第10話

「――フィア、少しいいか?」

「はい? 大丈夫ですけど」

 エステルがダンジョンに加わったその日の夜。

 ローラとエステルは洞窟の外で、煮炊きをしている間を見計らい、カイトはフィアに声を掛けた。せっせと粘土でレンガを作っていたフィアは、きょとんとしながら立ち上がる。

 カイトが手招きすると、フィアはちょこちょこと歩み寄ってくる。彼はそのまま、彼女の右手をそっと取った。

「あ、カイト様、粘土で汚れているので……」

「後で洗えばいいよ。それよりも」

 そっと指先で腕をなぞり、一点で指を止める。わずかに、フィアが眉を寄せたのをカイトは見逃さなかった。

「――怪我、しているだろう?」

「……そんな、ことは」

「視線を逸らさない。バレているんだから」

「そういえば、カイト様は見ていたのでしたね……」

 フィアは観念して少し力を抜く。すると、その腕の表面がわずかに動く。まるで見えない鱗が引っ込むようにして――その肌に走る、痛々しい傷跡が見えた。

 腕を矢で弾いたとき、一瞬だけだが、痛そうな顔をしていたのだ。

「――鱗で保護してやれば、すぐに治りますよ」

「それでもだ。座って」

「……はい」

 フィアは大人しくカイトの正面に座る。カイトは用意していた素焼きの器を引き寄せ、そこに入っている緑色の軟膏を取り出す。

「これは……?」

「有り体に言えば、傷薬」

 一か月、作業中に怪我をすることも多かった。それで見覚えのある薬草っぽいものは採集しておいたのだ。もちろん、薬効は自分の身体で確かめている。

 それを指先で掬うと、そっと彼女の傷跡に塗り込む。ぴくり、と腕を跳ねさせたのは一瞬。すぐにカイトに身を任せてくれる。

「殺菌作用があるし、膿むことは絶対にない」

「心配性ですね。カイト様は」

「フィアを、失いたくないからな」

「……はい、ありがとうございます」

 不意に聞こえたお礼に、カイトは驚いて視線を上げる。フィアは頬を赤く染め、紅い瞳をわずかに揺らめかせる。可憐に微笑んで首を傾げる。

「意外ですか? 素直に礼を言うのが」

「――正直言うと、そうだな。火竜ですから、大丈夫ですよ、とか言いそうで」

「少し前なら、そう言っていたかもしれません。ですけど……」

 彼女はひっそりと少し困ったような笑みを浮かべて続ける。

「カイト様の気持ちも、分かりますから……それに、そう大事に思っていただけるのが、何より嬉しい……だから、ありがとう、です」

「それは、その……どう、いたしまして」

「はい……ふふっ、少しおかしいですね」

「ああ、おかしいな……ははっ」

 二人で、思わず笑い合う。なんとなく気恥ずかしいけど、心地いい感じだ。

 そのまま、二人でそっと見つめ合う。囲炉裏で、炭がわずかに燃えるような音しか聞こえない。その薄明かりの中で、カイトにはフィアの目しか映らない。

 彼女の紅い瞳が、揺れている。何か、物欲しげに光を放っている。

 それを見つめていると、不思議と胸が高鳴った。とくん、とくん――と胸の鼓動が何かを訴えかけてくる。その意味が、その瞳の中に隠されている気がして。

 そっと、二人の距離が徐々に縮まり――。


「兄さま、姉さま、もうすぐ食事ができるよー!」


 その無邪気な声に、思わず二人は我に返った。

「あ、ああ! 今行く!」

 そう声を返しながらカイトは手早く軟膏を塗り終わる。フィアは頬を染めながら、そそくさとその腕を引っ込め、見えない鱗で傷跡を隠してしまった。

「あ、ありがとうございます……丁寧な手当てを」

「あ、ああ……気にしないでくれ。じゃあ、飯に行こうか」

「わ、私は粘土だけ片付けますので……先に」

「了解……待っているから」

 気まずくなって、そそくさとカイトは洞窟の外を目指す。その顔が火照っていて、胸の鼓動が不自然に暴れている――生きてきて、感じたことがないくらい、胸の中で感情があふれてくる。だけど、悪い気はしない。

(――なんだかな、この気持ちは……)

 なんとなく、分かる気がする。だけど、まだ、名前がつけられない。

 この気持ちに向き合うには――少し、勇気がいりそうだった。

 苦笑いを浮かべながら、カイトは首を振り、洞窟の外の方を目指した。


(どう、しよう……)

 フィアは粘土を片付け、水で手を洗ってから――ぺたん、とその場で座り込んでいた。

 そこまでどこか夢見心地だったが、自覚すると胸の鼓動が止まらない。

 かっか、と頬が熱く火照り、訳が分からなくなるほどだ。

 どくん、どくんと激しくなる鼓動。それが訴えかけてくる気持ちはたった一つだ。

(好き……カイト様が、好き……)

 視線をぼんやりと洞窟の外に向ける。そこにいるはずの、青年。

 困ったような笑顔をして、いつもフィアの傍にいてくれる人。

 大切な――主。

 その人の笑顔を思い浮かべるだけで、胸の鼓動が鳴りやまない。

 その気持ちに、気づいてしまった。向き合ってしまったのだ。

(どうしよう……どうしよう……っ!)

 心構えができる前に、自覚してしまったその気持ちに、フィアの感情が抑えきれない。思わず頬に手を当てる。火照った頬を、自覚する。

 その気持ちの暴走に、フィアはぎゅっと目を瞑った。

「――どんな顔で、カイト様に接すればいいの……っ!」

 今のフィアがカイトの顔を直視すれば、眩しすぎて顔が真っ赤になってしまう。

 そんな顔は見られたくない。できれば、かわいいと思って欲しいのだ。そんな風に思ってしまう自分に気づいてしまい――。

「あううぅ……」

 混乱が、収まらない。だけど何とか、フィアは大きく深呼吸――自分に言い聞かせる。

「落ち着いて……落ち着くのよ、私……」

 言い聞かせて顔を上げる。平常心を保ちながら立ち上がる。

「いつも通り、いつも通りでいればいい……」

 そう、何の不自然なこともない。どんなときでもいつも通りであればいいのだ。

 たとえ、カイトに声をかけられても、カイトに笑いかけられても、カイトに見つめられても――。

(う、ううう……そんなの、無理だよぅ……)

 それを想像しただけで、顔を真っ赤にさせてしまうフィア。

 そんな彼女が平常心を取り戻し、彼らの元に戻るまでは――まだ少し、時間が掛かりそうであった。


〈ダンジョンデータ〉


 ダンジョンコアLv,2

 ポイント残高:2360


 フィア:Lv,3 → 4

 ローラ:Lv,1 → 3

 エステル:Lv,25(New!)

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