばす。

 ローラは髪の毛を二つに結いながら、むむ、と唇を引き結んだ。

「今日も見ていたのか……気づかなかったな……」

「ええ、カイト様も気取られないようにしているのでしょう――私たちに、心配をかけないように」

(……でも、エステルはそれを見破る……悔しいな)

 自分も早起きするべきだろうか、とフィアは真剣に悩んでしまう。できれば、カイトの傍に寄り添うのは、自分でありたい――そう思うのは、烏滸がましいのだろうか。

(所詮、私は、はずれボス……はぁ……)

 そう考えると何となく凹んでくる。ローラは半眼になって袖を引いた。

「姉さま、勝手に落ち込まないでよ。むしろ、エステルが気づいてくれたことに感謝しないと」

「……確かに、そうですね。カイト様は辛くても抱え込んでしまうようなところがありますし」

 まだ短い付き合いとはいえ、カイトがフィアを理解しつつあるように、フィアもカイトのことを理解しつつあった。彼のことを想いながら、フィアはエステルに視線を移す。

「この頻度だと……二日に一度は、カイト様は悪夢を見ていますね」

「恐らく、ほぼ毎日だと思います。私も、気づけないときがあります」

「……困ったね。兄さまに体調を崩されたら、立ちいかなくなるよ」

 ローラは眉を寄せながら、鍋に箸を伸ばす。手にしたお椀に具を取り分けるのを見つめながら、フィアは同意するように頷いた。

 彼が、このダンジョンのマスターであるから、だけではない。

 三人がこれだけ尽力するのは、カイトに好意を寄せているからだ。種類はそれぞれ違えど、彼に命を賭けても惜しくはないと思うくらいには、彼のことが好きなのだ。

 だからこそ、三人は食事をしながらも、真剣に考え込む。

 そして――フィアは、小さく言葉をこぼす。

「……やはり、カイト様の過去、でしょうね」

「夢について、語りたがりませんが……どうも、昔のことを思い出して、それがご主人様を、苦しめているようです」

「兄さま、本当に自分のことを話したがらないよね。謎の多い人」

(……その通り、カイト様は、謎が多い)

 農耕に関することから、ダンジョンにおける兵法、さらには格闘術まで幅広く修めているのだ。普通の人は、恐らくそうではない。

 きっとそれは、彼が過去に経験してきた、何かが関わっている。

 だけど、フィアたちは何も知らない。彼が語りたがらないからだ。

 いや――正確には、一度、彼の口から聞いた。ほんのわずかな、過去の断片を。

『家――というか、日本にいられない事情ができた』

「彼は……家にいられなくなった、と言っていました」

 フィアが小さくこぼした言葉に、ローラときょとんと首を傾げる。エステルは無表情だったが、疑問符のように尻尾をくねらせる。

「――放逐された、ということでしょうか」

「ううん、それはないと思うよ。兄さま、すごく仲間想い、というか家族想いだもの」

 ローラははっきりと首を振る。その彼女の紅い瞳は辛そうに震えている。

 フィアも見ていたから分かる。ローラが危険に晒されたとき、彼はひどく怒っていたのだ。その無謀さを叱り、そして、自分の弱さを見せてくれた。

 そして、きっとそのときから、フィアはきっと彼のことが――。

「……姉さま? 顔が赤いよ?」

「ちょ、ちょっと塩が利きすぎですね。この料理」

「申し訳、ございません。畑仕事のために、塩を多めに利かせました」

「私はこの味が好みかなぁ、美味しいよ、エステル」

「恐れ、入ります」

 二人の呑気な声を聞きながら、頬を赤らめたフィアはこほんと咳払いをする。

「とにかく、カイト様は家族想いなのは確かです。それでも、彼が家にいられなくなった、というのは違和感を覚えますね」

「……聞いてみる?」

 ローラがちらり、と姉の顔色を窺う。フィアは考え込んだ末に首を振る。

「……やめておきましょう」

「多分、話してくれると思うけど?」

「……それでも、彼の心を、きっと傷つける」

 カイトが古傷を抉ってでも、真実を聞き出したいとは思えない。フィアにとって、彼にどんなことがあろうと、カイトはカイトなのだから。

「要するに、私たちが彼を信じ、傍に控えていればいいだけです――」

 胸に手を添える。その穏やかな鼓動に耳を傾ける。

 この胸に秘めた想いも、この高鳴る心臓も、彼のためにある。その目つきでローラとエステルを見つめる。妹竜は、小さく苦笑いを浮かべて言う。

「ほんと、姉さまは兄さまのこと大好きだよね。私も、もちろん協力する」

「私は、ご主人様のお心のままに動くまでです」

 その二人の声に、フィアは目を細めて穏やかに二人に告げる。

「三人で、カイト様を支えていきましょう。彼の辛い顔は、もう見たくないから」

 全員で頷き合い、三人の少女は気持ちを確かめ合った。

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