第三章 育ちつつあるダンジョン

第1話

 エステルが、ダンジョンに加わって一か月――。

 その生活は一転――までいかないものの、少し様変わりしていた。


「――ん……」

 わずかな物音で、カイトは目を覚ますと――右脇で穏やかな寝息が聞こえる。

 薄目を開け、右を見れば、毎回のように寝床に入り込んできている、ローラの姿がある。寝息を立てており、可愛らしい寝顔をしている。

(……まあ、横に入るのはいいのだけど)

 腕にしがみつき、胸を押しつけてくる凶悪さは、どうにかして欲しいと思ってしまう。おかげで、自分自身の下半身で自己主張をしている部分がある。

 適宜、自己処理をしているものの、さすがに毎朝やられるとしんどい。

(……ただ、嫌なわけではないけど)

 それをやめて欲しいとは思えない、複雑な男心である。

 一つ吐息をついて軽く身を起こすと、ふと、傍の囲炉裏に一人の少女がいるのが目に入る。茶髪の狼耳少女――彼女が、焼けた炭を囲炉裏に置いていた。

 視線に気づいて振り返り、彼女は無表情で頭を下げる。

「――おはよう、ございます……ご主人様」

「ん、おはよう。エステル。今日も早起きだね」

「はい……トイレの管理と、ついでに畑に肥料もやっています」

「相変わらず、手際のいいことで」

 エステルは、カイト以上に早起きをして、いろんな仕事をこなしてくれる。トイレの管理の方法も、一度聞いただけでやり方を把握している。

 その上で、畑の肥料やりまで――汚れ仕事を、彼女は完ぺきにこなしていた。

「そういえば、今日、イモの収穫時期かな」

「朝食が終わったら、取り掛かり、ます」

「そんな働かなくてもいいのに」

「働くのが、私の仕事ですので、お気になさらず」

 淡々とそう言いながら、ぺこりと頭を下げてエステルは立ち上がる。

「外で、食事を作っておきます。お目覚めになられたら、お越しください」

 彼女は音なく滑るように歩き去っていく。その揺れる尻尾を見ながら、ふと思う。

(――彼女は、ここにいたいと思ってくれているのかな……)

 折角なら、居心地のいい環境を提供したいけど、イマイチ彼女が満足しているかは分かりにくい。何しろ、小声で無表情なのだ。

 楽観的に考えれば、時間が解決するとは思うけれど――。

(もう一つ、問題と言えば……)

 なんとなく、片腕が寂しい気がして――視線を、横に向ける。

 隣の寝台では、丸くなるようにして寝ているフィアの姿がある。

 前までは、ローラに張り合ってよく隣に入り込んできたのだが――エステルが来て以来、何故か遠慮されるようになった。

(いや、待てよ……フィアは何故か匂いをよく嗅いでいた。つまり――)

「加齢臭……まさか、匂うのか……?」

「んん、別に兄さまに変な匂いはしないと思うけど」

 すんすん、と鼻を鳴らすような音と共に、隣から声。カイトは視線を横に向けると、ローラは腕に抱きついたまま、緩んだ笑顔で挨拶する。

「おはよう。兄さま」

「おはよう、目が覚めたのなら腕を放してもらえると」

「ええぇ、あったかくない? 柔らかいでしょう?」

 ローラは悪戯っぽく言いながら、さらにぎゅっと抱きついてくる。

(それが温かくて柔らかいから困っているんだけどな……)

「――僕が熱くなる前に、止めて欲しいの」

「はーい」

 ローラは素直に腕を解放すると、その場で猫のような伸びをする。くしくしと手の甲で顔を擦りながら、視線を上げて首を傾げる。

「兄さま、考え事?」

「ま、少しだけな。気にしなくていいよ」

 カイトは肩を竦めると、ベッドから降りて告げる。

「エステルが、もう飯を作ってくれている。先に行っていてくれ。僕は、フィアを起こしているから」

「はーい、行ってきます!」

 ローラは元気よく小走りで洞窟から出て行く――それを見届けてから、カイトはフィアのベッドに歩み寄る。

 丸まって寝ているフィアは、あどけない寝顔で寝息を立てていて、その顔を見ているだけでなんだかどきっとしてしまう。

(――何を、考えているんだか……)

 平静を心掛けながら努めて小さな声と共に、そっと肩を揺する。

「フィア、朝だぞ。起きろ」

「ん、んん……」

 むずがるようにわずかに眉を寄せるフィア――やがて、薄っすらと瞼を開く。

「あ、れ……カイト、様……」

「おはよ。よく寝ているな」

「あ……すみません、もう朝ですか」

 一瞬で目が覚めたのか、フィアは顔を上げる。その髪に干し草がついているのを、カイトは苦笑い交じりに手を伸ばした。

「ああ、朝だよ。最近、よく寝ているな。成長期か?」

「そ、そういうつもりではないのですけど……寝つきが悪くて」

 頬を赤らめながらベッドの上で女の子座りして項垂れるフィア。その頭を撫でると、ますます顔が真っ赤になってしまう。

(ま、恥ずかしがるのは分かるけど……)

 ちら、とベッドを見る。ベッドは、木枠に干し草を詰めた簡単なものだ。定期的に中身は取り換えて、日干しにして殺菌している。

 ニュージーランドの牛舎を間借りして、寝泊まりしていた頃は、こんな感じで寝ていたが……やはり、フィアには酷だったかもしれない。

「――新しいベッドを導入するかな」

「わ、私のため、というのだったら止めて下さいね!」

 慌てて声を上げるフィアに苦笑いを浮かべ、カイトは手を差し伸べる。

「分かっている。だけど、寝不足が続くようなら少し考えないといけないし」

「あうぅ……これは、なんというか私の心の問題でして……」

「心?」

「はい……ですから、カイト様がお気になさることではないので……」

 そっと手を取り、フィアはベッドから抜け出す。その手は、いつもよりも火照っている気がする。カイトは少しだけ目を細めて頷いた。

「分かった。でも、何かできることがあれば、すぐに相談して欲しいな」

「はい……善処します……」

 そう言うフィアは顔を真っ赤にしたまま、カイトの目を見てくれなかった。

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