第四章 戦に備えよ
第1話
カイトたちのダンジョンから三十キロ北――そこには、一つの都市がある。
城壁に囲まれた、堅牢な面構えをした城下町、グランノール。
人間たちによって統治される街であり、それなりの規模を誇っている。
その人類を守る盾であり、矛でもある騎士団はそこに常駐しており、絶えず人類を脅かす敵に対し、警戒し続けていた。
「――なるほど、南方に派遣した冒険者からの連絡が途切れたか」
「ええ、恐らく、ここにダンジョンが発生したのだと思われます」
騎士団屯所――そこの会議室には、騎士たちが三人集まっていた。厳めしく顔をしかめながら、机の上に広げられた地図を眺め、騎士の一人が口を開く。
「まだ確定ではないですが、信頼のおける冒険者を使いました。彼らが戻ってこないということは――」
「その可能性が、濃厚だな。騎士団を動員する価値はある」
そう告げたのは、騎士の中で一番、年嵩の男だった。たっぷりと蓄えた髭を撫でつけながら、地図に視線を落として告げる。
「名分は治安維持によるダンジョン討伐――動員は、いつも通り、予備を含めて百二十人ほどでよかろう。それだけあれば、ダンジョンは討伐できる」
「まあ、前回調査から一年も経っていません。ドラゴンも発生せずに、順調に討伐することも可能でしょうね」
脇の騎士が相槌を打つ。明らかに手慣れた口ぶりだった。
それも当然。騎士たちが潰してきたダンジョンの数は数知れない。そこで手にした、ダンジョンコアを希少な鉱石として売り飛ばし、騎士団の増員をしてきた。
彼らからしてみれば、ダンジョンはただの資源にしか過ぎない。
だが、彼らは一切、手は抜かない。騎士の一人が、地図に指を差す。
「地形的に木々が生い茂り、行軍は困難です。十分な支度が必要でしょう」
「兵糧は多めに設定――小隊に分かれて調査を行うべきですね」
「各個撃破だけは懸念できるように、互いに足取りを確認できる位置を保つ。そのような調練を行いましょう」
騎士たちは淡々とそれらについて議論を交わしていく――。
(――まあ、そうなるよね)
それを、じっくりと耳をそばだてて聞いている一つの影があった。
屯所の屋根裏――誰も入り込めないような場所に、一匹のトカゲが入り込んでいた。小型のコモドドラゴンのようなトカゲ。その目がぱちくりと動いている。
言うなれば――これは、コモドの分身なのだ。
(危険な真似だけど……さすがに、見過ごせないからね)
気配はできるだけ絶っている。発見されても、魔物とは看破されないはずだ。
何故なら、その外皮は脱皮した皮を縫い合わせた特注――普通のトカゲのようにしか見えないはずだから。
それでも、念には念を越したことはないと気配を殺しながら、じっと屋根裏から下の会議室を見つめる。
(しかし――やっぱりリークされているか)
視線の先の地図。そこには、はっきりとダンジョンが特定されている。
その場所は、紛うことなく、カイトたちのダンジョンだ。
なかなか見つかりにくい場所だが――運が、悪かったのかもしれない。
(でも、カイトは正直、お気に入りだし……少しだけ、便宜を図ってあげたくなるかな)
「よし、一か月後を目途に作戦を開始する。兵站を用意しておけ」
「兵站部隊に通達します」
その言葉を聞きながら、するりとコモドは動き出していく――。
穏やかな日差しが降り注ぎ、笑い声が響き合う。
裏庭で子供たちが駆け回る光景をぼんやりと眺め、カイトは苦笑いを浮かべる。
(懐かしい、夢だな)
カイトは漠然と思う。そう思えるほど、懐かしい夢だった。
あの忌々しい惨劇よりもずっと前。まだ、家族と楽しい生活が続く、輝かしく――今は、もうない生活。その中で、まだ幼いカイトは一人の少女におねだりをしていた。
「メイ姉、また何か昔話してよ」
「ふふっ、カイトくんは勉強熱心ですね」
「だって、メイ姉の歴史のお話、面白いんだもの」
「嬉しいですねぇ、そう言ってくれるのは。では、今日は三国志のお話でもしましょうか。この前、お話したのは朝鮮での泗川の戦いでしたからね」
姉のように慕っていたその少女は、せがんでくるカイトの頭を優しく撫でながら穏やかな口調で話す。おっとりとした、丁寧な口調だった。
「泗川の戦いでの、鬼島津の逆転劇は有名ですが、三国志においても大逆転があります。その有名なのは、赤壁の戦いですね」
彼女が穏やかに歴史を語っていく。そのメイの横顔を眺めているだけで、幼いカイトの胸はぽかぽかと温かくなっていた。
今思えば、お姉さんのようなメイに少しずつ惹かれていたのかもしれない。
彼女もカイトのことは満更ではなかったのかもしれない、彼のおねだりを一度たりとも断ったことはなかった。今となっては、確かめる術はないのだが――。
「――かくして、周瑜の策略により、曹操軍は痛撃を受け、撤退を余儀なくされたのです。風を読み、機を待った、周瑜の鮮やかな策だったんですよ」
「へぇ……それで、十万以上の敵を討ち払ったの?」
「ええ、そうですね。ただ、彼だけの活躍ではもちろん、ありません。曹操軍の敗因は二つ。一つは、その土地を味方につけられなかったこと。そして、もう一つは――周瑜たちの準備が、あまりにも入念だったこと」
「入念、だった?」
「はい、周瑜の命令で、先鋒となった黄蓋は偽装投降する際も、徹底的に念を入れました。準備をどこまでも万全に尽くしながら、周瑜は機を待った。まさに、人事を尽くして天命を待つ、ということをやってのけたんです」
メイは目を細め、カイトの頭を撫でながら優しい声で告げる。
「どんなことでも成し遂げたいときは、いつでもそうするべきです。準備を万全に整え、機会を待てば、必ず天は応えてくれます。覚えておいてくださいね。カイトくん」
そう微笑んでみせたメイ。カイトの姉のような存在で。
きっと、初恋の人。そんな人の顔をいつまでもカイトは見つめていた。
――その三週間後に、彼女を亡くすとは、露とも知らずに。
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