第5話

「こ、れは……」


 川辺に辿り着いたカイトは目の前の光景に一瞬だけ言葉を失う。そのまま、押し出すような声でつぶやいた。

「その手が、あったか……」

 目の前に広がっているのは、小さな風呂場だった。

 急ごしらえなのだろう、地面に穴を掘って踏み固めただけの穴。そこには、湯がたっぷりと張られている。それが、程よい感じで熱気を放っている。

 風呂である。久しぶりの、風呂だ。

「あ、兄さま、丁度いいところに! 湯加減を確かめてくれる?」

 ふと、顔を土まみれにしたローラが、顔を上げてぱっと輝かせた。

「――ローラが、考えたのか? これ」

「うん、前、兄さまがオンセン? のことを話してくれたでしょう? できるかな? って思って、姉さまと力を合わせたらできたの」

「……いや、まさかこんなところでお風呂に入れるとはな……」

「兄さまだったら思いつきそうだけど……考えなかったの?」

「ああ、盲点だった」

 湯加減を確かめる。じんわりと温かさが伝わってきて心地いい。

「いい湯加減だ」

「ん、じゃあ、入って! 入って! 服は私が洗っておくし」

「あ、ああ……悪いな、いろいろと」

「それはこっちの台詞だよ。お兄さまには、いろいろお世話になっているから。それのお礼だと思って寛いで」

 ローラはにっこりと笑ってそう言うので、ありがたくカイトは風呂をいただくことにする。茂みで服を脱ぎ、身体が見えないようにして、ゆっくりと湯につかる。

「――ああぁ……生き返る……」

「ふふ、気持ちいいかな?」

 服を回収したローラは川辺で服を洗いながら笑顔で訊ねてくる。

「ああ、正直、風呂なんて一年ぶりかな……」

 異世界に来る前も、オーストラリアを歩き回っていた。風呂なんてものはなく、一年前くらいに入った、天然の温泉が最後だった気がする。

 酷使し続けた筋肉にじっくりと熱が浸み込んできて、ほぐれるような心地。

 思わずぼんやりとしながら、小さくつぶやく。

「ああ、こりゃいい……」

「それはよかったです……では、私も失礼して」

「ああ、どうぞ……って」

 カイトは振り返ると、後ろで頬を真っ赤にして立っている一人の少女がいた。見慣れたフィアの姿――だが、その身体は一糸まとわぬ姿。

 全裸――いや、肝心なところは、葉っぱで隠している。

 だが、それがなんとなくイケない気がする。

「フィア、なんで……っ!」

「それは湯の温度を保つためだよ。火竜が入っていれば、効率よく熱を保てるからね」

 ローラの悪戯っぽい声に、思わず天を仰いだ。

 なるほど、彼女が考えを巡らせていたのは、こういうことだったのだろう。

 ちゃぽん、と水音を立て、おずおずと隣にフィアが入ってくる。もぞもぞと身体を動かし、ぺり、と葉っぱを剥がして湯船の外に置く。

 つまり、フィアは今、完全な全裸――。

(い、いやいや、考えたらいけないだろう……!)

 カイトはぶんぶんと首を振ると、フィアは頬を染めながら上目遣いで言う。

「そ、その……ご迷惑、でしたか?」

「いや、そんなことはないけど……恥ずかしいなら、無理しなくても……」

「恥ずかしいですけど……カイト様とご一緒できるなら」

 恥じらいながら、彼女は小さく囁くように言う。そこまで言われては、断ることもできない。カイトは少し笑みを浮かべて頷いた。

「僕も恥ずかしいけど……うん、一緒に」

「ありがとうございます……ふふっ」

 安心したように笑みをこぼし、そっと傍に寄り添ってくるフィア。ぎこちないが、どこか安心感があるのは、二か月、一緒に寝食を共にしたからだろうか。

 二人で寄り添うと、温かい。それに、フィアと触れ合うところが、尚更温かい。

「火竜ってやっぱり温かいよな」

「そうですね。人間の状態でも、基礎体温が高いです」

「じゃあ、竜に戻ると?」

「それはもう、高熱です。ただ、それだけに元に戻れるのは――三分が限度でしょうか」

「そうだね。姉さま」

 答えたのは、ローラ。川辺でじゃぶじゃぶと二人の服を洗っていながら振り返る。

「私は召喚されて実戦もしていないから、一分も保たないけど。姉さまは、少し実戦を積んで経験値を積んでいるからね」

「レベルで言うと、3くらいはあります――レベル=維持できる時間と考えて下さい」

「なるほど、分かりやすくていい」

「防衛の参考にしてください……本来なら、私たちが戦ってダンジョンは防衛するものですから。なのに、カイト様は工夫と作戦で何とかしますから」

「……それは、すまん」

「いいえ、素敵だと思います。カイト様についていけば、安心だな、と思えますから」

 そっと彼女は赤らんだ頬で、遠慮がちに頭を預けてくる。濡れた髪が、そっと肩にかかってくすぐったい。カイトはぎこちなく手を挙げ、その頭をそっと撫でる。

「あー、いいなあ、姉さま。私も入ろうかな」

「……代わりましょうか? ローラ」

「あはは、大丈夫。兄さまをリラックスさせてあげて――にしても、兄さま、もうシャツがぼろぼろだねぇ。もはや、ボロ布……」

「まあ、軍用の服とはいえ、こんな環境で酷使すればな」

 幸い、温暖な環境で、木陰もあるダンジョン。上半身裸でも問題はないだろう。

「兄さまもポイントで服を手に入れれば――?」

「いや、ひとまず目途が立つまでは問題ないだろう。破れているところは縫い合わせるから、丁寧に洗っておいてくれ」

「はーい、兄さまも器用だねぇ……後で教えてくれる?」

「了解……と、服と言えば、フィア」

 ちらり、と横にいるフィアを見やる。彼女は緩んだ笑顔でカイトの肩に寄りかかるようにしていたが、姿勢を正して咳払いをする。

「はい、何でしょうか」

「その、女の子にこういうのは野暮だけど……下着、大丈夫?」

「あ、はい……前のものはもう使えませんけど、これがありますし」

 ひらり、と持ち上げたのは、葉っぱだ。よく見ると。この川辺に生えている葉っぱだ。ハスのような水草である。

「いろいろ試しましたけど、これが一番しっくりきますね」

「……ポイントで下着を手に入れようか?」

「やめて下さい……また、性能重視でポイントを惜しみなくつぎ込みそうですから」

 フィアはため息をつきながら、湯を持ち上げてカイトの肩に掛ける。

「マスターは自分のことを大事にしてください。ほら、身体洗いますよ」

「お湯から出た方がいいか?」

「いいえ、もう入りませんし、中で洗っちゃいましょう。はい、背中を」

「あ、姉さま、へちま持ってきたよ」

「さすがです。ローラ」

 ローラから手渡されたへちまを受け取る。へちまの実は煮込んで繊維だけにすると、海綿状――スポンジのようになるのだ。

 そのへちまスポンジを受け取ると、フィアは背中をごしごしと洗ってくれる。

 手の届かない、背骨の合間までしっかりとスポンジが擦られ、思わず身震いをする。

「あああぁ……生き返るぅ……」

「いつも苦労されていますからね。レンガ造りに、畑づくりまで」

「フィアたちが手伝ってくれるから楽ができるけどねぇ……」

「私たちは採集や整地しかしていませんよ。もっと頼ってください」

「そうそう、もっとこき使ってくれていいんだから」

 にこにこと笑って言ってくれる姉妹の言葉に、思わずカイトは吐息をつく。

「――フィアとローラに巡り合えて、僕は幸せだなぁ」

「私も、カイト様に召喚されて幸せです……ふあぁ、いい香り……」

「ん? いい香り?」

 そういえば、首筋に何故か吐息が当たっている気もするのだが。

「お気になさらず――かゆいところはありますか?」

「んん、折角だから、背中をしっかり擦ってくれ」

「はい……すうぅ……ふふっ、役得です」

「いいなあ、姉さま」

「ふふっ、今日だけは独占させていただきますね」

(――僕も、この極楽を今日だけは独占だな……)

 じんわりと伝わってくる温かさと優しさ――それに、身を浸しながら空を見上げ。


『侵入者を検知しました』


 思わず、空を仰いで目を細めた。

「少しは空気を読んで欲しかったな……」

「――ッ! カイト様!」

「兄さま!」

 ばっと二人が勢いよく立ち上がった――ローラも、フィアも。

 その結果、フィアは一糸まとわぬ姿を、大気に晒すことになり――。

「――すまん、フィア」

 予想していたカイトはすでに視線を逸らしていた。だが、耳を塞ぐのには間に合わず。


「ひ、やあああああああああ!」


 澄んだ悲鳴が、彼の耳朶を激しく揺らすことになった。

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